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いつまでキュンとしましたか?

大学の四年間、私は下宿生活をしていました。
夏休みや冬休みなど、年に2回程度は帰省していました。

その実家に帰省するときの気持ちが、年々変化していくことを感じていました。
印象深いのは、帰省するときよりも、帰省先から下宿に戻るときでした。

下宿したての頃は、親に守られた空間である実家から、他人ばかりに囲まれる下宿先にもどるのには、ちょっとしたエネルギーが必要でした。
後ろ髪を引かれるような気持ちを、着込んだ薄い鎧に隠して、実家を後にしていたような記憶があります。

ところが、いつの頃からか、朝日が登ってくるとき、空の色がだんだん変わるように、下宿に戻る時の方が明るい空が見えているようでワクワクするようになりました。

いつの間にか、すっかり、下宿先が自分の居場所になっていたのです。


卒業しても実家に戻らず、そのまま京都で就職した私は、生活の軸足は完全に京都にありました。
実家に帰っても三日ほどで手持ちぶさたになり、早く京都に戻りたいと感じるようになりました。

それから随分時間が経ち、何回か引越も経験し、東京に拠点を構えて久しいです。

その間、実家との行き来に特に感情が動かされることもなくなっていたのですが、変化が生じたのは、父が老いてきたあたりからです。

帰省する度に、なんとなく小さくなっていく父を見ると、実家を後にするときに、また後ろ髪を引かれるようになりました。

今度は、振り返って見る実家が、夕日が沈むように夕闇が濃くなっていく背景に埋もれていく感じがしました。


まだ下宿生活に慣れない学生の頃と、老いてきた父を後にするのとでは、胸の痛みの質が違いました。

自分が成長しさえすれば、今感じている不安を払拭できる可能性に満ちあふれた学生の頃の胸の痛み。

自分の力ではどうしようもない、永遠の喪失感に遭遇することを予感する胸の痛み。

当然後者の方が、その痛みも余韻も強く長く残るものでした。


父が亡くなってかなりの年数が経過し、自分の老いを真正面から見つめる年齢になって、キュンとする痛みを感じる機会も減ったようです。

老いることのひとつの現象なのかも知れません。
そしてこれからの課題は、自分の始末をどうつけていくか。
いろいろ考えることがありそうです。

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