リペア
全くの無知から農業を始めて10年経つ。
それまでの生活を一新して、どうやったら農家たりえるかを希求して遮二無二やってきた。
気がつけば独立し経営も安定し、古民家を買い改装し、地域や組合から責任ある役職を任され、地域農業や町に力を尽くすことに一種の悦びを感じるまでになった。
自分の事しか考えず、遊びや快楽に蕩けていた時分から思うと、少しだけ自分を褒めてやりたくなる。
非農家から農業を始めるにはハードルが高く感じられるようだ。
ようだ、と言ったのは私も非農家からの就農であるが背水の陣のように、そこで退がれば人生が暗黒となると信じ込んでいた為、ハードルがあるなんて事を考える余裕もなかったからだ。
立場上、農業を志す若者にプロセスや現場の実際を説明する事が多い。
確かに農業は天候に左右され自然相手の予断ない仕事である。しかし環境に逆らわず先輩農家の話をよく聞き実践し、真摯に向き合っていけばこれほどいい仕事は無いと実感している。
非農家が自営で就農するハードルの高さとは何だろうか?
土地、技術、コネクション、販売ルート、未知への畏れ。
上記の理由も大きな要因である事は間違いない。
仕事として生活が成り立つのか?なんてことも聞かれるが、そんなことを聞くのは農家が皆、草でも食っているとでも思っているのだろうか。
一つ、大きなハードルとなるのが施設、農機具だ。
どれもこれも特殊機械の為、やけに高価である。
栽培作物によって必要になってくる機械は多岐に渡るが、例えば果樹農家である私が必要な機械施設は、果樹棚、スピードスプレイヤー、草刈り機、トラック、その他を含めて1000万は超える。水稲に至っては全て新規で始めようとすると2000万コースは固い。
農業だろうとなんだろうと事業を立ち上げようとするとそのくらいは当然かかるものだ。
しかし私はそれほど貯蓄があった訳ではない。
始めた当初は昼も夜も働いたが、とても1000万を捻出するまでには至らなかった。
ただ遮二無二働いた。
やらせてもらえることならなんでもやった。
どんな人の話も肥やしになると思い耳を傾け、わからない事があれば恥知らずになんでも問うた。
自分が作ったものを出荷するという一念のみ、諦めを捨てて愚直に進んだ。
そんな私を見てくれている人は必ずいて、応援してくれ、励ましてくれ、助けてくれ、笑いかけてくれ、怒ってくれた。
古くて要らない草刈り機があるから、調子が悪くて買い替えたから、もう使わない機械だから修理するなら持っていっていい。
旧車と呼ばれるバイクに乗っていた為、多少の機械なら自分で修理できたので修理出来そうなものなら喜んで頂き、一升瓶を持ってお礼に行った。
気がつくと1000万かかるはずの機械達はほぼ無料で納屋に格納されることになり、現在も不便なく稼働している。
頑張ってみても成果が目に見えるのは何年かかるかは分からない。しかし、その姿勢を見てくれている人は身近に存在し必ず評価してくれている。
決して腐らずにより良い人間になろうとすることだけは諦めてはいけない。
助けて貰った恩義は直接返せなくとも、また頑張ろうとする人に渡していけばいい。
一見ボロボロの機械たちは、リペアを重ねながらそれでもしっかり仕事を続けている。
自分自身の写し身のようだとふと感じた。