Rhマイナス血液から見えてくる世界が知らない人類史 Part 2
※この記事はPart 1の続きの記事となります。
まだPart 1を読んでない場合はまずは以下のリンクよりPart 1の記事をご覧ください。
Part 1 のおさらい
前回のPart 1では以下のポイントが明らかになりました。
•女性の妊娠の観点から見て、Rhマイナスの血液は特殊である
•Rhマイナス血液は白人種に多い。
•Rhマイナスは東アジア、アフリカ地域では稀である。
•フェニキア人の地である中東のレバノンに割合が高い。
•ブラジルは実は白人種国であり、Rhマイナスの割合が高い。
•バイキングの発祥地である北欧に高い割合。
•Rhマイナスの割合が世界一高い地方はバスク地方の32%である。
•北アフリカのベルベル族、カナリア諸島のグアンチェ族にとても高い割合が見られる。
•バスク地方、北アフリカ、カナリア諸島の流れはフェニキア人の航海ルートと一致している。
そしてPart 1の最後にはRhマイナスの割合が非常に高いバスク地方、北アフリカ地方、カナリア諸島にある共通点が浮かび上がりました。
それがクロマニョン人でしたね。
クロマニョン人という言葉は聞いたことはあるけれど、なかなか馴染みがなく具体的なイメージは浮かびにくいのではないでしょうか?
本記事Part 2ではこのクロマニョン人という人類史を理解する上で非常に重要なキーワードに焦点を当てRhマイナス血液から導かれる世界が知らない人類史を紐解いていきます。
ちなみにいつも記事を読んでいただいている皆さんの間では青い方の需要はもうほとんどないようなので、今回は赤い方しか用意していません。
この記事を読み進める場合にはマトリックス世界から強制的に催眠解除していただくことをあらかじめご了承ください。
では"フィクション"と"現実世界"の境に向かって出航です。🛶
クロマニョン人
まずは、本記事の重要なキーワードであるクロマニョン人を見ていきましょう。
ヨーロッパ、北アフリカ各地でも発見されたとあります。
ではタイトル画像にも使っている旧石器時代のクロマニョン人の化石が発掘されたマップを見てみましょう。
ご覧のようにフランス南部からスペイン北部、そしてスペイン南部から北アフリカにかけて集中しています。
前回の記事ではフランス南西部とスペイン北部のバスク地方や北アフリカにRhマイナスの割合が特に集中している事を確認しましたが、Rhマイナス血液の割合が高い地域は旧石器時代のクロマニョン人の化石が発掘された場所と一致している事が分かります。
この事からクロマニョン人にRhマイナス血液の割合が高かったのではないかと推測できます。
なぜ推測なのかというと、クロマニョン人の血液型に関する遺伝子解析の研究結果は未だに公表されていないからです。
人類学者ロバート•セパー氏はRhマイナス血液の起源はクロマニョン人で間違いないだろうと主張しています。
最新の遺伝子解析でクロマニョン人がRhマイナスだったのかどうかは分かっているはずなのですが、このことに関する研究結果は残念ながら検索してもまったく何も見つかりません。
クロマニョン人の身体的特徴
以下はブリタニカ百科事典によるクロマニョン人男性の復元イメージです。
現代の欧米社会にも普通にこんな感じの人いますね。笑
突出した顎はクロマニョン人が最初だとされています。
脳が現代人よりもやや大きかったというのは驚きですね。
他の人種と比較して身長も高かったと考えられる。
世界各国の平均身長を見ても、圧倒的にヨーロッパ各国が飛び抜けているため、クロマニョン人の遺伝子と関係があることが分かります。
ブリタニカ百科事典1994-2002によると当時のクロマニョン人の遺伝子に最も近いとされているのが、カナリア諸島のグアンチェ族、そして現在のスウェーデンのダーラナ地方の人々だとされています。
グアンチェ族は前回の記事で上記のイメージのように金髪青目で大柄であった事が分かりました。
次にスウェーデンのダーラナ地方に住むダーラナ人ですが、民族衣装がバスクの民族衣装とよく似ているなと思いました。
調べてもデータが見つからなかったのですが、このダーラナ地方も統計を取ったらRhマイナスの割合が突出して高いのかもしれません。
紋章も興味深いですね。🛶
そして、ダーラナ地方のレクサンド (Leksand)では毎年夏至の日にスウェーデン最大の夏至祭ミッドサマーが開催されます。
せっかくなので、スウェーデン最大の夏至祭りが開催されるダーラナ地方のミッドサマーの様子を少しだけ見てみましょう。
スウェーデンの人達にとって夏至祭は日本のお盆のように実家に帰省し、家族と時間を過ごす一年で最も重要なイベントだそうです。
クロマニョン洞窟
クロマニョンという名は最初に5体の化石が発掘されたフランス、ドルドーニュ県、レ•ゼイジーのクロマニョン洞窟が由来となっています。
以下はドルドーニュ県の紋章です。
この舌を出したライオンはイングランドの紋章をはじめ、ヨーロッパ全域で使われており、フランスでも頻繁に紋章に使われています。
そしてあの有名なファンタジー作品、ハリーポッターにも主人公の所属するグリフィンドール寮の紋章にそのまま使われています。
今回は深掘りしませんが後々の記事で繋がってくると思うので舌を出したライオンの紋章はよく覚えておいてください。
話を戻してドルドーニュ県の位置を見てみましょう。
クロマニョン人が最初に発掘されたドルドーニュ県の位置はバスク地方にも近いフランス南西部です。
ではここで1分半だけですが、以下の動画から人類史において非常に重要なクロマニョン洞窟を覗いてみましょう。
このクロマニョン洞窟は1979年にヴェゼール渓谷の先史的景観と装飾洞窟の一部としてユネスコの世界遺産に登録されています。
これだけ歴史的にも重要な場所のため、てっきり県か国が管理しているのかと思いましたが、なんと洞窟は未だにこちらのジャンマクス•トゥロンさんという男性の所有であり、彼が私有地を2014年から一般公開しているという形になっています。
ユネスコの世界遺産が個人の私有地であるとは驚きですね。
さらに驚きなのは、所有する男性が82歳の高齢ということもあり、なんと今年2023年の6月から所有するクロマニョン洞窟と魔法使いの洞窟(Grotte du sorcier)の2ヶ所の世界遺産は売りに出されています。
金額は225万1000ユーロ、現在の日本円にしておよそ3億6000万円です。
フランス政府が買収に興味を示しているようですが、民間への売却も検討されているようです。
金額は民間人でも十分手が届きそうですね。
所有主の男性は後継者には"遺産の保護に加え一般公開を続けてもらえる情熱のある人物"を求めていると報道されているため、彼の意思を継ぐふさわしい後継者が現れることを願うばかりです。
同じく世界遺産に登録されている魔法使いの洞窟🧙♂️もとても気になりますね。
外観を覗いてみたいという方は以下の動画をご覧ください。
現在はどちらの洞窟も一時閉鎖中ですが、新たな所有主が見つかり、再び一般公開される際には僕も必ず訪れたいなと思っています。
そして、動画内でも語られていましたが発掘されたクロマニョン人の化石は首都のパリへと持ち出され現在とある場所に保管されています。
その場所がエッフェル塔の向かい側にあるシャイヨ宮の南翼側に位置する人類博物館です。
エッフェル塔とシャイヨ宮の謎
ちなみにこのシャイヨ宮は上空から俯瞰して見ると非常に興味深い形をしています。
向かい側のエッフェル塔から見下ろすシャイヨ宮が以下です。
Do you see what I see?
これはとても強烈な情動的象徴ですね。
情動的象徴に関しては以下の記事をご参考ください。
そしてその向かい側にそびえ立つのはエッフェル塔です。
クロマニョン人の化石がこんな象徴的な建物の博物館に保管されているなんて非常に興味深いと思いませんか?
他にもパリの街には俯瞰して上空から見てみると様々な象徴が隠されていることを霜月やよいさんが明らかにされています。
パリの街に隠されたピラミッド⬇️
パリとエジプトのルクソール神殿の繋がり⬇️
恥ずかしながら僕は近くのパリ郊外に住んでいるにも関わらず、やよいさんの情報に触れるまでこれらの象徴は全く何も見えていなかったため、この事実を知った時はかなりの衝撃でした。笑
ということでエッフェル塔とシャイヨ宮の強烈な象徴の謎に関しては、象徴のスペシャリストであり、現代の魔女である霜月やよいさんにディコードを依頼しました。🧙♀️
やよいさんの方で今後取り上げていただけると思いますのでそちらもお楽しみに。
では楽しい寄り道はこのくらいにして、本題のクロマニョン人をさらに追っていきましょう。
旧人から新人ホモサピエンスの誕生
フランス南西部のドルドーニュから、わざわざ首都パリのとても象徴的な形をした建物の中に保管されるクロマニョン人、その重要さはその学名を知るとよく分かります。
クロマニョン人の学名は、
"Homo sapiens sapiens"
つまり、現世人類ホモサピエンスのことであり、
クロマニョン人の出現 = ホモサピエンスの誕生
となっています。
2008年にはイタリア南部で発掘されたクロマニョン人の化石の遺伝子研究から衝撃の事実が判明しています。
なんと遺伝学者の遺伝子解析では現代ヨーロッパ人の祖先はネアンデルタール人ではなく、クロマニョン人であるという結論が出ています。
さらには、2万8000年前のクロマニョン人の化石は遺伝子的にも解剖学的にも現代ヨーロッパ人であると発表されています。
クロマニョン人は一万年前に絶滅したという風に認識されていた方にはかなりショッキングで受け入れがたい事実かもしれませんが、人類学の常識はDNA解析技術の進歩により次々と新たな発見が見つかり、目まぐるしく更新されています。
ただし、情報は英語やフランス語から発信されるため、日本語に翻訳されたデータが未だにほとんど無く、日本語検索の場合はこのような重要な発見に関する情報が見つからないというのが現状です。
そのため、この記事を読む皆さんには最新の人類学の認識をアップデートしていただき、日本にもしっかりと情報を伝達してもらいたいという想いで今回記事を書いています。
エンタメが大人気の日本なだけに、肝心な情報を日本だけ知らされていないというようなことにならないためにも、情報を受けとる皆さんにも情報の伝達を勝手ながら期待しています。
そんなわけで、今回のシリーズは全て無料公開しているわけです。
さて、ここで一つ気をつけてもらいたい点があります。実はクロマニョン人という言い方は、現在学術的には解剖学的現代人、現世人類、などの言葉で置き換えられ、あまり使われないようになってきています。
これはおそらくクロマニョン人に隠された何かを見えないようにする意図があるのではないかと思っています。
というのも、クロマニョン人と表現する場合には主にコーカソイド(白人種)のみを意味しますが、解剖学的現代人、現世人類、などと表現する場合には、クロマニョン人も含めあらゆる人種全てを含むため、全てが同じ種のような印象を与えます。
では私達日本人を含め、クロマニョン人ではない現代人の起源が何なのかを見てみましょう。
現世人類と異種交配
ネアンデルタール人
新人クロマニョン人の出現以前にヨーロッパから西アジアまでのユーラシア大陸の広域に住んでいたとされるのが旧人に分類されているネアンデルタール人です。
このネアンデルタール人も非常に重要なキーワードなのでよく覚えておいてください。
新人とされるクロマニョン人と比較して、旧人という扱いをされていますが、実はネアンデルタール人も脳の大きさは現代人より大きかったとされています。
そのため人類学的には旧人と呼ばれながらも、実際にはクロマニョン人と同等の知能を持っていたのではないかと思われます。
"ヨーロッパ初期の現世人類に取って代わられた"
とありますね。
これは先ほども説明したようにクロマニョン人がヨーロッパ初期の現世人類という言葉に置き換えられているのが分かります。
このヨーロッパ初期の現世人類こそが、およそ4万年前にバスク地方があるヨーロッパ南西部から北アフリカの地域に突如誕生したクロマニョン人のことです。
このような風に言葉の置き換えがされている訳です。
ではここで、ネアンデルタール人の遺伝子に関しても非常に興味深い遺伝子研究結果が発表されているのでそちらを見てみましょう。
論文のタイトルは
"Higher Levels of Neanderthal Ancestry in East Asians than in Europeans"
"東アジア人にヨーロッパ人よりも高い数値のネアンデルタール起源"
この事実に関してはしっかりと日本語の記事もありました。
ドイツのネアンデル渓谷で発見された旧人ネアンデルタール人はヨーロッパ人の直接の祖先ではなく、実は私達現代東アジア人により多くの遺伝子を残しているということが遺伝子解析により明らかになっています。
さらには東アフリカのケニア南部からタンザニア北部に住む先住民マサイ族にも僅かながらネアンデルタール人の遺伝子が確認されています。
最近タンザニアのマサイ族の村の人々から、古代日本人の教えを学んだというペンキ画家の方の話がよく取り上げられ話題となっていますね。
この話の全てが本当かは分かりませんが、日本人とマサイ族には共にネアンデルタール人の遺伝子が受け継がれているため、遺伝子レベルで見ると日本人とマサイ族には確かに繋がりがある事が分かります。
動画内では縦穴式住居に住み、女性の土器を作っていた1万5000年から1万年前の日本人の教えを伝えられそれがおそらく縄文人のことではないかと話されています。
従来の人類学の認識では、ネアンデルタール人は東アジアには渡っていないとされていますが、ネアンデルタール人自体が東アジアには渡っていなかったとしても、交配を重ねながら東へと移動していったネアンデルタール人の遺伝子は東アジア、そして日本にもしっかり残っているため古代縄文人の元にも流れ着いていたのではないでしょうか。
様々な種と異種交配の痕跡
ネアンデルタール人は絶滅したとされていますが、正確には移動を重ね他種と交配していった結果、様々な人種に溶け込んでいったのではないかと思われます。
大西洋沿岸の西ヨーロッパ、北アフリカ地域に突如現れた新人類クロマニョン人の勢力拡大により、ネアンデルタール人はヨーロッパから東へと移動をよぎなくされた。
そうして移動する中で、いくつかのグループに分かれ様々な異種と交配、そうやって現在の人種の多様性が生まれたのではないかと推測します。
多かれ少なかれ様々な人種に現在もネアンデルタール人の遺伝子が残っているため、ネアンデルタール人の遺伝子は世界中で変化を続けながら生き続けていると言えます。
その他にもホモ・エレクトスとして知られる中国の北京原人やインドネシアのジャワ人、中央アジアには、現在のメラネシア人に近く東南アジアやオーストラリアのアボリジニの遺伝子に割合が高いデニソワ人もなど様々な種が存在していました。
さらに西アフリカの人々には未だに解明されていない未知種の遺伝子が残っている事も分かっています。
これらの種も皆絶滅したとされていますが、現在も各人種に遺伝子が残っており、見た目にも特徴が現れているため、正確には他種と交配した結果新たな種へと変化していったのだと思います。
動物界の交雑
動物界を見ても違う種同士の交雑により新たな種が誕生することが確認されています。
以下は交雑により生まれたハリブリッド種です。
ライオンとトラの交雑により生まれたハイブリッド種のライガー。野生の環境で生まれたわけではなくライオンとトラを同じ環境で飼育することにより交雑が起こり生まれたハイブリッドですが、繁殖機能があることが確認されています。
コイウルフはコヨーテとオオカミの交配種で野生環境で自然に交雑が起こり誕生することが確認されています。
ホルフィンはオスのオキゴンドウとメスのハンドウイルカを掛け合わせた雑種であり、野生環境でも交雑が起こり、生まれることが分かっています。
実際に存在する様々なハイブリッド種の動物が気になる方は以下の動画をご覧ください。
こうして見ると中世のタペストリーにも頻繁に描かれ、ヨーロッパの紋章にもよく使われているユニコーンが実在していてもおかしくないように思えてきますね。
一種の進化 or 多種の交配?
人類に近いとされる霊長類に目を向けてみると興味深い事実があります。
霊長類は612種類確認されていますが、Rhマイナスの霊長類は一種類も確認されていないのです。
Rhマイナスの血液を持っているのは現世人類ホモサピエンスだけです。
ダーウィンの進化論は科学的に否定されていると主張する人類学者ロバートセパー氏はこう語ります。
そして現在の世界情勢も、遺伝子の観点から見ると、西洋社会に色濃く残るクロマニョンの遺伝子とネアンデルタールを初めとしたその他の種の遺伝子との間で未だに遺伝子レベルの争いが起きているという見方もできそうです。
これからは扇動されずに、俯瞰した冷静な視点でありのままの世界を見渡し、争いを止め、お互いを認め尊重し合うこと、各人種同士で切磋琢磨しながら協力して生きていく道を選べるかどうかが鍵だと思います。
分かりやすいイメージとしておおまかに表現すると、西に行くほどクロマニョン人の遺伝子、特徴が強くなり、東に離れていくほどネアンデルタール人をはじめとした他種の遺伝子の特徴が強くなる。
西洋と東洋の考え方や文化の違いは、そもそもこの遺伝子の違いから来ているのではないでしょうか。
さらに興味深い事実として、3体のネアンデルタール人の化石と1体のデニソワ人の化石の遺伝子解析の結果が発表されています。
この解析により判明したのは、ネアンデルタール人にA型B型O型3タイプが確認されたことから、これまで信じられていたネアンデルタール人は全てO型だという考えが間違えだったということ。
そしてさらに興味深い事実は解析された4体いずれもRhプラスだったという点です。
まだサンプルが4体だけなのでネアンデルタール人とデニソワ人は一貫してRhプラスであるとは断言できないですが、現段階ではRhマイナスは確認されていません。
ということで、皆さんも気になってしょうがないのがクロマニョン人の血液型がRhマイナスなのかどうかだと思いますが、残念ながら未だに公式なデータは公表されていません。
それどころかクロマニョン人という言葉は解剖学的現代人や現世人類という言葉で置き換えられ、人類学史から忘れさられようとさえしています。
皆さんもYouTubeや検索エンジンでクロマニョン人を日本語で検索して見てください。
ネアンデルタール人やデニソワ人に関しては、たくさん取り扱われていますが、特に近年、クロマニョン人を取り上げて語っている人が明らかに少ない事が分かります。
クロマニョン人の洞窟壁画がネアンデルタール人の壁画として紹介されていたりもするほどです。
クロマニョン人と洞窟壁画
ユネスコの世界遺産に登録されているヴェゼール渓谷の先史的景観と装飾洞窟の中で、おそらく最も有名なのがクロマニョン人がラスコー洞窟に残した洞窟壁画ではないかと思います。
ラスコー洞窟には、数百の馬、ユニコーン、山羊、羊、雄牛、鹿、カモシカ、人間、幾何学模様の彩画、刻線画など多くの象徴が描かれており、顔料を吹き付け刻印した人間の手形も500点確認されています。
上記はおよそ2万年前のクロマニョン人が描いたとされる雄牛の広間 (Salle de taureaux) に描かれた動物の壁画です。
この空間全体を見渡すと、このような感じで壁一面にユニコーン、馬、雄牛、鹿などの様々な動物が描かれています。
以下のリンクよりなんとヴァーチャルで雄牛の広間を自由に覗けちゃいます。
是非ご覧ください。
ラスコー洞窟と天文学知識
そしてこの雄牛の広間はただ無作為にいろんな動物が描かれたわけではなく、現在では現地の考古学者の研究を基に、二万年前のクロマニョン人は、既に天体の動きを観察し理解した上で、星座を壁画として描いていたという説が有力視されています。
当時の星座の表し方は現在の黄道十二星座とは違ったようですが、壁一面に描かれた壁画が現代の星座の位置とリンクしている事が分かっています。
有難いことに、この興味深い説を取り上げている日本語の記事もありました。
例えば以下の雄牛の周りには黒点があります。
消えてしまっている部分もありますが、この点を星だと考え繋げると以下のように解釈ができます。
雄牛はそのまま牡牛座(Taurus)を表し、向かい側の左の点はオリオン座のベルト。
そして右上の点はプレアデス星団(すばる)を表すと推測されています。
続いては馬と黒点です。
馬の顔の下から後ろ脚にかけて計29の黒点がありますが、これは29日間(月によっては30日間)の月の満ち欠けの周期を表していると推測されています。
お次は、鹿の壁画と黒点です。
鹿の下には13の黒点がありますが、これも月の満ち欠けを表し、一番左の四角の枠は月が見えなくなる新月を表していると推測されています。
そしてこれらの説は2000年にBBCの記事でも取り上げられていました。
このように二万年前のクロマニョン人は壁画を描いたアーティストであっただけでなく、天文学者であり、数学者であった事が分かっています。
天文学や数学の起源といえば、古代バビロニア、エジプト、ギリシャ、インド、中国、マヤ、ペルシャなどの文明が浮かぶかと思いますが、実は彼らよりもずっとずっと古代からクロマニョン人がその知識を持っていたとなると、そもそもこれらの古代文明に知識を伝達したのはクロマニョン人だったのではないかとすら思えてくるわけです。
以下は今年の夏に僕が実際に見てきた、ピレネー山脈にあるニオー洞窟に描かれた13000年前の洞窟壁画です。
フランス南部のクロマニョン人はマグダレニアンMagdaléniens とも呼ばれ、ニオー洞窟の案内板にも彼らが"解剖学的に見て私達現代人と同じであり、現世人類と同等の知能を持っていた"と書いてありました。
では、大西洋に面した西ヨーロッパや北アフリカに突如出現した、クロマニョン人はいったいどこから現れたのでしょうか?
Rhマイナスの割合世界一のバスク地方にもう一度焦点を当てその謎に迫ります。
ネバダ大学バスク研究センター
アメリカネバダ州の ネバダ大学レノキャンパスにはバスクの研究を専門としたバスク研究センターがあります。
なぜバスクの研究機関がアメリカのネバダ州にあるのか気になり調べてみるとWikiにその理由が書いてありました。
実はアメリカの西海岸にはバスク人口が多いようです。
バスク人の起源
ではネバダ大学バスク研究センターのサイトを覗いてみましょう。
サイトにはバスクの起源と言語に関するよくある質問と回答があります。
バスク人とは?
バスク人の起源は?
"バスク人がアトランティスの生き残った人々だという説です"
バスク=クロマニョン=アトランティス
キーワードが繋がりました。
"都市伝説"としてよく取り扱われる"アトランティス"という言葉がネバダ州がスポンサーする研究機関の公式サイトに大真面目に記載してあるとは驚きですね。
19世紀の最も有名なオカルト研究家の一人であり、生前世界中を旅し古代人類の謎を研究し続けたヘレナ・P・ブラヴァツキー夫人はこう語っています。
さて、盛り上がってきたところですが、なんと史上最長の14000文字越えのため今回はここまでです。
Rhマイナス血液から見えてくる世界が知らない人類史、次回はいよいよ伝説とされてきたアトランティスの謎に迫ります。
アトランティス=都市伝説の概念が壊れ始めた方は次のPart 3も是非お楽しみに。
最後に
今回も最後まで読んでいただきありがとうございます。
今シリーズはエビデンスがたくさんあるにも関わらず、世界が知らされていない人類史に関わる非常に重要な内容のため、できるだけたくさんの人に知ってもらいたいと思い無料公開にしています。
もしこの記事が気に入ってもらえたらたくさんの人に情報が届くように記事へのスキ、コメント、感想、そしてXやその他SNSで拡散を是非よろしくお願いします。
あなたにとって学びのある記事になっていれば幸いです。
では次回もお楽しみに。
2023年12月7日
愛