読むべき本が向こうから現れるandCURRY日誌➖20250107
実家で朝ごはんを食べた。実家にいると時間感覚がおかしくなる。1時間、2時間の話ではなくて20年が吹っ飛ぶ時がある。一体どうやってわたしは40歳まで生きられたのだろうか。確かに生きていたはずなのだけど、違う誰かの人生を思い出としてシェアしているような、そういう感覚になる時があるのだ。出来立てのUSJに行った高校生のわたしも、大学から帰って塾のバイトに行くわたしも、出張で大阪に帰ってきているわたしも、いっちゃんと新幹線に乗るわたしも、全部わたしなのに実感がない。今だけが目の前にある。
2007年に上京したので、もう人生の約半分を東京で過ごしていることになる。その半分(人生の1/4)はカレーに費やしているのだから、わたしとカレーの関係はだいぶん深いものになってきたんじゃないのかな。この深まっていく時間もきっとわたしは忘れてしまって、他の人の人生の様に感じてしまうのだろうか。切ないなぁ、
なんて思いながら、スユクを作る。出汁もとれて、これをスープにするのだよと申し伝えておく。ついでにじいじからリクエストのあったチャーハンも作る。じいじはチャーハンが好きで、朝6時にばあばの枕元に立っては「チャーハン作ってくれや!」と叫ぶので、いっときチャー坊という異名がついたほどだ。米をパラパラにするのが難しい。根気よく炒めてみた。淡路島のレタスと豚バラをカリカリに焼いたのと、椎茸とネギ。そしてふわふわの卵。
いっちゃんとばあばと近所の公園で遊ぶ。風が強くて凍えそうに寒いのに、いっちゃんの強いリクエストで、シートをひいて東京ばな奈を食べた。かなりの拷問である。それでも鬼ごっこをすれば体も温まり、二人がシーソーに乗っているのを見るのは心までも温まる風景だ。
夕方に新幹線に乗り、いっちゃんと二人東京に帰る。
車中で読み始めた『子どもの宇宙』という本が異常に面白い。河合隼雄先生の1987年の著書だが、全く古さを感じさせず、子どもを取り巻く心理的問題に切り込んでいく。現美でふと見つけて買った。こういう本との出会い方には運命を感じる。坂本龍一の展示に夫が行きたいと言わなければ行っていなかったし、この本がセレクトされている偶然も、アートに関するいろんなものが蠢くショップでこの本に出会う奇跡も。今、わたしが読むべき本が向こうから現れる。見逃さず、それを手に取る自分であらねばならない。今に集中して、来るボールをしっかりと打ち返すことがわたしの鼓動だ。