被害者と加害者の境目、依存と独断の間
久しぶりに書くよ!どうして長らく書いてなかったかというとね、お仕事で公式Twitterとか公式Facebookを任されてね、そっちで書くことが増えてたの。で、それで書きたい欲求が満たされてこっちを放置してた、みたいな。
でも、そっちって表向きのいい子ちゃん営業用の自分な訳で、そのギャップが溜まってやっとこっちに戻ってきたよ。
で、お題。DV関連のツイートをよく見ることがあるんだけど、そこでいつも考えさせられるの。で、これは避けられないというか、きちんと書かなきゃと思ってたことなんだけど、元夫が荒れ狂ったのにも原因があって、それは煮魚が彼に対してとても失礼だったからなんだよね。
お付き合い始めた頃、捨てられたくなくて縋って縋って、一緒にいてくれたら何でもするから行かないで!って、言っちゃったんだよね。もう嫌だ別れたいって、当時の元夫は言ってたのに。で、それがあるもんだから、その後元夫が暴言吐こうが、朝まで怒涛の説教大会をしようが(私は正座で3時間聞き続けるとかザラだった)離婚しなかったのは、ひとえに「彼を怒らせたのは自分、毒親から救ってもらって感謝してる」って意識があったからなんだよね。だから、クズとか殺すとか言われても、耐えてた。もう無理、って思うリミットが17年だったんだろうね、煮魚の場合は。
で、こっからよ。心の痛みは量で測れないからさ、やり返されたとしても、どれだけやり返されたらそれが「等価」なのか分かんないんだよね。で、元夫の攻撃の間に、私もプチ反撃をするのね。時々、プチレベルじゃない反撃も、あった。そうすると更にそれをネタにやり返される訳でさ。自分の中の「悪かったのは自分だからこれだけは耐えなきゃ」の耐えなきゃポイントがどんどん増えてって収拾つかなくなっていったんだよね。
ただ、これは私と元夫、夫婦としての関係。よくよく考えれば、面前DVという観点が自分の頭にあったのなら、さっさと逃げ出してればよかったんだ。これ、大事。今でも本当に失敗したと思ってること。そして、怒鳴り散らす父親とそれを食い止められず時には子に八つ当たりするような母の下で育った子魚たちが、自己肯定が低く、自身で決断ができる人になってないかが、とても心配。下の子魚なんかまさにそう。口癖が「なんでもいいよ」で、いろんなことの決定権を母親に委ねるんだ。
「DV加害者の特徴に、〇〇させられた、が口癖で、自己決定をしない」って書き込みを見て、ぞっとしちゃったよ。元夫も「お前が怒らせた」とか、自己の感情までも他人のせいにする人だったから。幸い、下の子魚は絶賛反抗期で全然喋ってくれないから、これ幸いと距離を取ってるんだ。そうすると、色々考えてるのか、節目節目で「〇〇がしたい」とLINEが来るから、それに対応してあげてる。自己責任だと突き放す以前に、自分で決断することさえしない事の方が大問題な訳で。そして、自分で決断したことの結果を受け止めることが親の支えなのかなあと、最近思うようになったんだ。結果をコントロールするために指示するんじゃなくて、子の下した結果を受け止めてフォローするのが、親の務めなのかなあって。依存されっぱなしよりは、独断の後始末をする方が、親としてはやりがいがあるのかもしれないって気がしてきて。だから、親としてあちこちに頭を下げることがあったとしても、それはきっちりやろうって思えるようになったんだ。だから、子魚が不登校や塾を変えるとかで、一見は本人の我儘で親が出なきゃならない場面が出ても、本人を責めることなく頭を下げて回れることができたよ。これは、離婚して成長したからだったと思う。結婚してたままだったら、本人を怒鳴り散らしてたように思う。
またちょっと脱線しちゃったけど。話を加害と被害に戻すとね。
よく、分からなくなるんだよ。別れたいって言ってたのを無理にお願いして繋ぎとめて、そもそもがこの結婚の発端だったとするならば、悪いのは自分じゃなかったのか、って。入籍前に妊娠したのも、子どもつくろっかって言ってもらえてうれしかったからなんだけど、後で「子どもさえできれば別れる気がなくなるだろうと自分の気持ちを殺していた」みたいに言われてもう、なんかね。白くなったよね。それが本心なのか、その時思いついたフレーズなのかは知らんけど。小説を書いたりしてた人だったから、かっこいい言い回しとかが大好きな人だったしね。キレながらも「あ、こいつ今俺かっこいい事言ったって思ってるなー」ってのが分かるときが、しょっちゅうあるような人だったし。とにかく、自分が先に「加害者」だったのかなって思いが、今もくすぶって、実は大手を振って「DV受けてました」と言い出せないところが、ある。いや、どう考えてもDVでしょ、って思うんだけどさ。離婚のどさくさの最中、元夫が「俺がお前をDVで訴える!」って言ったときに「は????」って思ったけど、相手からしたらそれも一理あるのかな、とか、自分の考えがぐらぐらして定まらない。
ただ、大事なのは自己決定。自分が決める、それを誰かのせいにしない
これが真理だと思ったから、子魚がいくら反抗期に入ろうと、それを喜んで、その自己決定を尊重してあげよう。自分の過去については、今でも思いが揺れる。誰も助けてくれなかったのは、誰の目から見ても自分は被害者じゃなくて加害者だったからなのか?とかね。
でも、過去をぐずぐず思いめぐらすのはさておき、これからの子魚に、少しでも安心要素を増やしてあげられるように、子魚たちの独断を支えてあげたいなあって、思ったんだ。