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気づいたもん勝ち、お金は自分を満たせない。自分を満たせるのは自分だけ。

 この記事で話したいこと👇

  • 追われて逃げるのは人だけではなくお金も同じ

  • お金や他者からの評価は追った分だけ消耗する

  • 自分を満たすことができるのは自分のみ

  • お金のひとつ先にある”なにか”を掴むとは

 いつも前置きが長くなるので割愛し、さっぱりと。
 お金は追っても逃げていく。そして掴めない。追うのではなく追われた方がいい。ここではそんな私の考えについて書きます。 


生き物は「追われたら逃げる」

 みなさんは、お金に対してどのように考えられますか?
 私は「お金と人は同じ方向を向いており、自分がお金の方へ動くとお金も同じ方向へ動く」。つまり追うと逃げるものだと考えています。
 人間を含んだすべての生物は、相手に追われると逃げようとする意思が働く。心理的要素もありますが、これは”生物の遺伝子に組み込まれている本能”です。
 太古より、我々人類を含めた生き物は、身の危険を察知した場合に対象から逃げようとする性質や習性を備えています。 捕食者と被食者の関係ですね。
 これは遺伝子学上で研究され、根拠が証明されている。
 とりわけその中でも「学習能力の遺伝」についての面白い研究記事がこちらです。

https://www.cell.com/cell/fulltext/S0092-8674(19)30552-5

 この研究記事からすると、生物はあらゆる捕食者から身を守るために、「逃げる」行為を学習し、その遺伝子をも伝達しているということになります。
 、、、ん?ではお金はどうなる?無論、お金と生物は同義ではない。
 ただ、お金それ自体に意思はなくとも価値が動く以上、私はこれを「生き物」として捉えている。
 ともすれば選択肢はふたつ。逃げていくお金よりも早く賢く捕まえるのか、或いはお金よりも前に立ち、お金に自分を追わせるのか。

 皆さんにも、追われる立場と追う立場、どちらの経験もあると思われます。
 懇意ではない相手からの押し付けのようなアプローチに辟易したことがありませんか?煩わしく思いませんか?或いはその逆も然りです。
 以前の記事でも紹介しましたがひとりでゆったり買い物を楽しみたいのに、ずっと後をついてくるショップ店員。
 このように、相手が「生き物」に限りますが、追えば追うほどに対象は逃げていくんです。
 お金も同じではないでしょうか。追い続けて、一旦は手にしたように見えても実は掴めていない。それに気が付いたらいなくなっている。

追えば追うほど「すり減っていく」

 苦労して、我慢して、やっとのことで手に入れたと思われがちなお金。それを手にするまでにはやりたくないことをやらなければならなかったり、相当の辛抱を要したりすることでしょう。
 そして手にしたと思えば、そのストレスを発散するためにサービスやモノで満たされようとする。
 頑張ったご褒美、と自分で自分に体のいい理由を作って労わる。空いた穴を埋める。
 そしてまた手にしたと思ったもののいつの間にか「なくなっていた」お金を追い続けるレースに挑むんです。
 これ、終わりがありません。終わりもないし底もない。
 なぜならば人間には「逃げる」という学習遺伝子と抱き合わせたように「欲求」が備わっています。
 お金というものは、この「欲求」に対してとても面白い位置関係にあり、欲求を満たすためにお金が消費されるような仕組みになっているんです。

 これはアメリカの心理学者であるアブラハム・マズローの提唱する「段階欲求説」がそれにあたります。
 また、その説を用いた『お金からの解放宣言』にも興味深い一節があります。

私たちに注意が必要なのは、「欠乏欲求」を満たすことに固執しないようにすることです。なぜなら人間の欲には底がなく、「欠乏欲求」を満たすことに固執すると、いつまでたっても満たされる状態にならないからです。

 たとえば、老後資金として4000万円を貯めたとします。家族形態や持ち家の有無、年金の受給額、生活水準などによって安定的な老後生活が営めるかは変わってきますが、ここでは営めるとします。ただ、安定的な老後生活が営めるにも関わらず、欠乏欲求に固執するともっと多くの金額が欲しくなります。

個人投資家兼USJ(ユニバーサル・スタジオ・ジャパン)のマーケティング・ディレクターの秋山哲『お金からの解放宣言』(かんよう出版)

 

 このように、人間の欲には際限がありません。またこの業界ではさらに顕著です。
 1日5万稼いだとしましょう。一般職では到底難しい金額かと思われます。はじめて手にした日給5万円で喜ばない人はおそらく少ない。
 次第にそれに慣れてくると、1日5万の稼ぎでは物足りなくなる。7万、10万、15万、、、徐々に欲求は増えてゆく。
 この業界から中々抜け出せなくなるカラクリはこれです。10万稼ぐために。15万稼ぐために。無茶や無理をして自分を消耗する。その消耗戦で疲弊した自分を癒すべく、さらに高価なモノやサービスに対価を払う。その繰り返しです。
 気づけば時間だけが過ぎてゆき、結局は残るものが少ない。金銭感覚に麻痺してしまう子が多く、残ったのはすり減った自分ではないでしょうか。

自分を満たせるのは自分だけ

 卒然とすみませんが、内発的動機外発的動機。このふたつの言葉を聞いたことがありますか? 
 人は何かを欲するとき、必ず動機がある。
 その動機こそが、自身の欲求を満たす、目的を達成するにあたっての最たるエネルギーになります。 

 内発的動機とは、自分の内側から出てくる興味や関心を要因にて行動を促されることを指します。いわば「行動そのものが目的と結びついている」ということ。
 対照的に外発的動機とは、主に報酬、また評価や罰則、ノルマなど外部からの刺激にて行動を促されることです。
 この業界における動機(モチベーション)の保ち方としては、私は前者が有利なのではないかと思っています。
 ”行動そのもの”が”目的と結びついているか否か”。この点は非常に有利です。

 例えば、今皆さんの中に目的として、本当にやりたいこと、なりたいものがありますか?
 もしあるのならば、すでに行動に移せているかもしれません。それが動機、モチベーションなのです。
 目的が明確にあり、その目的を達成するためにこの仕事を選んでいるのならば、前述したお金を追う負のスパイラルへは迷い込まずに済む。
 ひょっとしたら目的そのものがお金かもしれない。そうだった場合、その目的は達成されづらい。なぜならば追うほどに消耗し、その消耗に耐えられず、自分を騙しながら螺旋の中で回り続けてしまうからです。

 とはいえ正直な話、この仕事の内容に関してポジティブに捉えている子は皆無でしょう。性的なサービスを提供することで得られる充実感はない。やりがいなんてないんです。わかっているけど誰も言わない。言おうとしない。しかし、あえて言います。
 無理にやりがいなんて見つける必要もなんてどこにもありません。そんなことにまで消耗しなくていいんです。あるわけがないんですから。
 そんなことよりも、「自分は売れている」と誇れるような状態にあることに意義を感じてみてはどうでしょうか。
 性的なサービスを提供し、お客様に喜んでもらえた。感謝された。これを素直に喜べる子が果たしてどれだけ存在しているのか。限りなくゼロに近いと思います。
 それなのに仕事をがんばろう、お客様が待っているよ、「仕事」だからー。
 私はそんなきれいごとに、嫌悪感を抱かずにはいられない。隠さなくたっていいじゃないですか。はっきり言っていいじゃないですか。やりたくてやっている子なんてほぼいません。
 キャストに対して都合よく「仕事」をやんわり押し付けるような業界の”当たり前”に私は疑問を感じます。こうすれば稼げるよ、だから頑張ろう。そんな短慮なフォローもいかがなものか。そうじゃない。
 売れている。自分のやったことが着実に成果へ表れている。自分がユーザーを動かしている。仕事の内容云々ではなく、「自分の行動がいい結果をもたらしている」ここに目を向けてみることで少しだけポジティブな感情に切り替えられたら楽なのですよ。
 話は戻り、その「自身の内側から出てくる興味や関心」が大きなエネルギーになります。
 そう簡単ではない考え方かもしれません。お金にためにやらないんだったら何のためにこの仕事をしているかわからない、そんな考え方も私は否定しません。
 それでも、考えや視点を少し変えるだけで楽になる可能性を秘めている。私はそれを伝えたい。
 自分を満たせるのは、自分だけですから。

”なにか”は常にお金の一歩先を行く

 お金は行動とは結び付きません。だからこそまずは目的と行動を結び付ける。
 見出しの”なにか”とは目的です。”目的”は常に「お金の一歩先」を歩いています。
 この仕事で手に入れたお金で何がしたいのか、どうなりたいのか。目的は人それぞれだと思いますが、できるだけ「本気で自分がどうなりたいか」を考えてみてください。
 周りに左右されず、本当に自分がなりたいもの。やりたいこと。きっとなにかあるはずです。見つかっていないだけかもしれません。 大それたものじゃなくても構いません。大小問わず、誰も笑いません。無理だとも思いません。自分のことは自分しか決められませんし、他人にとやかく言われる筋合いなんてないんです。

 そうして目的が決まったのならば、あとはそれに向けて行動するだけ。その間に起こりうる消耗には「自分が売れている」ことである程度の対処をしてみると少し楽になります。
 「稼ぐ」ために消耗するのではなく、「目的を達成するまでの消耗」のために”売れる”という防御策を取るんです。
 私の考え方が周囲と真逆なだけかもしれませんが。

 お金を追わずに、自分と向き合い自分で考えた”なにか”へ向けて走り始めることができれば、いずれお金は追い越せます。お金の一歩先を走れます。
 …もうおわかりですね。今度は自分が、お金に追われる立場です。頑張って目的地に到着してみてください。お金も頑張ってついてきます。
 そうして目的地への到着は走るのをやめてもいいということになり、そのゴールの瞬間に、自分を追ってきたお金が手に入っているはずです。

 目的達成したのならば、もうこの業界にいる必要もなくなる。この仕事なんて、そんなもんでいいんですよ。
 私はその”なにか”まで到達するまでに、ほんの少しだけ役に立つことができればいいなと思っています。

さいごに

 ここまで書いたことは堅苦しく、重たい考え方かもしれません。
 自分のやりたいことを見つける?目的を本気で探す?なにを馬鹿なことを。そもそもそんなものは簡単に見つからないー。
 そんなふうに思っている子もいるでしょう。
 それでもいいんです。無理強いしているわけではなく、こうしてみたらいいんじゃない?くらいの提案レベルで受け取ってもらえたら幸いです。 

 人生は意外とあっという間。 かくいう私もすでに40手前になりました。
 20代、若気の至りで抜き身のままやりたいことだけをやってきて気づけば人間の折り返しです。
 幸運なことに現在は所帯も持ち、守るべきものも増えた。
 そんな今から、なにか新しいことに挑戦するというのはややリスクが高い。時間は誰にでも平等であり、そして残酷です。若いということ、それだけで可能性や選択肢は大きく広がっています。
 今しかできないポジティブなことに、リスクの低いうちに全力を注いでみるのも案外悪くないですよ。

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