「一生もの」を信用しない。
とても気に入った服だったり、値段の高い服だったり、希少価値の高い服だったりすると、それらを「一生もの」として、ずっと大切にすることが多いでしょうか。ものを使い続けて大切にすることは尊いことだとされますよね。でも、その考え方には、ちと疑問があります。
最近、こんなことを考えています。
手持ちの服を減らしに減らします。例えばシーズンごとに5着までしか持たないようにします。フランス人は10着しか服を持たない、というよりも半分の量まで減らします。
翌シーズンの服が出始めた頃、手持ちの服を総取り換えしておきます。どんなに愛着があっても、どんなにまだ着ることができても。
想像してみてください。次の季節が訪れた時、クローゼットの中の服は一新されているのです。いつもの自分の部屋が生まれ変わったかのように感じませんか。心躍りませんか。こそっと一人、踊りたくなるかもしれません。
贅沢でしょうか。無駄遣いでしょうか。お金にそんな余裕はないでしょうか。
確かに勿体ないですよね。でも、服を一新することで気持ちが高ぶり、上昇志向になって、新しい目標が見つかり、日々が楽しくなる。そんなことが期待できます。財布の中身は寂しくなりますが、心の中身は嬉しさで満たされていくことでしょう。
さらに経済が回り始めます。服を買い替えるわけですから、初めに儲かるのはアパレルとかネットショップとか、そういったところからです。次はそれらの業界から他業界へお金が動きます。服の素材を新しいものに変えたり、リーフレットを新しくしたり、システムを刷新したりするのです。そのお金は巡り巡って、きっと自分のところに(ずっと大きくなって)返ってきます。経済ってそういうことなんじゃないでしょうか。
とはいえ、何をどんなふうに買ってもいいわけではありません。一生ずっと大切にしていきたいものを手に入れるように、自分にとって本当に必要で、そして好きなものを買う必要があります。そしてそれらを1年で手放すのです。
「一生もの」の定義を変えてみましょう。「一生手元に置いておくもの」ではなく、「一生手元に置いておかないもの」という意味にします。ものに固執することなく、自由に生きたいものです。