うつむきながら歩いた、中学1年生の帰り路_4月8日(金)
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入学式が終わったあとに家へ帰る、新中学1年生の男の子を想像して描きました。
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小中学生のころ、わたしは家から歩いて登下校をしていました。所要時間は片道で30分ほど。親しい友人とは離れた地域に住んでいたため、ひとりで帰ることが多かったです。
当時のわたしは猫背であり、地面に目を落とし歩いていました。猫背だからうつむきながら歩いていたのか、うつむきながら歩いていたから猫背になったのかーー。どちらが先かはわかりません。
社会人になってから目と同じ高さの景色を見て歩くことが増えました。その理由として新社会人となった際に上司の方から猫背を注意され、胸を張って歩く練習をしたことが影響していると考えられます。そのため地面を見ながら歩くこと、地表ぎりぎりの世界を意識することが少なくなってしまいました。
うつむくという言葉はなにかとネガティブな意味合いとして用いられることが多いと感じていました。ただ過去の自分を振り返ると、毎日うつむきながら自宅と学校を往復した登下校にネガティブな記憶はなく、むしろ当時のわたしが目にしていた世界には発見があふれていたような気さえするのです。
小中学生の自分が目にしていた世界を知るため、ひさしぶりにうつむきながら散歩をしました。
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小中学生のころは目にしていたような覚えのある、地面に埋まった青くて丸いものがありました。10年ぶりくらいに目にしたような気がします。
調べてみる(「地面_青い_丸い_ふた」でググった)と「止水栓」というものらしく、ふたを開けると水道から流れる水の量を調節することができる栓があるみたいです(参考:水道トラブルには止水栓をチェック!止水栓とは何?)。
双子もいました。
地面から生えた目印のような赤いものもひさしぶりに目にしました。
調べてみる(「地面_赤い_四角_埋まってる」でググった)と「境界標」というものらしく、土地の境界の目印となるもののようです(参考:隣地との境界の目印となる「境界標」の効力とは?)。
抜かれた境界標もありました。地面に埋まっている部分はこんな感じになっているみたいです。セブンティーンアイスの持ち手みたいだなぁと思いました。
線路沿いの境界標はとても大きかったです。持ち主(?)の名前も記してありました。
たんぽぽ(食べかけ)。
小中学生の頃も道端に転がるお酒の入れ物を多く目にしていたような気がします。10年ほど前も同じようなお酒が転がっていたような気もします。
ゴミのポイ捨てを注意する看板のちかくは、ゴミのポイ捨てが多いように感じます。
ゴミのポイ捨てが多いからゴミのポイ捨て注意を喚起する看板を立てたのか、ゴミのポイ捨てを注意する看板の存在がゴミのポイ捨てを助長したのかーー。どちらが先かはわかりません。
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今は無線でつながるイヤホンを耳に付け、音楽を聴きながら歩いたり、動画を見ながら電車に乗ることがほとんどです。しかし小中学生のころにはBluetooth対応のイヤホンはもちろん、スマートフォンもありませんでした。そのため片道30分ほどの道のりをただただ歩いていました。
地面に埋まっている青くて丸いアレは何なんだとか、地表に出た境界標はセブンティーンアイスの持ち手みたいだとか、ゴミのポイ捨てと看板の設置のいたちごっこが何だかかわいいとか。
今のわたしのような暇つぶしのための道具がなくとも登下校に退屈しなかったのは、ひとりでうつむきながら歩いた世界には小さくて、余白がある、退屈を埋めるためにはちょうどよい発見があふれていたからなのかもしれません。
うつむきながら歩くなかで、少しだけむかしのわたしが目にしていた世界とか、当時のわたしが考えていたことを思い出しました。ただ、桜の花が咲く1週間ほどは、小中学生のわたしも空にちかい世界を目にしていたような気がします。そんなことを考えながらこの漫画を描きました。