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電波のあいだの信頼関係|ピーター・バラカンさんのラジオの好きなところ


最近、ラジオを聴いている。

2年前に個人で働き始めてから、個人事業主さんの発信をVoicyやstand.fmで聴くようになった。その流れでradikoもダウンロード。プロの発信も日常的に聴くようになった。

とても良い。特に事務作業との相性が抜群。経費整理とか、資料づくりとか。私はこういう「やれば終わる」系の作業への集中力が非常に低いので、なんとか自分を盛り立ててくれる仕掛けが多数必要だ。

たとえば25分のタイマーをかけて仕事をする「ポモドーロ」や、仕事終わりのご褒美などは、ガッと集中するための仕掛け。

一方ラジオは、ゆるく長く作業を続けるための仕掛けだ。ラジオから流れる心地良い音楽やフッと心を緩めてくれる他愛もない話、小気味良いしゃべくりのリズム感などが、程良く集中力を持続させてくれるのだ。それに誰かの話し声がするおかげで、「1人じゃない感じ」がする。「見ているよ」と言われているみたいな感覚だ。これが適度な安心感と緊張感を保ってくれるように思う。

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ここ最近のお気に入りの番組は、ピーター・バラカンさんの番組だ。InterFM「BARAKAN BEAT」やTOKYO FM「The Lifestyle MUSEUM」など、バラカンさんが、ジャズを中心としたオススメの音楽をかけてくれる。

ジャズの調べが好きだから、というのはもちろん聴いている理由の一つだが、もう一つ、バラカンさんの番組が好きな理由がある。

バラカンさんのしゃべりが好きだからだ。

バラカンさんは、音楽をかける前、その曲やアーティストに関して色々とお話ししてくれる。そのお話は私にはマニアックすぎて、正直何を言ってるのかさっぱり分からない。

しかしバラカンさんの声はまろやかで優しい。とろりと流れることばの中で、母語の英語の名残か、tやpが弾ける。そのリズムとメロディがとても好き。だから楽曲やミュージシャン、音楽業界のマニアックな話は何一つ分からなくても、聴いているだけで幸せなのだ。

Wikipediaのバラカンさんの項に、「ただし本人は『評論家ではない』と言及している」とある。あれだけのボリュームでうんちく(褒めてる)を語るのに?と一瞬思ったけれど、注釈を読むと「評論家は何でも聴いて、客観的な分析をして伝える人。自分は好きなものしか聴かないし、紹介しないから評論家を名乗っちゃいけない」ということらしい。素敵な、誇りあるわきまえ方だな、と思う。

ラジオの醍醐味に「曲のリクエスト」がある。リスナーのかけて欲しい曲を流す、あれだ。バラカンさんの元にくるリクエストも、粒揃いにマニアックなものが多い。「誰々が何年にどこどこで演奏した〇〇をお願いします」という感じ。私には、誰々がそもそも分からないし、何年にどこで収録したかにこだわりながら音楽を聴いたことなどほぼないので、ナチュラルにこういうリクエストが送れる人を尊敬する。

しかしそのリクエストを、バラカンさんは時々却下する。「今日のテーマ的にはこっちの曲かなあと思うので」とか「僕はこちらの方が好きなので」などと言って別の曲をかけるのだ。

初めてこのくだりを聴いたときはあまりに衝撃的で、失礼ながらめちゃくちゃ笑ってしまった。

しかしその後も聴き続ける中で、ごく自然にリクエスト曲を変更したり、リスナーもそれに特に憤ったりしていない様子に、バラカンさんの番組ではこれが茶飯事なのだと知った。

しかもこの選曲方法には「バラカン方式」という名前までついているという。リスナーさんが、楽しんでるし、愛してることの証でしかない。

思いのこもったリクエストを受け、バラカンさんは自分の感性に照らしながら、今その場にもっとも相応しいと思う曲をかける。リスナーはその即興なセレクトを含め、バラカンさんのかける音楽を楽しんでいる。

豊かな知識と信頼関係でつくられている番組なのだなと、心がじんわりあたたまる。

バラカンさんの滔々とした滑らかな語りと、深すぎる知識と愛の元にかける音楽。そのおしゃれで心地良い調べとともに、私はこのあと、大量の領収書を片付ける予定である。

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