障がい者の母として小山田問題についてコメントしてみる

なんか、色々なんやかんやで波乱の五輪だねえ。

実は、こんなタイトルで書きだしたくせに、煮魚はチェンジオルグの「METAFIVEの2nd ALBUM「METAATEM」発売再開を求めます」に賛成のポチをしてしまったおw知らない人に説明すると、小山田さんが参加してるバンドのアルバムが発売中止になったってことなのね。ま、ワーナーの気持ちとしては、分かる。で、賛同者のコメント見て同じような内容があったから、自分ももっと掘り下げてみようかなって気になってここに書くことにしたよ。買ってもないくせにムキー!的な発言はどうなの?と思ったけどさ。

煮魚が良くないなー、と思ったのは、2点。
聞いて良い悪いをジャッジする以前に、こんな人の作った歌は聴きたくない買いたくないって理由もあると思うんだよ。ただ、抗議としての「不買」をするためには、販売されてなきゃできないんだよね。ある意味、抗議したい人の「不買」という意志表現を剥奪されてしまったような気がしないでもない。最初から興味ない人、嫌いな人は当然買わないにして、このタイミングで販売されて「本当は買いたいと思っていたけど買いません」って人が出ることで、売り上げに反映されるでしょ?それが、民意というもの。元々のファンですら、ちょっとどうなの?と思ったか、いやいや、それはさておき素晴らしい作品!となるか。そこを知りたい気もする。更にこれは小山田さんだけの音楽、作品ではないから、他の人のファンとしてはがっかりだよね。他の人のファンの中にも、「これじゃ仕方ないよね」って思う人とか、「とばっちり!」って怒る人とか、いると思う。

そしてもう一つ。抗議を受ける前にワーナーが発売中止を決定し、それに何の理由も付けていないこと。これは、企業としてチキンすぎ。そして、販売中止を決めたのが小山田問題であるならば、それをちゃんと記すべき。「出したらフルボッコされちゃうの分かってるから撤回するよ」って本音をもちょっと丁寧な言い回しで言うとかした方がよかったのに、と思う。ね、ね、みんなの気持ち分かってるから説明はしないけど察してよ、的なのはどうにもスッキリしない。自然消滅を狙ってるみたいな姑息な別れ方と似ている気がするんだよね。ここのところは、かまってちゃんとか匂わせが嫌いな煮魚的な考えだなーと思う。煮魚自身はコンテクスト低めなので、出来る限り自分の気持ちとか考え、状況を言語化したがるから、それも関係するのかなと思ってる。そして、時代はローコンテクストへ動いてる気がするんだよね。これは、日本の言語文化と相反するから大変かもしれないけど、若い子なんかずいぶんはっきり言うようになってて、これがKYとかの発祥に繋がるのかなーなんて思ったり。

あ、話それちゃった。ごめんじゃん。

煮魚は、降板騒動で初めて小山田圭吾が五輪に関わってたのを知ったので、そりゃーもうたまげたね。五輪だけじゃなくて、パラもでしょ?もうね、「いけしゃあしゃあ」とか「盗人猛々しい」「二の句が継げない」「よくもまあ」とかの言葉が次々に脳裏に浮かんだよね。流れで、花登筺のドラマも思い出しちゃった。なんか、出てきそうなセリフじゃない?そして、多分花登筺知ってる人なんかこれ読まない気がするけど、ごめん。
もう15年近く前、2ちゃんねるの既婚女性板の芸能人の噂スレッドで定期的に出てくる話題で、記事のコピペも何回もされてて、そのスレでは一般常識レベルだったのね。ま、それが世の常識じゃないから今回、こんなことになった訳で。自分の常識は世の常識じゃない、ってのを自覚しておかないといけないなあと、改めて思ったり。だからこそ、自分にとって当然、のことでも改めて発信してみたり、そこで反論や修正を受ける機会があると、自分がアップデートできる機会になるもんね。
当時のスレッドでも、やっぱり子の親になったら受け付けない、みたいなコメントをよく見かけてた気がする。

で、冒頭に戻るけど。ある芸術家がいて、その人の人間性込みで作品に影響を与えるか、作者の人間性は分離されて作品単体が評価されるのか。これって、音楽は割と前者で、絵画とか陶芸とか書とか美術作品は後者になりがちかなあというのが、煮魚の印象。もちろん違うことってあって、音楽でもクラシックとかだとあんまり人間性がどうとかは語られないよね。モーツァルトぐらいになると映画にもなったから人間性はちょっと…って思った人もいるだろうけど、時代が離れすぎてて、人間性のエピソードが既に確立している作品の評価を揺るがすことはないし。
で、現代に生きてる人がやらかしちゃうと、どうしても前者になっちゃうよね。例えば、コブクロさんたちなんか二人揃って不倫かよ!みたいになったし、何だっけ忘れちゃった、ベッキーとごたごたした人とかも、完全失速したよね。多分、やらかしたアーティストを好き、聴いてるっていうと恥ずかしいし自分が批判されるんじゃっていう気持ちも働いているのかなと推測。そうなると浮動票が獲得できないしね。音楽ジャンルは特に浮動票をどう取り込むかがセールスだもんね。あと、話それるけど、だからかな、コブクロの新曲がびっくりするくらいテイスト違って笑っちゃったwしばらく恋愛の歌は書けないよね、だからこう来たのか…とか思って、嫌いなんだけどまた歌詞読んで考察しちゃった。なんか言い訳ぽくってハイハイ、みたいな感じで煮魚的にはナシだね!

また、脱線しちゃった。
で、無理やりまとめるとね。小山田圭吾は大嫌いだし、ほんと、目につかないところに引っ込んでほしいと思うけど、目につかない場所で生活して活動してって分には、全然いいと思うのね。ファンがいるのも分かるし、あなたの好きが私の嫌いだったとしても、それは「あなた」の評価を左右するものではないし。そして、誰かを攻撃するのなら、自分もそれなりの覚悟を持つ必要があるってこと。そして、好き嫌いを表明することと、攻撃することも違うということ。色んな世の中の事象や人たちの行動を、丁寧に分析して考えて行動しなきゃなあ、と、今回の一件で思った次第。
小山田圭吾は裁かれなければいけないけれど、その裁かれるべきフィールドはどこか、ということ。
こうしたことを丁寧に考えることが、自分の生き方に繋がるのかなあ、と思って、書いてみたよ。


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