目に見えない世界を感じる時
時々、これまでの考え方と行動の癖が出てくる。
せっかく住む場所を替えたのだから、これまでの行動パターンやルーティンに縛られないようにしようと思うのだが、64年間に染みついたものはそう簡単には変えられない。
何か意味のある、あるいは結果に結びつく行動をしていないと不安になる癖。
ゆっくりとドラマを見たり、ゆったりと散歩したり、
自分のためだけに大事に使うべき時間を使えていなかった。
一方でバレエに行かなきゃとか、何か有益なことに時間を使わなきゃとか、何かをしなくてはいけないと感じている自分にも疲れてきた。
こんな生活でいいのかな?
ふと気づけばまた同じことをぐるぐると考えている。
こちらに来たらやってみたいと思っていたことの一つに、朝起きたら塩釜神社さんに参拝がてら散歩に出ることというのがあった。
ウォーキングなんて構えなくても、ましてやランニングじゃなくていい。散歩がてら神社さんにいくだけで十分に体力作りにもなるよね。(と、有益かどうかという基準で考えている自分が嫌だけど。)
しかし、1ヶ月経っても一向に涼しくならず、さすがに朝から30度超えの日差しの中に出ていくのは躊躇われた。
今朝は娘がここに来て2度目の塩釜様に行くというので、私も同行することにした。
日差しは強いが木陰では涼しい風が吹き、鳥居までの距離はちょこザップくらいの運動量。
ここからは石段が続くのでちょっと負荷がかかる。
ちょうど本塩釜駅の前にちょこザップができたので、入会しようかどうか迷っていたのだが、これなら入会しなくても十分なトレーニングになりそうだと実感した。
ここからが本題。(いつもの通り、前振り長い)
途中で地元の方らしい男性とすれ違ったのでご挨拶したところ、
そのかたが、「お参りに行くの?」と声をかけてきた。
おもむろにカバンから名刺大のものを取り出し、「これをあげましょう。」と手渡してくれたものは、なんと!
塩釜神社で撮影したと思われる美しい空の写真だった。
娘には日輪
私には龍雲
日輪は娘が追い求めているもの。なぜ、娘にそれを手渡したのか。複数持ち歩いていらしたようだが、偶然にもそれが一番上にあったのか?
そして、私には龍?
自覚はなかったけれど、私は龍神が好きだし、龍雲もよく目にする。
そういえば一昨日お参りした鼻節神社の石には龍が彫られているところがあったそうな。
確かめてこなかったけど、地面がグルングルン回ったように感じたのは龍神様だったのだろうか?
こんな形でメッセージをいただけるなんて思ってもいなかったので、胸がいっぱいになって、ありがたくて涙が溢れた。
汗と涙でタオルがぐちゃぐちゃ。。。
鳥居の手前でアオスジアゲハがくるくると舞っていた。
ここでもチョウに会えた。しかも秋田では会えなかったアオスジアゲハに。
そして、オニヤンマが鳥居に誘ってくれた。
塩釜神社の神様は鼻節神社にお参りしていたこともご存知だったのかもしれない。
あちらにも参っていたとは殊勝なことよと、お褒めくださっていたのかもしれない。
新居に移って魂の入っていなかった神棚にようやく
塩釜神社の神様をお迎えすることができた。
今はまだ次の舞台が見えていないだろうけれど
進む方向は間違ってないよ
そんなメッセージくださっていたのに、またまた気づかずに一人でぐだぐだ考えてしまっていた。
信じよう。目に見えない世界を。
私はご守護いただいている。