福島復興あれこれ:復興庁の風評対策の問題点
風評については、いずれまとめたいと思っているのですが、復興庁があたらしく風評対策の有識者会議を立ち上げるということで、かんたんに現在問題だと考えていることを記載しておきたいと思います。
「SNSの専門家に知恵を出してもらい(海洋放出の安全性などについて)より効果的に伝わるための手法を検討する。特に若い人に関心を持ってもらいたい」とのことですが、これは、手段と結果を取り違えた、極めてまずい発想だと思います。
なぜ「風評」が問題となるのか。第一、かつ最大の問題は、それが「経済的被害」につながるからです。
なぜ経済的被害が発生するのか。これはかなり複雑なプロセスがかかわっていますが、かんたんにまとめると、以下のような道筋になります。
リスク事象が発生する
→公衆がリスク事象に関連する物品への忌避感を抱く
→消費者に買い控えが発生する/流通ルートで買い控えが発生するのではとの危惧が強まる
→価格低下・販路が縮小する
→流通の忌避感が強まる
→販路の縮小が固定化する
→風評被害の固定化
ここで情報が大きな役割を果たすのは、初期の消費者に買い控えが発生し、流通ルートの危惧が強まるまでです。その後は、むしろ流通ルートの販路確保・再開のほうが主要な課題となってきます。経済的被害を抑えるためには、販路確保のほうが重要な要素になるということです。
現在は、「風評被害の固定化」のフェイズにはいっており、ここで情報の果たす役割はないというわけではありませんが、限定的なものになると思われます。
公衆のリスク認知までは、社会心理学的な現象になりますが、そこから購買行動にどう結びつくかは、行動経済学的な現象となり、流通の問題になってくると経済現象です。
こうした分析がまず復興庁はできておらず、「情報発信」一辺倒で、情報が行き渡りさえすれば風評がなくなるかのような発想になっているところが、まず救いようがないようです。重要なのは、経済的被害をなくすこと、軽減することであって、情報発信そのものではありません。現在の状況では、情報発信が経済的被害軽減につながるのか、その確認がまずできていません。
風評被害については先行事例がないわけではなく、むしろ豊富にあるといえます。参照すべきは、過去のBSE問題による牛肉買い控えや、O157によるカイワレ大根の価格低下であったり、あるいは所沢ダイオキシンのほうれん草問題、東海村のJCO臨界事故の際の風評などであろうと思います。
食品安全の分野においても風評は大きな課題となっており、日本では消費者庁あたりにはこの問題に詳しい方は多少はいらっしゃるのではないでしょうか。そして、おそらくは情報発信のみでの解決は難しいということもご存知なのではないかと思います。(知らないとしたら、それはそれで問題だと思いますが。)
また、出口をどう設定するかも風評対策の核心ともいえるのですが、風評を「ゼロ」にするのは、過去の事例から考えてもまず無理です。時間が解決する側面は大きいですが、お尻を切っていつまでに風評をなくす、ということは不可能である、と認識したほうがいいです。
「交渉分析」の分野では、論点を一つに絞った「配分型交渉」と複数の論点の間に関心の強度がある「統合型交渉」の交渉型の種類があります。論点がひとつしかない場合は、利害が直接的に対立するため、交渉はだいたい失敗します。論点が複数にある場合は、それぞれに関心の強度があることを利用して交渉をまとめる可能性が高まります。(ここは大学院の講義で学んだ内容ですが、自分のこれまでしてきたこととぴったり一致するので、そのまま引用させてもらいました。詳しくは、以下の書籍に記載されているのではないかと思います。)
「風評を起こす」「起こさない」という論点対立になると、まず100%失敗することになると思います。これは、処理水放出の「理解を得る」「得られない」問題でもそうです。権威主義的な日本社会では、こうした不毛な対立構造に陥ることが非常に多く、そのことによって事態が硬直化し、ますます解決不可能になり、結果対立が激化し、どうしようもなくなる、ということを繰り返していると感じています。
加えて復興庁は、時限付きのプロパーのいない省庁であるせいもあると思いますが、とにかく、過去の事例を参照しないで金にあかせて思いつきで突っ走って、かえって被害を拡大させる方向へ向かっていると感じることも非常に多いです。今回も、情報発信のしかた次第では、逆に経済的被害を大きくする危険性があるということを認識しているのでしょうか。
予算がなければ、ここまで突っ走ることもできないので、失敗政策による被害も限定的で済むのですが、予算があるばっかりにひどい政策の悪影響が取り返しのつかないレベルで拡大するので、始末におえないです。