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あの日のこと覚えてる?

「あの日のこと覚えてる?」

そう聞かれて、何を思い出しますか。

「あの日」という言葉を聞くだけで、私はなんとなくドキッとします。

「あの日」という言葉は特別感があって、否が応でも、印象に強く残った過去のたくさんの「あの日」が、折り重なるようにその言葉の後に隠れているように感じられるからではないかと思います。



あの日。

私はまだ小学生でした。
初めての空港。
国際線。
なにもかもが初めての景色。
でも、ワクワク感は全くなく、ただただ悲しみに押しつぶされそうでした。
水面から辛うじて顔を出して立ち泳ぎをするかのように、呼吸は浅く小刻みで、涙をこらえるのに必死でした。



あの日。

ホテルの自室の窓に、思いがけず大きな夕陽が見えました。
橙色の暖かい日差しが私をまるごと包み、ゆっくり沈んでいきました。
それは荼毘に付した父の存在が、この世から離れ、目にはもう見えない私の心奧深くに沈んでいった瞬間でした。



あの日。

私より少し背が高い妹に抱きつくようにして、彼女の体温が私の体温と溶け合うのを感じました。
それは、一年近い闘病を乗り越えた妹が、実家の玄関に立った日。
近いようで遠い、遠いようで近い姉妹という存在の確かさに静かな感動と感謝を覚えました。



あの日。

寒さで鼻の頭を赤くしながら学校から帰って玄関を開けた途端、甘く香ばしい暖かい空気に包まれました。
キッチンで、母がケーキを焼いていました。
コーヒーを飲みながら焼き上がりを待っていた母が、タバコの煙の向こうに霞んで見えました。
ふわっと毛布にくるまれるような幸せ感があり、今でも、コーヒーとタバコがブレンドされた香には懐かしさを覚えます。


あの日。

ほかにもまだまだたくさんの「あの日」があります。
すぐに思い出せるほど記憶が鮮明なものもあれば、手触りはあるのに映像として浮かばないはかないものまで、さまざまです。

思い出せるかどうかや思い出す順番は、思い出そうとしている今の自分の状況にも左右されるような気がします。


たくさんの「あの日」が積み重なって、今ここに存在している自分は、まるで一冊の分厚い本のようです。

時々、その本を静かに開いてみるのもいいかも知れません。

開きぐせがついているページは、鮮明な記憶。
でも、そうではないページを開くことにも、きっと意味があります。

目を閉じて、その本を両手に持ち、パラッと偶然開いたそのページに現れる「あの日」を振り返ってみてはどうでしょうか。

何か大切なことを思い出したり、迷っている今の自分にとっての道標になるものを発見できるかも知れません。



「あの日のこと覚えてる?」

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