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どんなに解決しても、悩みがなくならない理由
ひとりで解決してきた過去
私はこれまで、学生時代も、就職も、彼氏も、結婚も、出産も、自分が強く願ったことは全部くらい叶えてきた。そしてやったことがないことにも「できるんじゃないか」と飛び込むタイプだった。もちろん失敗して泣いたこともあるけれど、「なんかできるんじゃないか」という気持ちは、いつもどこかにあった。「願えば叶う。叶わない時は、強く願ってないだけ」。そういう信念で生きてきた。
人に頼るのが苦手だったので、自分で全てを解決することばかりやってきた。流れで人に助けてもらったことはあるけど、意図的に助けてもらったことはかなり少ないと思う。だからこそ社会で生きていくための能力をある程度は身につけられたし、フリーランスになってもある程度は稼げるようになった。
だけど、フリーランス生活には限界がきてしまった。大事なのは売上じゃないと口では言いつつ、売上を立てるために、やりたくないことも少しはしていた。そんなこんなで、心がすこーしずつ、静かに死んでいった。
ビジネスができる人に助けを求めたこともあったけれど、結局うまくいかなくて、自分一人で考えて行動するしかなかった。原因は今思えば「助けてもらう経験が圧倒的に不足していたから」だったけど、当時はわからなかった。ずっとひとりで叶えられるように努力してきた結果、他の人への頼み方も、助けてもらい方も、よくわからないのだ。
解決しても悩みがエンドレス
大人が甘えるなんて恥ずかしいしそもそも甘えたことがない。甘えとは悪いもの、と短絡的に思っていた。
だから人に相談するにも、本当に相談したい深い部分は話せなかった。だけどある時からできるようになった。一番最初は、絶対に人に相談してはいけないと思っていたことを打ち明けたことだった。打ち明ける時の恐怖とは対照的に、話してみたら、それはよくあることのようだった。私にとっては清水の舞台から飛び降りるようなことが、たいしたことないことだとわかった。
人前で泣くこともできなかった。会社員時代は泣きたくなったらトイレに駆け込んだ。泣き顔を見せるのは負けだから。だけど、色々と自己開示ができるようになった私の目からは、気づいたら涙がこぼれていたりもした。
それから私は、過去に感じていた苦しい気持ち、悲しかったこと、腹が立ったことをどんどん話せるようになっていった。もちろん誰彼構わずではない。セッションという形だったり、そういう話題が許される相手にだけ。
自己開示ができると、自分が握りしめていた不要な価値観や、過去に作り上げた思い込みを手放していくことができた。ただ、その時の私に大事だったのは、「何が聞きたいのかわからないような相談や、ただ聞いて欲しいだけの愚痴でも受け止めてもらったこと」のほうだったかもしれない。過去に感じたことのない安心感を感じた。
ただ、エンドレスな感じも同時にあった。不安も恐怖も、ひとつひとつは解決していくけど、永遠に次がやってきて終わらない。それはまるでエンタメのようでもあった。不安と恐怖がある毎日は飽きない。私が手放したくないのかもしれない、と思ったことも何度もあった。不安と恐怖の沼の中で生きてる、と言われたことすらある。
過去を思い出して、理由がわかった
なんとなくこの堂々巡りな状況をどうしたものかと思っている中で、ふと思い出した。
「私は待つ女じゃない。欲しいものを自分で獲りに行く女だ」。
昔は、欲しいものは自ら叶えに行っていた。今の私は欲しいものを獲りに行くなんて気概はどこかへ行ってしまった。察してほしいだの、人の顔色を窺うだの、そんなことばっかりやっている今のちっちゃい私。いったい何をやっているんだ。
そうか、今の私は、ただ甘えたいだけなんだと思った。何かを獲りに行くなんてことは全然していない。ただただ誰かをつかまえてネガティブなことをいってなだめてもらう。言い過ぎかもしれないけど、そんな毎日。
何が聞きたいのかわからない相談をしても、意図を汲み取って答えてくれる。ただ聞いて欲しいだけの愚痴も聞いてくれる。もしかしたら、ただ甘えるために悩みを作り出して、相談というていで、大事にしてもらっていたのかもしれない。それには「ネガティブでかわいそうな私」でいることは都合が良かった。
そう考えると寒気がした。こんな迷惑なことを大人になってやっていたんだ。ただ、優しくして欲しかっただけ。弱い女ぶりたかっただけ。「できない」「なんかそれはやりたくない」とか泣き言ばっかりいいながら。何やってんだ私は!!
甘えは信頼の入り口探し
でもそれは迷惑ながらも必要なプロセスだったと、あえて言うことにする。世界も自分も信頼できない中、信頼しても大丈夫な他者を探していたってことなんだと思う。どれだけ甘えても大丈夫だという安心感を、ちょっとずつ確認しつづけてきた。そうやって、安心できる人を1人ずつ増やし、安心の範囲や程度を広げてきた。それが本当に大事だった。きっと。
これから私は、以前の私を取り戻して、自ら獲りに行く気概で生きていく。ただ、前みたいにひとりで頑張らなくていい。もう、人に頼ることができる自分になった。たくさん甘えたことで、いつのまにか「新しいコマンド」を手に入れた。「頼る」「泣きつく」はもうできる。もう少しで「信じる」「応援される」「かわいく押す」とかもできるかもしれない。
これまでの「相談するための相談」から、今後は「動くための相談」ができる。私は自分は自立した人間だと思ってたけど全然違った。人に頼れることが本当の自立らしいので、孤立から自立に向かう途中には「甘え」の時期が必要だったんだと思う。
次に行ける気がする
甘えるのは、普通は小さい時にやるものだ。親に甘えたり、周りに頼ったりする中で学ぶことがある。でも私は、甘える経験が人よりもだいぶ少ない生き方をしてきてしまった。甘えなくても大人になれたし、子供を産み育てることだってできた。実際に子供たちはすくすく個性的に育ってる。
甘える経験が少ないままで生きていくこともできたと思う。だけどやっぱり、私の精神的成長のためにも、働き方のためにも、この経験はものすごく大事だった。だいぶやりきったいま、「甘えのプロセス」から出られたんじゃないかと思ってる。また甘えるためにグズグズ言う私に戻ることもあるかもしれないけど、このタイミングで文章にすることがすごく大事だと思った。
おわりに
自分の未熟な話なんて公開したくはない。でも私のように何らかの理由で甘えてこなかった人や、今も甘えられないんだよなーって人はきっとたくさんいるはずだ。そういう人に、読んでもらえたらいいなと思っています。
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「きいてかくしごと」の湯朝かりんが【可視トークや日々の対話の中で感じたこと】【自分の話を聞いてもらう中で気づいたこと】など、LINEに不定期で書いています。
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