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今の自分が過去の自分をつくる

10月30日(水)
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おはようございます。
文化祭の歓迎門の撤去作業で身体中が筋肉痛でやられている桑田です。

さて。
今日は、「今の自分が過去の自分をつくる」というテーマでお話したいと思います。

▼「嫌われるオジサン」になる?
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飲み会で嫌われるオジサンの〇〇みたいなのをよくテレビやネットで見ることがありましたが、「おなじ話をする」と「過去の話をする」の2つが二大巨頭として、いつも君臨していたと思います。

二十代の頃は、「本当にこの人何回もおんなじ話するなぁ〜」って思ったし、「過去の話はためにならんなー」って思って聞いてることが多かった。何より、そういう人とは、できるだけ、もう飲みに行くのはやめようって考えてた。

30代になると「おなじ話はしないようにしなきゃな」とか「過去の話は絶対にしないように」って思いながら、酒を飲むようになってた。
でも、気がつけば、おなじ話をしないようにしないようにって思えば想うほど、似たような切り口でおなじ話をしてた気がする。

思い返してみると、特にバスケ界隈ではこれがひどいように感じる。

▼「過去の栄光」が嫌い
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その中でも、至極気をつけていたのは「過去の栄光」を話さないようにすること。
昔のチームのこと、実績のこと、選手のことは本当に話さないようにしてた。

なんとなく自慢げに話しちゃうし、自分の頂点がそこに定まってしまいそうだから。

でも、そうならないようにならないように考えているから、もしかしたら、一番過去に囚われていたのは自分だったんじゃないかとも想う。

最年少コーチとして出場したインターハイ
最少人数で優勝して出場したウィンターカップ

いつも心の中で「俺には実績があるのにわかってもらえない」って思い、縛られていたように感じているし、今もきっとこの呪縛から抜け出せないでいるように思う。

あの頃の僕は、何者でもない僕で、選手に恵まれ、選手の手のひらに転がっていただけなのに…

▼今の自分が過去の自分をつくる
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そんな日々の中で、救われた言葉が今日のテーマである「今の自分が過去の自分をつくる」だった。
致知という月刊誌を購入して、全部は読みきれなくても、できる範囲で読むようにしているのだが、いつかの記事に書いてあった。

過去の自分がどういう評価を受けるのかは、今の自分によって作られている。と
考えてみれば、過去の自分が今の自分をつくるっているとずっと考えていたし、だから努力を積み重ねることが大切だと思っていたけれど、逆もまた然りなんだなって思った。

昔、どんなにヤンチャな子だったとしても、今一生懸命働いて親孝行していたら、近所のおばさんたちは、「立派な社会人に成長して、親孝行だこと!」というに違いないし、逆に、昔どんなに真面目で秀才でも、今、家に引きこもりで仕事もせずに親に迷惑をかけていたら、「小さい頃はとっても優秀で真面目な子だったんだよ。きっとどこかでスイッチが切れちゃったのかね」というに違いない。

要は、人の過去の評価なんてものは、今の自分がどうあるかで変化させることができるということ。
お笑い芸人が話していたことがあるけれど、過去のどんな失敗や恥ずかしい話もみんなが笑ってくれる最高の思い出にすることができる。と

過去は変えられないんじゃない。
過去はいくらでも変えられるんだ…と。

そう考えると僕の過去の栄光は、今はくすんでいるんだろうなぁ。
それは、今の僕がくすんでいるからだろうなぁ〜と考えることができる。

もっといいバスケットボールを子どもたちに伝えよう。もっと面白いバスケットを子どもたちに伝えよう。
もっといい人生を送ろう。そのためにももっと笑顔でいれる自分になろう。

「Gunsho Braves」と「Fukushima M78ers」の選手たちがバスケットボールはもちろん、社会でも輝く人に育っていってくれるよう、僕自身、学びを深めていきたいと思います。どうぞ応援の程、何卒宜しくお願い致します。

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