【小説】『昼鳶』(1)
【20xx年】
こんなに走ったのはいつぶりだろう。
肺の内側の血管がぐるぐるうなっている。喉が焼けただれたように水を欲している。太ももにはどっぷり乳酸が溜まって、鉄アレイのように重い。
厚底の真っ白な靴が、アスファルトをはじく。でも、前に進まない。ひらひらした衣装が足の間に挟まって、走りにくい。
目の前を走る『伊藤』も同じだ。だんだんペースが落ちてきている。彼女は前々から天才的な運動センスを持っていたけれど、ヒールの靴を履いて、天使の羽を思わせるおおぶりな服を着ている今、さっさと車でも見つけないと、ぼくらがやつらに追いつかれるのは時間の問題だった。
まっしろに輝く朝焼けの下、ぼくと『伊藤』は水も飲まずに、ぜえぜえ悶えながらきらきらしたいつもの街の中を走り続けていた。ぼくらふたりは、必死に人の気配のない住宅街の坂をのぼっていた。新しい春の一日を迎えたぼくらの街は、朝日に照り輝き、澄んだ空気と希望に満ちあふれて見えた。
ようやく坂の中腹について、電柱に手をついたとたん、ぼくの足は自然に崩れ落ちた。
限界だ。最後にこんなに走ったのはいつだろう。いつも椅子に座って、重たい服を着て、眠そうな目でほかのひとたちを眺めるだけの生活を送ってきたツケが回ってきたに違いない。
立ち上がろうとしても、身体が動かない。ぼくはあおむけになって舌打ちをした。
その瞬間、ぼくははっきりとしたデジャヴに襲われた。
そうだ、前にも、こんな瞬間があった。誰かと一緒にひたすら走って走って、どうしようもなくなって、こんな風に道端に倒れこんだことがある。そんな気がする。つらいはずなのに、どこか爽快感がひそんでいる、淡い淡い記憶。
横にいる『伊藤』をはっと見上げると、ぼくのように倒れこんではいなかったものの、彼女も玉のような大粒の汗をかいて、膝に手を当てていた。彼女は、この期に及んでも美しかった。白い頬。ひかりに透き通った黒髪。
この姿にも見覚えがある。
「志摩……」
ぼくは、乾いた唇でその名前を唱える。すぐ近くにいるはずの彼の名前を。
【2013年】
こんなに走ったのはいつぶりだろう。
ひかる街の木陰を踏みしめる。雑踏を逆走しつづける。高校一年生だったぼくと志摩は、放課後に校庭へ飛び出す小学生みたいに、吉祥寺の歩道をなりふり構わずめちゃくちゃに走っていた。ぼくの背中には、父親から譲り受けたストラトのギターがあって、横を走る志摩は、パステルカラーのテレキャスターを担いでいた。重さにあえいで呼吸が荒くなり、たびたびギターを担ぎなおしながら、ぼくらはあてもなく走っていた。
しばらくそうしていると、段々アドレナリンが切れてくるのがわかった。ぼくらはどちらともなくお互いの顔を見て、苦笑いした。息を合わせたように同時に足を止め、そのまま路端にしゃがみこんだ。
「もう店員追ってこないかな」とギターをおろした志摩が呟いた。春先の風にふかれて、額に汗が飛んでいった。リスのようにくりっとした志摩の眼がぼくを捉える。生まれつきの茶髪と、さわやかな色白の肌のせいで、彼の顔は涼しげな印象をあたえる。
「そもそも追ってきてないと思う」と少しやけくそ気味にぼくも答える。
はじめて志摩と会ったのは、高校一年生の五月中旬だった。
高校に入ってしばらく経って、ぼくはほとんど初対面に近い志摩を誘って軽音部に入った。普段ならひとに話しかけるのが苦手なぼくも、父親からギターをもらって浮かれていたせいで、いつもより気が大きかった。
クラスでの志摩の印象は、地味でいつも静かなやつだった。いつ見てもスマホか本を手にして、ぼんやり校庭を眺めていた。どうやら中学ではギターを弾いていたらしい、という噂を聞きつけたぼくは、すぐに声をかけた。
「ギター弾いてるってほんと?」
志摩はおっかなびっくりぼくの方を振り向いて、小刻みにうなずいた。
「うん、やってるよ」
「すごい、中学からずっと?」
ぼくはゆっくり彼の隣に座った。
「えっと、最近フレーズつくるときくらいにしか使ってないから、結構下手になってると思うけど、まあ一応」
ぼくにとっては、圧倒的プレイングを見せつけられて自信を失ってしまうのが一番恐ろしい事態なので、下手なら下手なほど好都合だった。
すぐにぼくは志摩とよく話すようになった。今振り返れば、いったいいつも何の話をしていたのか、思い出せない。音楽のことについてはあまり話さなかったと思う。結局ぼくはそこまで音楽自体を好きになれなかったし、それに対して志摩の方はどっぷり音楽の沼に使っていた。
ぼくらはあまり何も考えずにとりあえずふたりでバンドを組んで、よく部室に入り浸っていた。はじめはドラムとベース、それからキーボードの担当メンバーを集めようと思っていたが、志摩は僕に打ちこみで演奏することを提案してきた。「人が多すぎても面倒だし、それに、演奏するなら自分でつくった曲の方がいい」志摩は会った時よりも低い声でそう言った。「いつか人前で弾くこともあるんでしょ?自分で作ったフレーズじゃないと間違えないで弾ける自信ないよ。歌も君が歌って」。
はじめて志摩が送ってきた歌の入ってないオケだけの音源は、音の少ない涼やかなバラードだった。歌詞を書くよう言われ、ぼくはよくある言葉を並べてルーズリーフの上へ歌詞を書いた。環状線とか、ネオンとか、アスファルトとか。部室で志摩と会った時、ためしに音源に合わせて歌うように言われたときはなかなか歌いだせなかった。突然ピンスポの上に乗せられて詰められるような気がした僕は、目の前の志摩の薄い目の奥にひそんでいるその圧力が、いったいどこからやってくるのか気になってしょうがなかった。
なにはともあれ僕は歌った。二番に入るころには少し喉が開き始める感覚があった。特に気に入っている歌詞は頭の中で浮かび上がって見えて、そうでない部分はあいまいで不確かに思えた。
ぼくの歌の出来がどうだったのかはさておき、志摩は「上手いね」とも「ダメだ」とも言わなかった。そのかわり、小さく唸っていくつかの小さな指摘をした。「音を詰めない方がいいよ、意味も大事だけど、自分が歌いやすくつくるほうがいい。特にそのAメロとか」。
志摩は歌詞そのものに対して何も口出しなかったし、それはぼくの歌詞が気に入ったからとか気に入らなかったからとかではなく、そもそも眼中に入ってないだけに見えた。ぼくが考えた薄い歌詞の内容ではなく、志摩が見つめていたのは、あくまでその奥に流れている音楽そのものだった。そこがぼくと違うところだった。ぼくははじめて歌詞を書いてみて、自分が紡いだ言葉のあまりのつたなさに驚きながらも、今まで使ったことのない部分の脳が喜んでいる気がした。何かに挑戦して、またやりたいと思えたのはひさしぶりのことだった。あの日から、歌詞をつくるのはぼくの仕事になった。
ひとしきり練習を終えると、iPhoneから伸ばした大ぶりのヘッドフォンを着けて音楽を聴くのが志摩のいつものルーティンだった。彼が聞いている曲は日によって違っていた。ジャンルから時代まで本当にばらばらだった。名前の知らない邦ロックや、誰でも知っている洋楽まで、その音のひと粒ひと粒を味わうように唇を引き絞って聴いていた。
志摩が音楽と触れ合うこの時間はいつもだいたい一時間ぐらい続いていた。ぼくは、志摩が音楽を聴いている間は、ずっと志摩の作った音楽だけを聴くことに決めていた。
どんな分野でも、一番手に入れるのが難しいのは自分に合った学習方法だ。ぼくみたいな、大して音楽を好きにもなれず、だからといって作詞のセンスがあるわけでもない男が、なんとかして音楽を学ぼうと思っても、いったい何から聴いたらいいのかさっぱりわからない。効率的な方法ばかり探して足踏みしているうちに、志摩みたいな音楽バカは、手当たり次第に様々な分野の様々な深さの知識を手に入れて突き進んでいく。それは、好きだからだ。ほかに理由はない。好きだからこそ、まったく苦じゃないのだ。
だから、ぼくはいつも志摩の音楽を聴くことにした。志摩が十数年の人生をかけて蓄えたリズム、メロディ、技術のエッセンスがたっぷり詰まった音楽を聴くことは、何も考えずにヒットチャートを聞き流すよりも、何倍もマシな行為だろうと思った。
ぼくらは週に二回部室に集まって、せっせと練習してきたギターを弾き(結局、志摩のギターの腕は素人目線からすると超絶技巧以外の何物でもなかった。僕が褒めるたびに志摩は「全国レベルにはもっと上手い人たちがいるよ」と謙遜したが、平々凡々な僕にとっては、全国を視野に入れても恥ずかしくないということ自体がとてもうらやましかった)、パソコンでの調整や同期の方法をちょこちょこ覚えて、それから各自音楽を聴いた。
志摩は練習のたびに新しい曲をつくってきた。たいがいが30秒か1分程度の習作だったけれど、必ずと言っていいほど、何も作ってこない日はなかった。
僕にできることは、ともかく歌詞をつけることだけだった。志摩は絶対にリリックを書かなかった。
「ポエムみたいになって嫌なんだ」と彼は俯いて言った。「君の歌詞はくどいところがないっていうか、本当に正しい気持ちが入ってる気がする。それはセンスだと思う。僕にはないアンテナがあるんだ」
ぼくはとりあえず、志摩の言葉を前向きに受け取っておくことにした。音楽のことに関して(実はテストの点数に関しても)、志摩にかなうものがなかったから、はじめて志摩に認められたような気がして素直にうれしかった。
同じノートを使い続けることができない性分のせいで、歌詞を書くときは、いつも適当な授業ノートの後ろの方を使っていた。ヘッドフォンを外し、手近にあったボールペンで丁寧に曲のタイトルを記す。
今日聞いた志摩の曲は、いつもより音が少なかった。切れの良いカッティングとリフが入り混じるバックで、静かに流れる滝のようにドラムが鳴っている。まったく物足りないわけではない、しかし、胃もたれのするロックでもない。不思議な曲だ。
曲を聴いたなんとなくのインスピレーションで、ぼくは「ひかりのまち」というタイトルを紙の上に書いた。昔から好きだった「ひかりのまち」という漫画があって、曲を聞いた瞬間、そのタイトルの五文字が頭の中に浮き上がってきたのだ。ためしに紙の上に書いてみたら、どうしても魅力的で忘れられなくなってしまった。
漫画とまったく同じタイトルだとパクリになってしまうと思ったぼくは、「ひかりの」を二重線でかき消し、「しろい」の三文字にしてみた。その漫画の中で目に焼き付いているのは、太陽を浴びてしろく輝く団地の扉絵だったからだ。しろくて、あかるくて、底抜けにきれいな、暗がりの一切ない街。
いつの間にかぼくのそばにやってきた志摩が、ノートをのぞき込んで立っていた。
「しろいまち、か。ポジティブなタイトルだね」
ぼくは自分の書いた五文字を見つめて、ゆっくりうなずいた。志摩の曲について何かを言おうと思ったが、頭に浮かぶのは漫画の「ひかりのまち」のことばかりで、ぼくは冷静に働かない頭で「ひかりのまち」から感じたイメージを口走ってしまった。
「暗いとか怖いとか不幸せとかを前に押し出すのは違うと思った。なんていうか、もっと静かで、静謐で、空気があたたかい感じがする」
自分でも、いったい何を言っているのかわからなくなっていた。「ひかりのまち」は、ニュータウンに住むひとたちの群像劇で、無気力に生きる彼らが小さな事件に巻き込まれたのをきっかけに、人生を振り返ってまた前へと歩き出す話だ。決して明るいストーリーではないけれど、その街にはいつも燦燦と太陽の「ひかり」が溢れ、人々の涙を照らしている。だから、静かで、あたたかい雰囲気が感じられる作品になっている。でも、それは、関係ない。この曲には何の関係もないはずだ。
志摩は、僕のヘッドフォンを取って耳に当てた。志摩自身がつくった曲を、志摩がもう一度味わうように聴いている。
ぼくは落書きだらけの部室の壁を見つめながら、まだ漫画の「ひかりのまち」の絵を思い出していた。そして、しろく輝く団地の背景で、志摩のつくった曲が流れている様子を想像してみた。ぼくの中で、志摩のつくった曲は漫画の「ひかりのまち」の主題歌としてピッタリなんじゃないかとすら思えてきた。
ぼくはそのことを志摩に言おうと思った。
「ひかりのまち」っていう名作があって、この曲はそのイメージにピッタリなんだと。だから、それをもじって「しろいまち」ってタイトルにしよう、と。
「しろいまち、か」
おもむろに志摩がぼくのヘッドフォンを外して微笑んだ。その顔は少し紅潮して、高校生にしては幼くきれいにみえた。ニキビ一つない。
「もともとは『ひかりのまち』ってタイトルだったの?」
志摩は二重線で消された「ひかりの」を指さした。
ぼくは少しだけ迷ってうなずいた。
「『ひかりのまち』の方がいい。そっちの方が、君の言いたかったことが良く伝わると思う」
志摩は断言するように力強く言い切って、ぐらぐらしたボールペンをつかんで「ひかりの」をぐるぐる巻きにした。
「ただの『しろい』だと、聴いた人にちょっと別のイメージが湧いちゃうと思うんだ。白い家がたくさんある地中海の島とか、ディストピアな雰囲気とか。もしかしたら雪の風景を思い浮かべさせてしまうかもしれない。白にもいろいろ種類があるからね。だから、『ひかりのまち』が良いと思う。明るすぎるくらい燦々と照らされていて、でも無機質な翳りもどこかにある、そんな不思議な雰囲気が出ている良いタイトルだと思う」
ぼくは、興奮して言い終える志摩の茶色い目をぼうっと見つめていた。
そうだ、どう考えても「しろいまち」より「ひかりのまち」の方が望ましい。志摩は自分で歌詞を書くことはなかったけれど、曲を引き立てるような良いリリックを見た時に限っては、饒舌になってよく褒めてくれた。確かに、このタイトルは曲にぴったり合っている。それぐらいぼくにだってわかる。
でもそれじゃあ、まるきりのパクリじゃないか。
それからの三年間、僕が作詞、志摩が作曲で、ぼくらはいろいろな曲をつくりあげた。普通同じ人が作った曲は、似たような進行や技術や曲調に収束してしまうものだが、志摩の曲たちは素人の僕から見ても相当にジャンルレスだった。毎回毎回志摩のつくった曲のギターや打ち込みを必死で耳で追っているうちに、ぼくも高校生のバンドマンとして胸を張れる程度までにはギターを弾けるようになった。もちろん志摩の腕には遠く遠く及ばなかったけれど。
ぼくの積み重ねたギターの努力は、結局のところ、志摩のつくった曲という至極の教材と、詰まったりコピーできなかった部分を心底丁寧に教えてくれた志摩という最高の教師のおかげだ。ぼくはいつまでも志摩の二番手で、このふたりっきりのバンドの中での、万年平社員だった。
いつだったか、うだるような夏の日、ふたりで練習後にファミリーレストランに入ったことがあった。適当にドリンクバーを頼んで、僕らはまるで恋人みたいに鼻先を突き合わせてメロンソーダをふたつ飲み干した。
「どうして、志摩はひとりでバンドやらないの?」
ぼくにとっては、純粋な疑問だった。もしもこれが心も沈むような冬の曇りの日だったら、こんなあけっぴろげな質問はできなかっただろうと思う。
「なんでも何もないよ。君が誘ってくれなきゃ僕は今バンドなんかやってないし」
「そういうことじゃなくて。ぼくなんかとやってて退屈じゃないの?」
志摩はじっとりとガラスをつたう水滴を見つめながら、片手で呼び出しボタンをいじって黙っていた。ぼくは、ついたてみたいに立てたメニュー表を見ているふりをしながら、志摩の言葉を待っていた。
「全然退屈じゃない。僕が曲を作って、それに歌詞をつけてくれて演奏もできて、正直凄く楽しい。そんなことより、君が楽しくやってくれてるのかどうかの方がわからない。君は、ちゃんとこのバンドを楽しんでやってるよね?」
ぼくはたぶん、楽しいよ、と答えたと思う。記憶はあいまいで忘却のかなたに近づいているけれど、ぼくはあのとき、胸につかえた何かを飲み下したことを覚えている。
志摩みたいに楽しさだけで音楽につき進めるほど、ぼくは音楽が好きじゃなかった。本当は楽しいから続けているわけじゃなかったのに、ぼくは自分がバンドを続けている動機の正体を見極めきれていなかった。本当の想いを嘘の答えで塗りつぶした記憶だけは、いつだってはっきりしている。
三年間積み重ねて作り上げた曲の中で、いちばんの代表曲になったのは、結局「ひかりのまち」だった。三年間毎回出演した文化祭でも、二十人くらいしかいない体育館の中、三、四曲のセトリを披露して、いつもラストには「ひかりのまち」を弾いた。
志摩には「ひかりのまち」というタイトルの由来を伝えたことはなかった。言うタイミングを逃したまま、長いようであっというまだった年月が経ち、現金なことに、ぼくはいつの間にか、ひかりのまちというタイトルを自分で思いついたような気にすらなっていた。
三年の間に、ぼくはいくつもの作詞をこなし、それに連れて歌詞の中に自分の好きな言葉を混ぜ込むようになった。引用元は小説や漫画だったり、無料動画とか映画の一場面だったりした。まるきりそのままマネするだけでなく、多少ディティールを変えて自分を納得させながら、歌詞を醸造していった。良い言い回しや、面白い映画の世界観をそのまま歌詞の世界に流用して、自分の歌詞として志摩に提出した。
罪悪感はあまりない。だって、ぼくが引用したすべてのひとたちは、芸術で稼ぎ、芸術で認められ、芸術に生きている、おそろしくかっこいいメジャーシーンの一流クリエイターたちだ。ぼくみたいな都会の片隅の高校生がオマージュしようがなんだろうが、明日も今日も世界は何も変わらない。
ぼくの中で、「創作とはある種の焼き直しだ」という少しだけゆがんだ意識が育ちはじめたのは、そういうわけだ。志摩のように、深い素養に従って頭の中のものを再構成して自分なりの色を生み出せるような人間は滅多にいない。ぼくのようなありきたりな人間は、世間にころがっている完成品をちょいちょいといじって、自分の口に合うようにつくりかえてほくほくしているくらいが、身の丈に合っている。どこかで見たことのあるような何かを見せるたび、志摩は喜んでそれを受け入れてくれた。ぼく以上に、志摩は音楽以外に関してのエンタメについてほとんど無知だった。
ぼくと志摩とのバンドには、円満解散するその日まで、名前がなかった。
高校の卒業式の日、ぼくらは一応ありきたりな言葉をかわした。
「大学行ってもまたやろうよ」
「いいね、やろうね」
それがたぶん、解散の合図だった。志摩はたぶんバンドをやるやらないにかかわらず何かしらの方法で音楽に携わりつづけるだろうし、ぼくは惰性でギターを続けて、2,3年したら志摩に習った弾き方も志摩に教えられた情熱もすっかり忘れてしまうだろう。自分が弾きたい曲も、誰かに聴かせたい曲も、特になかった。
「じゃあまた連絡する」
志摩はそう言って、フェンス沿いに通学路の坂道を下って行こうとした。
「ありがとう」と返事をした。志摩はすこし不思議そうな顔で笑って、手をあげた。
志摩と別れると、乾燥した目をこすって、あたたかい春の午前の下を歩いた。家までの短い道のりを、ぼくはギターを背負うこともなく、必死に走ることもなく、だらだらと卒業式でもらったバラの造花を持って歩いた。肌に触れる何もかもがなまぬるかった。
あれ以来、志摩からの連絡は特になかった。ぼくも、連絡はしなかった。仮に連絡をしたところでいったい何を話すべきなのか、見当もつかなかった。
(続く)
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