あまり人に言える事ではないので記憶は薄まっていく中、ここなら留めて置けるかもと、認めざるを得ない若さ故の過ちとして残しておきたい。 およそ二十代の時間は、音楽とドラッグ、女遊びに呆け、そしてその代償を払うのに費やした。 HIPHOPの暗黒時代と呼ばれる2000年代、それでもアンダーグラウンドでは様々なラッパー、DJ、ダンサー、グラフティライターが鎬を削り、暗黒を突破して一部のアーティストが今、陽の目を見ている。 自分は当然、闇に呑まれた方で原因はセンス云々ではなくただ努力と
最古の記憶というものを覚えているだろうか? 大げさに最古の記憶と言っても、ウホウホと穴ぐらで貝ばかり食べていた頃のことだとか、恐竜が地上の支配者だった時代の話でもない。 一番幼い頃の記憶、原風景ということだ。 記憶というものほど至極当てにならないものはない。 忘れ、思い出し、自らにとって都合のいいように改変を重ね全くの別物になっていくものだから。 保育園に通っていた時分、誰が呼んだかエッチ隊なる組織が結成されていた。 主に男子5,6名で活動し、保育園の先生の胸を触った
高知に行ってきた。 旅行とは言っても、大半は仕事のスケジュールで埋まっていて自由時間は少なかったがそれなりには楽しめた。 日本一のがっかり観光名所と呼ばれる、はりまや橋を見逃したことだけが心残りだ。 少しふらっと歩いてみただけで高知城、武家屋敷跡、山内家代々の館跡など、史跡が街中に点在している城下町の独特の風景と慕情を味わうことができた。 特に武地瑞山殉職の地などは、高知城から近いことの驚きと、日本史上においても苛烈な自死をやり遂げた半平太の悔恨を夢想して感動も大きかった。
全くの無知から農業を始めて10年経つ。 それまでの生活を一新して、どうやったら農家たりえるかを希求して遮二無二やってきた。 気がつけば独立し経営も安定し、古民家を買い改装し、地域や組合から責任ある役職を任され、地域農業や町に力を尽くすことに一種の悦びを感じるまでになった。 自分の事しか考えず、遊びや快楽に蕩けていた時分から思うと、少しだけ自分を褒めてやりたくなる。 非農家から農業を始めるにはハードルが高く感じられるようだ。 ようだ、と言ったのは私も非農家からの就農であるが背
着火。 2022/11現在、日本では希少となりつつあるキューバシガー。キューバ産葉巻の流通が壊滅してもう一年になろうか。 葉巻強国であるヨーロッパ各国においても気軽には手に入らないらしく、原産国キューバにおいてもそれは同様のようだ。 自然、火を付けるのはドミニカ、ニカラグア産に偏り、葉巻のロールスロイスと呼ばれるダビドフに随分とお世話になっている。 ダビドフは優秀だ。 どれを喫っても完璧なドロー、品質管理が徹底されたクリーミーでシルキーな味わい、ラッパーの美しさ、流石一流の