「何回説明しても伝わらない」はなぜ起こすのか? 今井むつみ
言語は意図のすべてをそのまま表現できるわけではない。
常に受け取り手によって解釈され、解釈されてはじめて意味あることとして伝わる。
言葉を発した人が込めた思いと、相手の解釈が大きく異なってしまうこともある。
想いと解釈が一致しているかどうかは、話相手にも聞き手にもわかりません。
言葉を尽くして説明しても、相手に100%理解されるわけではない。
同じものを見たり聞いたりしても、誰もが同じような理解をするわけではない。
「言われた」ということと「理解した・わかった」というのは根本的に別物で、「言われたけど理解できない」ことの往々にして起こりえる。
スキーマ
「知識や思考の枠組み」が互いに全く同じであれば、話した内容はすんなり理解されるかもしれませんが、現実には、そんなことはめったに起こりません。
なぜなら一人ひとりの学びや経験、育ってきた環境は違いますし、仮にまったく同じ環境で育ち経験したとしても、それぞれの興味関心が異なれば、形成される「枠組み」が変わったしまうからです。
情報の重要度
言った側と言われた側で、その情報の重要度が違う。
「言った側は覚えている。言われた側は忘れる。」
講演者も学校の先制っも、言った側はよく覚えているのですが、言われた側は忘れてしまう。
反対に「言った側は忘れているが、言われた側はよく覚えている」
近代問題視されているハラスメントです。
記憶
記憶のすり替えはいたるところで起っている。
たとえ嘘をつくつもりがなくても、誰かの発言や自分の願望、感情、そして自身のスキーマによって、記憶は影響を受け、あなたにとっての「事実」がいつの間にかつくりあげられてしまう。
記憶は簡単に操作される。
人は「「なじみがある」という感覚だけでも、記憶にバイアスがかかります。容疑者の写真を事前に見たことで。その顔に対して「見たことがある」という感覚が植え付けられてしまう。
実際にその人に会ってみたのか?写真で見たのかは、もう区別がつきません。
警察の捜査に中で何度もその容疑者の写真を見せられているうちに、「この人に違いない」と思い込むにいったてしまう。
被害者の視線
突発的に事件に巻き込まれてしまったとき、私たちは「どこ」を見ているか?
銃口をつきつけられたとき、人は銃を凝視することがわかっている。
それも、犯人の顔はいっさい記憶に残らないくらいに、銃だけをひたすら見続けるそうです。
レイプにあった女性がナイフを突きつけられていた場合、多くの人は「自分を襲った犯人の顔なら、はっきり覚えているはずだ」と考えてしまいますが、その女性の視線は、突き付けられたナイフに向けられているはずです。
そもそも、被害女性は犯人の顔をほとんど見ていなかった可能性がある。
エコーチェンバー現象
ソーシャルメディアを利用する際、自分と似た興味関心をもつユーザーをフォローする結果、意見をSNSで発信すると自分と似た意見が返ってくるという状況を、閉じた小部屋で音が反響する物理現象にたとえたものである。
デメリット
同じような価値観や考え方の意見ばかりに触れた結果、自分の考えは「正しい」「多数派だ」と信じてしまうことです。 問題点としては、誤った情報でも正しいと信じてしまうことや、異なる意見を受け入れにくくなることなどがあります。
人は「忘れた」ことを「忘れる」
「人は忘れるものだということだけでも記憶にとどめておかなければいけません。
仕事ができるひとというのは「相手も自分も忘れる可能性がある」ということをわかっている。
認知科学者で米国 ブラウン大学 スティーブン・スローマン教授の言葉。
私たち人間の記憶容量は「1GB」ほどしかない。
人は分かり合えない。
それが、わかりやすい結論。
同じものを見ていても、温度や湿度であっても、感じ方は違う。
昔、夏になると「不快指数」というものがあったらしい。
真夏に「今日の不快指数 98%」とか発表されいた。
98人が不快で2人は快適だったのだ。
その二人はどういう人なのか、とても気なっていたそうだ。
つまりはそういうことであろう。
諦観すれば、物事はうまくいくのだろう。
でも、期待してしまう。
それがきっとだめなのでしょう。
他にも、部下や上司、お得意様の営業ためなる話がたくさんありました。
この本はおすすめです。