見出し画像

ダ・ヴィンチコード Salvator Mundi : 世界の救世主

今回は2017年にニューヨークのクリスティーズでのオークションにて史上最高額の4億5000万ドル(およそ510億円)というあり得ないような金額で落札されたレオナルド•ダ•ヴィンチの名画とされるサルバトール•ムンディの特集記事です。
今こそまさに注目すべきこの絵画なのですが、
現代の魔女 霜月やよいさんの以下の投稿からインスピレーションを受け執筆に至りました。

現代の魔女とのコラボレーション記事

ということで、今回は数•幾何学•象徴のスペシャリストであり現代の魔女 霜月やよいさんとのコラボレーション記事となっています。

現代の魔女 霜月やよい

前半はサルバトール•ムンディの概要と歴史を振り返り、後半には現代の魔女の視点を通して僕に見えてきたダ•ヴィンチコードの考察と解読を行っていきます。
note開設後最長の一万字越え記事となっていますが、やよいさんの視点を通して世界の救世主像を見つめることで、時代を越え現代人に向けて残された大切なメッセージにたどり着く渾身の記事となりました。
是非後半の内容までチャレンジいただけると幸いです。

それではまずは、2017年11月15日サルバトール•ムンディが史上最高額で落札された瞬間を以下よりご覧ください。


サルバトールムンディとは?

サルバトール•ムンディとはラテン語で"世界の救世主"という意味です。
救世主といえばメシアでありイエス•キリスト
このサルバトール•ムンディは1500年頃にダ・ヴィンチが描いたとされる青いローブを纏ったイエス•キリストです。
まずは、その概要と絵画のディテールを見ていきましょう。

様々な画家に描かれた世界の救世主像

サルバトール•ムンディの絵画はダ•ヴィンチだけでなく、他にもたくさんの画家に描かれました。元々の着想はビザンティン帝国のコンスタンティノプール(現トルコ イスタンブール)で発達した、ビザンティン美術のモザイク像である"全知全能のキリスト"がモデルだとされています。

モデルとなったモザイク像 全知全能のキリスト
イスタンブール ハギアソフィア大聖堂
ランス大聖堂のキリスト像 13世紀
ロヒール・ファン・デル・ウェイデン作 1450年
ルーヴル美術館
カルロ•クリヴェッリ作 1472年 エルパソ美術館
アントネッロ•ダ•メッシーニ作 1479年 シチリア
ハンス•メムリンク作 1485年 ストラスブール美術館


どの作品も右手のクロスピースと左手に抱える球体が共通していますね。


ダ•ヴィンチが描いた世界の救世主像

ではダ•ヴィンチが描いたとされるサルバトール•ムンディを見ていきましょう。

ダ・ヴィンチのサルバトールムンディ


個人的にはダントツでこのサルバトール•ムンディが一番魅力的だなと思いました。
とにかく惹き付ける魔力が凄いと感じます。
なぜこんなに魅力的なんだろうと思い調べてみると以下の動画を見てやはりかと納得しました。


ご覧のように、

各部位に、

黄金比が使われています。

それも、

このように、

大まかな部分だけでなく、

細部にまで、

しっかりと黄金比です。


あなたはどのサルバトール•ムンディに惹かれましたか?


各部位の詳細

続いて、各部位の詳細を見ていきましょう。
まずは右手、
キリスト教の思想では中指と人差し指をクロスしたピースサインのような右手は"祝福"を表すとされています。

指をクロスした右手


次に顔をよく見ると左右非対称になっているのに加え、肌の色も明るめと暗めのコントラストになっています。
これは推測ですが、善悪、光と闇、陰陽、男女など"この世の二元性"を意味しているのではないかと思います。

左右非対称の顔


最後に左手ですが、球体に十字架が付いた地球記号型の球体を持たせている他の作品とは違い、ダヴィンチはシンプルなクリスタルの球体を持たせていますが、この球体は私達が住む惑星地球を象徴するとされています。

左手に抱える透明の球体


とこの辺りの情報は調べればすぐに出てくる表の情報です。
ただしこれらに隠された象徴の意味を深く理解するには現代の魔女の視点がなければまず見えないようになっています。
恥ずかしながら僕には見方を示してもらうまでは全く何も見えていませんでした。
そのくらい"見方"を学ぶ事は大切なんだと改めて痛感しました。
ここはしっかりと後半に深掘りして見ていきます。


救世主像500年間の歴史

では、次に救世主像の歴史を振り返ります。
このサルバトール•ムンディの歴史は過去の記事でもお馴染みの歴史人物ともしっかり繋がっています。


フランス王ルイ12世のために描かれた

ダ•ヴィンチのサルバトール•ムンディは1500年頃にヴァロワ朝時代のフランス王ルイ12世のために描かれたとされています。
当時はハプスブルク家(神聖ローマ帝国)とフランスヴァロワ家の間でイタリアを巡り起きたイタリア戦争の最中でした。
ヴァロワ家がミラノとジェノアを制圧した際にフランス王に贈られたのではないかとされています。

フランス王ルイ12世

ルイ12世には生涯三人の妻がいましたが彼が亡くなる3ヶ月前に政略結婚した最後の妻はイングランドテューダー家のメアリー・テューダーでした。

そして以下の記事には三アンリの三つ巴合戦で同じカトリックであるギーズ公アンリを暗殺し、その後自らも報復により暗殺されてしまったヴァロワ朝最後のフランス王アンリ三世が出てきますが、そのアンリ三世の曾祖父にあたるのがルイ12世です。

このようにダ•ヴィンチのサルバトール•ムンディの最初の所有者は、当時のヨーロッパの絶対権力であったハプスブルク家(神聖ローマ帝国)に対抗し勢力を拡大しようとしていたフランス王家⚜️だったわけです。


世界の救世主はイングランド王室へ

1625年イギリス王ジェームズ一世が亡くなり息子のチャールズ一世が王となり、フランス王アンリ四世の娘アンリエット・マリーと結婚しました。
チャールズ一世が大の芸術愛好家であったこともあり、この際にサルバトール•ムンディはフランス王家からイギリス王家の元へ渡ったとされています。

チャールズ一世とアンリエット•マリー


イングランド王チャールズ一世

サルバトール•ムンディがなぜこのタイミングでイギリスに渡ったのかは以下の記事を読んでいただくと理由が分かるかと思います。
既に読んだ方は点と点がしっかりと繋がったのではないでしょうか。


行方不明になるサルバトール•ムンディ

1649年の清教徒革命によるイングランド内戦で国王軍が敗れチャールズ一世が処刑されると、サルバトール•ムンディはフリーメーソンであったジョン•ストーンという男の手に渡り、その後1660年にチャールズ二世が王政復古により王になった際に王室へと返還されました。
それからしばらくはイングランド王家の元で保管されていたのですが、1763年に王室から持ち出され行方不明となります。
一世紀半近くの間、行方不明となっていましたが、1900年に突如ロンドンのオークションに現れ、ダヴィンチの弟子の絵であろうと鑑定したチャールズ•ロビンソンという美術商が6ポンド6セントで落札。
彼は120ポンドでコレクターのクック卿に転売します。
20世紀前半にはサルバトール•ムンディはクックコレクションに展示されていました。

クック版サルバトール•ムンディ 1913年

現在のサルバトール•ムンディとは顔が全く違いますがその謎はこの後に触れます。


アメリカに渡った世界の救世主

クック卿の美術品コレクションはクック家に代々受け継がれましたが、四代目の時代には財政難に陥りコレクションはすべて売却されることになりました。
1958年のサザビーズ・ロンドンのオークションにてサルバトール・ムンディは、アメリカ人コレクターのウォーレン・クンツに、わずか45ポンド(約4万5000円)で落札され次はアメリカへと渡ります。
落札したアメリカのクンツ夫妻に子供がいなかったため、美術コレクションは、甥に受け継がれますが、2004年に彼が亡くなり、遺産を相続した彼の長男はコレクションをすべて処分することにしました。
コレクションの残りを地元ニューオーリンズのセント・チャールズ・ギャラリーに頼んでオークションで売り出すと、2005年のこのオークションをオンライン・データベースで発見したニューヨークの美術商アレックス・パリッシュがわずか1175ドル(約13万円)で落札しました。

ちなみにクンツ氏が住んでいた場所に加え、オークションが開催された場所がルイジアナ州のニューオーリンズです。

元フランス領であったルイジアナ州の"ルイ"はフランス王ルイ14世に由来しています。
ルイジアナ州の紋章のペリカンの意味も象徴を学んだ方にはすっかりお馴染みですね。

ルイジアナ州の紋章


ペリカンの象徴に関しては、実は霜月やよいさんの以下のnote記事から以前amazonで販売されていた絵本「ララとソニアと美の秘密」がなんと丸々無料で読めちゃいます。
知らなかった方は是非この機会にオススメです。


そして、ニューオーリンズ New Orleansは 新たなオルレアン Nouvelle-Orléans という意味です。
フランス国旗と同じ赤白青のトリコロールにフランス王家の象徴フルールドリス⚜️🇫🇷もすっかりお馴染みですね。

ニューオーリンズの市旗

クンツ氏の元にサルバトール•ムンディが流れ着いたのもおそらく必然だったのではないかと思います。


修復から価値の急高騰

ニューオーリンズでパリッシュ氏に落札された2005年当時のサルバトール•ムンディは長年の汚れや損傷に加え、後から加筆された部分も多く、パリッシュ氏は仲間の美術商とともに、絵の修復と来歴の調査を試みました。
先ほどの顔が違うクック版の汚れと上塗りを落とし現れたのが以下の原画だそうです。

加筆を取り除いた状態


絵具が剥げた跡が残り、大きな傷も目立ちます。この上に塗り直しが施してあり、元の絵が隠れてしまっていたそうです。
修復作業はダイアン•モディスティーニ氏に任され彼女が補修を施し、今の状態が完成しています。
彼女の手が多く入っているために、作者は「レオナルデスティーニ」だと揶揄する人までいるそうです。笑
以下の動画の女性です。


クック版の加筆部分が取り除かれ現在の姿に移り変わるまでの様子は以下の動画をご覧ください。


その後、元の姿に復元されたサルバトール•ムンディは2011年にロンドンのナショナルギャラリーで展示されると一気に評価と価値を高めました。
2013年にはロンドンのサザビーズのオークションでスイス人美術商イヴ•ブーヴィエに8000万ドル(約90億円)で落札された後、ロシア人富豪ドミトリー・リボロフレフに1億2750万ドル(約140億円)で買い取られました。
そしてリボロフレフ氏がオークションに出品し、史上最高の4億5000万ドルでの落札が冒頭に紹介した2017年11月15日ニューヨークのクリスティーズでのオークションというわけです。


これからの世界覇権の行方

歴史を振り返ると分かるように、サルバトール•ムンディは時代ごとに移り変わる世界の覇権とリンクするかのようにフランス➡️イギリス➡️アメリカと場所を転々として来ました。
まるでこの絵を手にする者の元に世界の覇権が託されるかのように。
では、そんな世界の救世主像が現在どこにあるのかを見ていきましょう。



ここから先は

7,408字 / 21画像

¥ 666

この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?