それでも母を許せない自分~【書評】「愛という名の支配」田嶋陽子
煮魚はね、読みたい本は基本的に図書館で借りるのね。で、これは買いだなと思ったものは買うようにするのね。定価で。大人になって、チョサッケンとか、定価で本を買う事の意義とか理解できるようになってきたから、あまり古本屋には行かないようにしてる。それでもたまーーに行ってしまうのだけど。で、買っちゃったのがこの本。
表題の本ね。
実は3週間前に図書館から借りていたのだけど、借りたことを忘れていて、図書館からのはよ返せメールで気付いて慌てて冒頭を読んだのだけど、そこで衝撃を受けたのね。田嶋先生が書いていることを要約すると「母は毒親だったけど、フェミニズムを理解したら母も男社会の犠牲者だったと分かり許すことができた」みたいなことが書いてあってさ。えええ。煮魚、許せないよ。上野千鶴子先生の本とかも読んだし、自分はフェミニズム系の考えをするタイプだとは思うけど、だからってされたことは忘れないし、にこにこ優しくなんてできないよ。
たった一言の「言う事聞かない時は殴ってやってください」から、十数年苦しめられたんだよ。親と元夫の板挟みになって、半ば騙し討ちするみたいに元夫に実家の保証人になってもらったのに、ハンコもらったらそれっきり、何の連絡もよこさない。それで「お前の親は礼もない」ってネチネチいびられ続けて、金寄越せって言えって脅されても、そんなことで連絡するのも嫌で、ずっと結婚生活続けてきたのに。数年ぶりに連絡して泣いて現状を訴えた時「あんたは可哀想だね」とぼそっと言っただけだったこととか。「パソコンとかゲームばっかりしてるから息子が障害児になるんだ」とか「息子の人権を考えるなら養護学校には入れないで」って手紙してきたこととかさ。もう、アウトっしょ。挙句、物件の売却が決まった時に、何も言わず突然饅頭に十万円だけ包んで送りつけてきて。それを見た元夫は「俺の物になるはずだったのに勝手な事しやがって!」と切れて封の上から十万円を破ってたよww なんか色々思い出したから、これはまた別の記事で書くことにするね。
さてさて本題。この本にはいろいろ煮魚的衝撃なフレーズがちりばめられててね。もう一つは「養われることの屈辱がフェミニズムの原点」って部分。これ、めっちゃ分かるのね。子供の頃にずっと思っていた「自分は養われているから言う事聞かなきゃいけなくて納得いかないことさせられたりしてるけど、お金さえあればこんな奴の言いなりにならないのに」ってのが、まさにこれ!なんだけどさ。でもさ、煮魚って障害児の母なわけよ。とすると、「養われさえすれども養うことなど一生できない存在」ってのを身近に感じててね。そうなると「養われることの屈辱」って言葉が、辛くてたまらんのよ。もちろん、田嶋先生が語っていることと次元が違うのはよく理解できるんだけど。それを言われ出すと、経済至上主義になっちゃって、稼いだ方が偉い、になっちゃうから、フェミニズムとは違う方向の話になっちゃう。
事実、煮魚の家はそうだった。父親は婿養子で、怒ると母に暴力とか振るうこともあったみたいだけど、基本的に母親の方が年上で収入も多かったもんだから、父親はそれをコンプレックスに思ってたみたいだった。おまけに中卒なもんだから、高卒の母にもその点で頭が上がらなかった。今にして思えば、煮魚は母親が不合格になった大学に入れた時点でDisってやればよかったのかと思うけど、そんなの考えもしなかったね。娘時代の煮魚は純朴☆そうした背景があるもんだから、年功序列と収入で父親を見下して威張り散らしていた母を見て、尚更フェミニズムを嫌らしく思う時期もあった。それは、フェミニズムを正しく理解していなかったことだと、今は分かるのだけれど。収入、年齢、学歴。ジェンダー以外の差別が横行していた煮魚の実家では、フェミニズムを感じ取る以前に、その他の問題が山積みだったわけやね。
てなことで、書評でもなんでもない、自分語りになってしまった。ごめんじゃん。名著ってのは、それを通じて的確な自己分析を促してくれるから、それにまんまとハマったわけやね!と、誤魔化してみるじゃん。
全編通じて、田嶋先生の真摯な訴えと明晰な思考で、地に足の着いたフェミニズムが語られてるよ。TVタックルで吠えてた田嶋先生を色物タレントのように扱っていた周囲を見るのが辛くて正視できなかった20代の煮魚は、今の時代に田嶋先生が再評価されて人気者になっているのを、とても喜ばしく思うことだろう。あの頃、この本を読んでたらもうちょっと何かが変わったかな。まあ、たらればを言ってもキリがない。てなわけで、50目前でこの本を読んだ煮魚は、母親を許す心境にはなれないYO!と高らかに宣言する。
毒親サバイバーたちも読んでみるといいかもね。フェミニズムの視点で毒親を語るのは、有効かもしれんよ。