得意なことと好きなことは違うって気付いた連休3日目

煮魚はね、友人によく「料理上手いね」って言われるのね。そう言われる程、いつ腕前を披露したかは謎なんだけど、確かに一人暮らしの友人の家に行ったら台所に立ってたし、合宿とかBBQとか、みんなで調理って場面だと先陣を切ってたような気はする。そして、本名晒してるSNSでは子魚用の弁当画像とか一人飲みのおつまみとかアップして「煮魚ちゃんの料理また食べたーい!」とコメントしてもらって、にへへ、となる。イイネの数よりも、こういう個人的な感想が最も承認欲求を満たしてくれたりする。ちなみに、何の気なしにFacebookの某公開グループに料理画像をアップしたら300以上もイイネが付いて、びっくりしてもう二度とアップしないぞと思ったね。自分は気軽にイイネするんだけど、されるのがこんなに負荷だとは思わんかった。友人限定の中で6~9くらいのイイネがつくのが、煮魚の心地よい環境だったりすると気付いたよ。

さて。なんでこんな事書き出したかというとね、連休に突入して子魚が実家に泊まりに行って一人きりになって、料理作るのが激めんどくさくてたまらんのだよヤマトの諸君。3日間、ヨーグルトとオールブラン、カップ麺と野菜ジュースで過ごしたよ。正直、子魚が巣立ったら台所の小さいワンルームに引っ越して、自炊しない粗食で過ごしていってもいいかと思ったくらい。じゃあなんで煮魚が料理作るかって考えたら、それは「誰かのため」ってことなんだって気付いたんだよね。

煮魚の母親は料理がとっても上手な人でね、若い頃は小料理屋もやってたんだって。で、それなのに母親が倒れて、きょうだいが9人もいたのになぜか煮魚の母親が実家に戻るハメになったらしく。多分そこが、煮魚の母の恨みポイントで、拗らせポイントだったんだと思う。煮魚の子供時代の食卓を思い出すと、煮魚の母親は大の魚好きで、鯛の尾頭付きは正月以外でも良く出ていたし、そもそも「活きのいいのが手に入ったから」って理由がメニュー決めの最上位だったから、エンゲル係数高かったんじゃないかな。昆布巻き、茶わん蒸し、鱧のお吸い物、キスの天ぷら、伊勢海老の味噌汁、鯉こく、太刀魚の塩焼きとかが、ぱっと思いつく家庭の味。小さい頃からきびなごを刺身に開いたり塩焼き用に串刺しにするのとかさせられてたし。で、自分の腕前が超級なもんだから、娘が家庭科で料理を覚えて家で披露しても、ディスるしかしないのよ。あと、実家のごはんは圧力鍋で炊いてたから、炊飯器で炊くご飯のことも異様に馬鹿にしてた記憶。煮魚の実家には、炊飯ジャーが無くて保温用のジャーしかなかったよ。そんなんだから、自然と自宅で台所に立つことはしなくなったよね。そして、自分しか台所仕事はできないってのが母の絶対的アイデンティティだったから、Win-Winだったと思う。彼女がよく言ってた「お父さんは外食行こうって言ってもお母さんのごはんの方が良いっていうから出かけられない」というのが、心からの愚痴だったのかマウント取ってたのかは、今となってはよく分からん。多分後者だとは思うんだけどさ。

煮魚は小中通して、いじめられっ子だったのね。で、この時期の家庭科の調理とか林間学習のカレー作りとかは、キラキラ系センター女子の出番な訳じゃん?煮魚は枯れ枝拾ったり残飯片付けたり皿洗いとか、そっちばっかしてたよね。大学生になって、周囲に一人暮らしの友人が増えてきたとき、友達の家に呼ばれて色々作るようになったのが、煮魚が料理始めるきっかけだったと思う。相変わらず自宅では全然料理してなかったけど、「煮魚って実家暮らしで彼氏もいないくせに料理上手いよね。他の実家暮らしの子は軒並み料理下手で、上手だなと思ったら彼氏に作ってあげるから、とかだもん」という親友の言葉にへー、よく観察してるなあと感心したものだったよ。料理は女の仕事、ってのがまだまだ当然だった時代と地方だったから、慌てて料理教室に通う子とかもいたように思う。

煮魚は大人になってから行ったパン教室以外はそういうのは通った事なくて、全部、母親が語っていた蘊蓄を思い出して、それらを実行しているだけなんだよね。そして、母親嫌いなので、当然そうした影響を受けている自分が、たとえ+の面でも影響受けてるのが嫌でたまらなくなるのね。でもさ、寝込んでる友人にお粥作ってあげたり、誕生日にディナーをふるまってあげたりは嫌いじゃなかったし、美味しい美味しい言われて本当にうれしかった。そんな積み重ねで、いつしか煮魚にとって「料理をすること=好意を示すこと」になっていってたんだよね。それが、結婚してから料理をすることが業務になっていって、しかも結婚相手が「食いもんなんて栄養が取れればいいからまずくなければそれでいい」とか言っちゃう人で、美味しい時は無反応でも美味しくない時は必ずコメントするって人だったから、本当にしんどくなってきて。そんな中でも、子魚たちが育っていく中で、離乳食づくりとか大喜びするメニューを見つけるのは、とっても楽しかった。運動会や遠足の弁当を作るのも楽しかったし、一家を構えて、年越し膳やおせち料理を作るのもとっても嬉しかった。日本文化の継承!ってのもあったし、何より得意だから、アイディアが色々湧いてくるんだよね。自分の出来る範囲で創意工夫を凝らしてそれを喜んでもらえるのが、本当にうれしかったんだ。

で、ここへきて、自分一人の食事と向き合う日々を迎えて、本当にどうでもいいと思ったんだよね。料理に手間暇かけるくらいならYouTubeでカズレーザーにキャッキャしてる方が何万倍もいいわって素で思うし。ゴロゴロして本読みたい。思いついてふらっと散歩に出かけたい。お金は節約したいから、本を買ってしまった分は食費を削りたい。洗濯は晴れ間を見てやらなきゃならないし、他の家事はもっと好きじゃないけど掃除もしないと心が荒むし不衛生。一番手を抜けるのが調理だよねーって思ったら、心底やる気が無くなった。

そして今更ながらここへきて、はたと気付いたわけよ。自分は、料理は得意だっただけであって、好きじゃなかったんだと。自分が求めていたのは自分の親しい人が喜ぶことであるんだと。自分はお金持ちでもなくてプレゼントのセンスも良くないし、何か飛びぬけた才能があってそういう方面で喜ばせてあげることが出来なかったから、その中で唯一まともにできる料理という手段を使って喜んでもらおうと思ってたんだと。
そう考えると、いろいろ合点がいくんだよね。結婚してた時は色々辛かったから、家事の中でも苦じゃない調理だけをやってたけど、そのせいで他に手が回らなくていつも散らかってて、不衛生だった。だから子魚たちは父親から「お前たちのお母さんは掃除が下手だからああなっちゃいけないよ」とか言われてたし、煮魚がやらないから他人くんが掃除するときも、「ちゃんとやり方見ておけ」って、正座して他人くんが掃除しながらレクチャーする体でガミガミいうのをぼんやり聞かされてた。
だけど今はね、苦手だから掃除だけはしてるの。引っ越した先のフローリングが白で抜け毛とかホコリが目立って仕方ないから渋々ってのもあるけど、トイレやお風呂も放置してるとおえぇってなるのが嫌で、とりあえずそれだけはと思ってやってる。だから、他人くんは煮魚の家が足の踏み場もなく汚れていると想像してるかもしれんけど、そんなことは無いんだよね。

煮魚が大人になったのか変わったのか分かんないけど、苦手なことこそ先にやっといた方がいいし、やりたいこととしなきゃいけないことは違うのも理解出来てきた。そして、自分の中の優先順位で、やりたい事としなきゃならない事をバランス良く振り分けることが大事かなってのも、なんとなく分かってきた。そして自分は優先順位を付けるのが下手なのも分かってきた。その中で自分にとっての「料理すること」を見つめなおしたら、表題の「得意だけど好きじゃない」ってことに気付いたのね。自分が好きなのは、読書と、歌うことと絵を描くこと。そして後者二つはど下手だけど。そして今まで「料理?うん、好きかな」とか答えてたけど、それはもうやめようとおもんだ。そして、好きじゃないけどできるのは、好きな人のためにやってるからなんだよっていうのをアピールしようかなと思う。子魚、分かってくれるといいけど。

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