毒親であることに感謝する矛盾
いろいろしんどいなー、不幸だなーと思う事はあるんだけど、なんだかんだで自分に向いている仕事を選んで、母子二人で細々と生活していけてる。
これが、煮魚の生まれ育った田舎だときっとそうはいかない。だって、今の仕事って煮魚の田舎にはそんなに無いんだよね。あっても、きっと今ほどのお給料はもらえないだろう。
何時に帰宅しても誰も怒鳴らない、責めない。気が向いた時に出かけられる。まあ、今は時節柄どこにも出ないんだけどさ、それでも、あれ無かったよなって夜中に思い出して24時間営業のドラッグストアへ行くのでさえ、結婚しているときは言い出せなかった。いや、言って出かけてはいたけど、怪訝そうにされたり、ついてこられたりとか。一緒にいたいからじゃなくて、明らかに監視している体でさ。とにかく、生きているのに肩身の狭い思いをしなくて済むのがサイコー!
願わくば、子魚たちもそう思っててもらえたらいいな。
子って、結局扶養される立場だし、未成年だといろいろ規制がかかる。しゃーない。こっちも、裕福ではないので中々思い通りにさせてあげることが出来なくて申し訳ないけど、それは子どもだからなのではなくて、そういうもんなんだと分かってもらいたい。お金の壁って、どうしても存在する。でもせめて、その限界の中にあっても、創意工夫試行錯誤で、人生の選択肢を考えてもらいたいんだよね。
個人の自由ではあるんだけど、諦めない事が賛辞されすぎるとさ、いろいろ面倒くさくなってるなーって、煮魚的には思うんだよね。仕事も諦めたくない、子供も欲しい、お金も欲しい、自由も欲しい、ってさ。
むりむりむりむり、どっかで犠牲になる瞬間・時期ってあるよ。我慢しなきゃならん場面なんて生きてれば山ほどある。不条理な我慢は良くない。でもさ、妥協とか諦めも、大事だよなと思う。
話がちょっとずれちゃったけど、煮魚の親の話ね。煮魚は兄がいたらしいんだけど、煮魚が生まれる前に他界してるとかでさ。結果、一人っ子な訳で、それも災いして親に縛り付けられて期待通りに生きるハメになった。ま、あるあるだよね。ストレートで地元国立大に行って、ご近所さんから「くいーんちゃんのママは子育て成功していいわねえ」なんて言われて親が鼻高々だったのもイラっとしたよね。いやいや、頑張ったのワイやでっていう。
土地や財産がまああったもんだから、札束で顔叩くみたいに、親の面倒さえ見て生きていけば楽できるんだから、って言われて育ったんだよね。大学へ行くことは自立のためでなくて、親の名誉のため。親子喧嘩の最中によく言われたのは、「あんたが親になったとき、どうするか見ていてやる。同じことを子にされた時、あんたの子に『おまえの母さんも子どもの時同じだったんだよ』って言ってやる」みたいなことでさ。そんなの聞かされて育ったら、あんたの前で絶対子育てなんかしてやるもんか、同居なんかしてやるもんかって固く誓うよね。桃園の誓いよりも固い。
そんな親だが、自分の親には腰が低かった。めっちゃ色々振り回されていた。煮魚の、父方母方双方のじーさんばーさんを世話したのは煮魚の親たち。父母ともきょうだい人数は多かった。でも、世話をしたのは煮魚の両親。他の兄弟はみんな、田舎を出ちゃってたんだよね。多分、貧乏くじ引いたって、二人とも思ってるはず。そこで挽回したいって気持ちが強くて、結果、どっちもがそれぞれの両親の遺産を継いだ。で、その遺産で、煮魚を縛り付けようとしたんだね。まあ、ある意味努力の結果得たものと言えるかもしれんけどさ。
負の連鎖は続いてて、煮魚も、思えば結婚するとき、私と結婚したらもれなく田舎の不動産と財産がついてくるよ的な言い方をして、釣った。で、それに釣られて、というか、結婚するメリットにそれを計算して結婚してもらったようだった。一応結婚したその時は自分のこと好きで結婚してもらえたと思ってたんだけど、なんか違ってて。離婚する何年か前に、親が資産繰り上手くいかなくなって、自己破産こそ免れたけど持ってる資産を殆ど手放しちゃったんだよね。それを告げた時、「話が違うだろうが!俺に金が入ってくるって話じゃなかったのかよ!お前騙したな」って言われてさ。ああもういいやって、思うよね。
未成年時代は親にびくびくして縛られて。結婚したら夫に頭が上がらずに「お前みたいなのは社会に出て通用する訳ない。クズ。虫けら以下」とか言われ、パートをそつなくこなしたら「周囲をだますのだけは上手」と言われ、車に傷がついてるのを発見したら「お前に恨みを持ってるやつが傷を付けに来たんじゃないか」とか言われ。こんな結婚生活でも我慢して続けていたのは、何よりも、親が頼れなかったから。
親との仲が円満であれば、ごめん、辛い助けてって言って、子ども連れて夜逃げしてたよね。でも、こいつの前で子育てしたくないっていうのと、夫の実家がそこそこ金持ちって知った途端手のひら返しして結婚後数年してからやっと他人くんにまともに挨拶した煮魚の親が言った言葉。忘れられないよね。「躾のなってない子ですから、言うことを聞かない時はどうぞ殴ってやってください」って、言ったんだよ。そしてこの言葉は、結婚期間中ずっと、呪縛だった。ことあるごとに「俺はお前の親から、お前を殴っていいって言われてるんだからな」ってね。
こんなんだから、実家頼る訳ないよね。
だから、何年も何年もかけて。子魚たちを抱えてフルタイムで働けるようになるためにはどうすればいいか。そのための訓練を積み重ねていったよね。おかげで、障害のある子魚は、育て切った感がある。結果として置いてっちゃったんだけど、人にお願いしても構わないくらいの、比較的手のかからない障がい者になっている、と思う。障害児捨てて健常の子だけ連れて出て行った鬼母って思われてるかもしれんけど、まあ構わんよ。
大事なのは、自分の中の平和と安定、自尊心だからさ。親に、夫に、散々踏みつけられて強くなった分、ちょっとの誹謗中傷じゃどうにも傷つかないね。
今はとにかく、仕事一徹。どうやって利益を出そうか、どうやって社会に貢献しつつ収益を上げるか。そんなことと向き合う日々。で、これが毒親じゃなかった場合、あっさり田舎に帰って、田舎の閉鎖的な環境を呪いつつも、とりあえずその閉鎖的な環境内で何かの仕事をして、生きてってたんじゃないかと思ってる。ま、でも親子関係が良好なら、家庭生活に主軸を置いてそれなりに幸せを見いだせてたかもしれんしね。ボランティアをする余裕もあっただろうし。余暇は各段に、充実して過ごせてただろう。自然豊か、ほんとうに素敵できれいなとこなんだ。煮魚の好きな時代の史跡も多いし、住んでたら毎週末が楽しくてたまらないとこだったと思う。
経済的な不安を抱えても、地元を離れて都会で仕事を探すとかは、多分、毒親を頼れないという、背水の陣だったからできたこと。
あああ、今、心底「背水の陣」の意味を噛みしめてるよね。
だから。どんな黒歴史でも。どんな惨めな生い立ちや経歴でも。今が笑えればいいのだ。笑える今を切り開く、自由な今を得るために。
これを読んでいるあなたの今が、笑顔を伴う日々でありますように。
そして、もしそうでないならば、そうなる一歩を踏み出せますように。
そう願ってやまないのです。