(読書メモ)『災害の襲うとき』 自主独立への欲求を阻むもの
自分が経験したことを、自分の経験よりもはるか以前に書かれた書物を通じて後方視的に振り返ることは、奇妙な経験だ。予言書を破局が訪れたのちの未来から読み直すようなものだ。これからふたたび予言書を書くことがあったとしても、かつての予言書の焼き直しに過ぎず、予言書改訂版第二版に需要があるとも思えない。それでもなお読み直すのは、弔いの儀式のようなものなのかもしれない。叶うことのなかった未来に対して、そのとき抱いた、果たされることのなかった願いに、そのために空費した情熱と時間に対する。なんにせよ、生きることは、失われたなにかを弔うことと同義である。それを意識するかしないかは別として。
救出活動が終わり、生存が確定してから、災害がもたらした人的・物的喪失と被害に直面することになる。被災者たちにとって立ち直りへの長い過程が始まる。この時期での最大の問題は、自分の住む家と地域社会が再建されるまでの適切な避難の場が確保されることであろう。この時期には行政・官憲当局が主導権を握り、住民はみずからの再建に積極的な役割を果たすための自己主張をする必要が生じ、援助の殺到や政治的圧力などによって事態が複雑化していよう。被災体験と喪失に対応するためのストレスは続いているが、その後幾月にもおよぶ立ち直りへの苦闘の過程で、ますますフラストレーションに直面する人たちが多いのである。(197ページ)
原子力災害の後始末の複雑さについては、放射線リスクの認識の問題であると言われているが、私は、それはごく一部の要因に過ぎないと判断している。それよりもはるかに行政当局による対応の問題が大きい。上記引用箇所には、通常の災害における場合の行政当局との軋轢による問題の複雑化が触れられているが、原子力災害後は放射線災害への対応という側面から、当局による干渉と規制が天災よりも多大なものとなり、そのことがさらに被災地に対するストレスと被災を与えることになる。いくつかの放射線の値による基準とそれのもたらした混乱を思い浮かべてもらえば、理解は容易かもしれない。そして、それは被災地に数多く降りかかる基準や規制のごく一部に過ぎないのだ。原子力災害後、なにかアクションを起こそうとするたびに、行政当局の規制によって網の中でもがくような状況となる。
住む家と場所への絆は強靭なものである。(略) 「わが家」は安全・保護の場であり、聖域なのである。(199ページ)
事故後避難指示が発令され、避難による家屋の喪失を予見したとき、最初に脳裏に浮かんだのは、エリアーデの「聖なる領域」だった。うろ覚えなのだが、家屋の中心となる柱は世界軸となり、家屋は聖なる領域として区切られ、家長は祭司の役割を果たすという説を読んだ記憶がある。ラファエルの上記の言葉は、エリアーデの説を彷彿とさせるが、それを平易な、より現実的な言葉で置き換えてある。避難区域の話をするときに、都市部に住む人からしばしば「故郷のない自分には故郷喪失の感覚はわからない」と言われるのだが、私は、それは故郷のあるなしではなく、たんに経験したことがないからわからないだけだ、と思う。ラファエルの著書の中にも、それが借り住まいの人であっても避難の経験は大きな痛手となると書かれてあって、私もその通りだと思っている。自宅は、自分自身の生活空間の象徴である。すなわち自律しており、誰にも侵されることのなく、身の安全が保障され、またそこには守るべき大切な資産があり、生活の記憶もある。それらが突如、なんの前触れもなく奪われることの苦痛は、そこが故郷であろうがなかろうが関係ない。先祖代々住んでいる人は、記憶が深く、また一族のアイデンティティとも結びついているぶん苦しみも大きくなるだろうが、避難の経験による喪失は、故郷のない人も経験してみれば、ああこういう苦しさであったか、と納得できる、そういう性質のものであると思う。
一般的には人間は自主独立への強い欲求をもつものであり、すみやかに自立態勢を再確立して、自分の住居へ戻ることを望む。公共的な援助に依存することをいさぎよしとしないのである。(205ページ)
この箇所は、以前、安克昌『心の傷を癒すということ』の感想(https://note.com/ando_ryoko/n/n017e90207886 )の時にも同じような文章を引用した。これは、災害後の外からの眼差しと内からの意向が、もっとも激しく衝突するところであり、また、非被災地の人びとには理解されていないことであろう。私自身、自分をあわれな被災者であることにいさぎよしとする人には、これまで一度もあったことがない。しかし、非被災地の人びとが求めるのは「あわれな被災者」の物語なのである。失意の底に沈むか、あるいは健気に立ち向かうかの違いはあるにせよ、ベースにあるのは「あわれな被害者」であろう。そのことが大きな衝突を産むことになる。原子力災害がとりわけ難しくなるのは、こうした自主独立への欲求を阻む要素があまりに多いからだ。ひとつには先ほど書いたような、行政当局からの規制と、それから与えられる補償である。(規制が与えられるからには、補償がなくては困るのは当然であることは注記しておく。) また、科学的知識が災害後対応に必要とされることも、自主独立を妨害することになる。発災直後においては、多くの人々が必要な知識を持っていないということに対して、そのすぐ後には、決定権を住民ではなく「専門家」が握ろうとすることに対して。
『災害の襲うとき』のなかには、「自己統御の感覚」という言葉がなんども出てくる。これは、奇しくも、私が2012年に保健物理に投稿した論文のなかで使った言葉とまったく同じであった。
「エートス (実用的放射線防護文化) の構築にむけて ―ICRP勧告111に基づいた自助による放射線防護―」https://doi.org/10.5453/jhps.47.102
私は、そこで、事故後もっとも重要であるのは「自己統御感」を取り戻すことである、と書いた。災害時に多くの人が苦しむのは、物質的な損害だけではなく、自分の身体や生活、大切な人を自分で守ることができなかったという自己統御の感覚の喪失からくる無力感である。そこから立ち直るためには、自己統御感を取り戻すことが必須である。ところが、原子力災害後は、上に書いたように、行政当局の規制と専門家の指図/支配(「≠支援/助力」であることには注意すべし)によって、それらが困難になる。原子力災害という特殊な災害ゆえ過剰に集まる外部からの眼差しやノイズも、自己統御を妨害する要素に加えていいかもしれない。 避難区域の場合は、自分の生活の場に長期に立ち入ることができず、自分の生活の場が朽ちてゆくさまをなすすべもなく見続けなくてはならないことになる。こうしたいくつもの要因が、原子力災害後の災害からの立ち直りを困難なものとしていく。本来は、自主独立を願う人びとの思いとはまったく正反対へ引っ張るベクトルが強力に働いてしまうのだ。この作用に比べれば、放射線リスクの問題であったり、リスク・コミュニケーションの問題は、些少な問題に過ぎないとはっきり断言してもよいだろう。こうした観点から、原子力災害については考え直す必要があるのではないかと考えている。
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