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夢の芽/あんでれれの畑

今年は夢の芽を育てていきたい。

芽といえば植物ということで
以前、あんでれれの畑という名前で
耕作して野菜などの収穫物を販売する、
農作業受託のフリーランスをやっていた。

主力商品が黄色のミニトマトだったため、
あんでれれの曲のロゴマークも
黄色のミニトマトを
イメージしたものになっている。

当時は黄色のミニトマトが
割と人気で100坪の極小面積の収穫量ながら
おおよそ100円のミニトマトのパック詰めが
一日100パック以上売れることも結構あった。
販売先は近くの道の駅など。

ある人とトラブルがあり、
そのトラブルのせいで病気になった。
そのトラブルが無ければ、
自分は統合失調症にまでなってない。
と思う。

当時、自分は統合失調型パーソナリティー障害だと
思っていたが、診断名は自閉スペクトラムであり、
統合失調症ではなかったのである。

統合失調型パーソナリティー障害と類似点が多く
そのことを当時の主治医に聞いたけれど、
自閉スペクトラム症に含まれるそうである。

当時、統合失調症の人が服薬するような
抗精神病薬を服薬していたから、
自身でも自身の障害を誤解していたときもあった。

しかし、まあ人から思われるのは
そういうスピリチュアル体質の人って
いますからね、とか、その程度だった。

当時、はっきりとした幻覚はなく、
変に疑り深かったり、ちょっと変な人と思われる
ような行動をとったりすることはあるが
日常生活に支障があるのは、
人とコミュニケーションをとることのみであった。

やはり人とコミュニケーションが上手くとれず、
特に感想を求められるときが苦手である。

小学生から特に自分の変な所は
何も『思わない』所であった。
小学生の勉強くらいなら『考えて解答する』
ことはできる。が、何故か感想を持てない。
『思うこと』ができなかった。

小学生は割と勉強できるほうで
調子付いていたところもあった。
しかし、『思うこと』ができないから
感想文が苦手だった。
算数が割と好きな方で次に理科。
絵は入賞したこともあった。
運動音痴だった。

『思うことができないこと』は
小学生の頃は全く問題にならなかった。
何故かというと、理屈で考えることが
できていたからだった。

中学生はそれ以外の理由で不登校。
主に病気によるものだ。
酷い状態だったが、それは真夜中しか
起こらず、昼間起きてきてしゅんと
おとなしかったので、親も手を焼いていた。
病院に行くことを拒んでいて
行こうとしなかった。

酷い状態が2年間続き、
3年目は流石にそこから急に通うのは
抵抗があって行けなかった。
当時ガリガリだったことを覚えている。

そのまま高校に進学することになるのだが、
そういう不登校受け入れの高校に通うこととなる。

この頃に出会った人で
自分が変わるきっかけとなった人が、2人いる。

自分が『思う』ようになったきっかけが
そこにあるように思う。

ひとりは日本画家。
ひとりはあんでれれの名付け親である人。

自分が受け容れられ
心から良い人だと
『思った』のは初めてだった。

ここから、何かに導かれるように
自分の物語が進んでいった。

夢の種が播種され
芽を出したのはその時だった。




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