61. 昔人にも我らにも月は煌々としてわが道を照らす
夏の記憶が鮮やかであるほど、秋は寂しさがつのる。日々の雑事をこなすうち、1年がたちどころもなく終わるからだ。
年齢を経るにつれて、ぼんやり生きることがたいそう勿体なく思えてくるようになった。この日空いてる? お願いできないかしら……。周囲の期待に応えているうちに、月日は矢のごとく過ぎてしまうことを痛感している。
この夏、理由あって、米寿をはるか過ぎた母を2週間我が家に迎え入れた。盆の帰省をまたいで、9月にも2週間同居した。やりたいことを一つ一つ手放し、諦めた。
祇園祭の前祭、後祭のどちらも行かなかったのは何十年ぶりだろうか。
10分足をのばした先で催されていた作家の企画展(没後15年、庄野潤三展)もやむなく行くことを断念した。
原稿仕事は、母が床に就き、家人が夕ご飯を終えてからの夜中12時をまわってから机の前に座ってようやく対峙できる。主婦業優先の生活はやむをえない。気になっていた文学賞の公募はタイムオーバー!締め切り日にプリンター故障があり、その日の郵便物に間に合わせることができなかった。
自分だけが特別ではない。内輪の事情というやつは、誰しも抱えていることである。
それでも爪を噛みながら思う。こうしてアッという間に時が流れ、いつのまにか老いていくのだと。貪欲だとか、諦めが悪いと言われてきたが、これが精神の若さにつながるのかもしれない、そう悟ったのだ。
昨今、NHK大河河ドラマ「光る君へ」にハマっている。巷では古典ブームらしく、枕草子や源氏物語のみならず、藤原道綱の母の書いた『蜻蛉日記』、藤原実質の日記(『小右記』)16巻を読んだ友人もいる。
わたしも、新潮日本古典集成『源氏物語』を手に入れ、古語辞書を片手にチビチビ読んでいる。
古典を読むと、暦行事や月の満ち欠けが、いとあわれに書きちらしてある。そういえば春は上賀茂神社の片山御子神社、夏は宇治上神社、中秋の名月には石山寺と、紫式部ゆかりの社寺を今年は訪れていた。
青い空に積乱雲がのんびりと浮かんでいた。ふと誘われて。都人にならった石山詣。苔のむす石階段をサンダルの足で息切らしながら本堂へ。急な山の斜面をぐるりとまわって多宝塔から豊浄殿ほか大河ドラマの特別展へも足をむけた。
陽が沈む時刻には、特別奉納プログラム「催馬楽(さいばら)舞楽奉納」(怜和雅楽会主宰)へーー。
本堂は、人の熱で蒸し暑い。正面には金色に光る観世音菩薩に、紫式部聖像(複製)。催馬楽の演目は安名尊(あなとうと)。どこか鼻唄にも似た風雅な節回し。音階から音階へ変調を織り込んで朗々と唄う声が合わさる。アジア伝来音楽と日本古来の音楽が混ざり合った音色はゆかしく、笙や篳篥(ひちりき)・龍笛、琵琶、箏で構成されており、時折り、山の風がふわっと漂うのもいい。
舞楽の「落蹲」(らくそん)は、一人の舞。古い仏の森で雅楽の舞に触れていると、いにしえの時が近づき、ここで神が舞われているような錯覚を覚える。いつまでも、ここにとどまっていたい。そう思うほどに、軽やかに飛ぶ、重力のない舞だった。
宴の後は、月見亭で薄茶と芋餡の和菓子がふるまわれていた。人だかかりに近づいてみると、講談師による源氏供養が。
こういう静かな時は忘れたくない一日。よし、これからも我が道を貫き、諦め悪く生きていこう、煌々と照るまるい月に誓いを立てた。
※トップの写真は石山寺のパンフレットから拝借