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悲しいね、って受けいれること。
昨晩、娘が泣きました。
娘は5歳で、お風呂に入る前に幼児向けのキッズワークをやりたいと言って、一冊夢中にやり、最後に「できたシール」を貼っていました。
メダルのようなシールと、その形のシルエット。
シルエットの形に沿って、ピッタリと貼りたかったのに、ちょっとズレてしまったというのです。
見てみると、確かに少しズレてるけど、ほんの少しです。
娘「あーー悲しいよーー悲しいよーー」
私「え、きれいに貼れてるよ」
「ちょっとズレちゃってもいいんだよ」
「ピッタリ貼れるようにもう一回やってみる?」
どれも本心から言ったことだし、
娘の気持ちを汲んであげたかったのだけど、
どの声かけも違いました。
寒かった日、保育園を終え疲れもあっただろうな。
今日は仲良しのお友達が早めのお迎えだったから、自分はより長く感じたのだろうな。
食べたいと言ったあったかい蕎麦を食べて帰ってきたらもう真っ暗で、お風呂の前になにか遊びをしたくて好きなキッズワークを見つけて始めたけど、たぶん頭もかなり使って、限界もきてたのだろうな。
私「悲しいね、ピッタリ貼りたかったね」
娘はいっそう声を大きくして、うわーんうわーんと泣きました。私は、うわーんうわーんと泣く娘の側に居ました。
そうしてしばらくして
「お風呂入ろっか?」「うん」となったのでした。
わかるなぁ。
そうだよな、そうだったよな。
誰がなんと言ってくれようとも
自分がやりたかったことでは無いし、
もうこれ以上がんばりたくも無いのだ。
私のためを思ってなにかをしてくれようとしても
何にも出来ないでいて、途方に暮れて、そこに居てくれること。
悲しい気持ちをただ、ただ、
本人と半分こして受け入れてくれるような時間。
私もそうやってしてほしいこと、あったなぁって。
悲しくて悲しくて
とてもやりきれない
このやるせないモヤモヤを
誰かに告げようか
この歌を思い出したり。
こういう時がいくつかあって、その半年後とか一年後とかに「あの時うーちゃんめちゃ泣いたよね〜😁」と、軽やかに自分から言ってくる。
どうにもできなかった出来事を、後々に「そうだったねー」って話せる誰かが居るって、いいね。
今は私が。
大きくなるにつれて、親だけじゃない、誰かが。
そんなふうに側にいてくれるといいな。
そして娘にも、誰かのためにどうしようもできない時間を居てあげてほしい。
一段と寒い夜、あったかいお風呂に浸かって
すっきり早く寝付きました🌙