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熱狂宣言 小松成美

「私は、若年性パーキンソン病です」
「外食業界のファンタジスタ」の異名をとる、ダイヤモンドダイニング社長・松村厚久。熱い情熱と才気迸る男を襲った過酷な運命は、彼をさらなる熱狂へ駆り立てる。

パーキンソン病


パーキンソン病は身体の異常が一目で分かります。
話し方も変わり、人相も違って見えます。
 人はこうした変化を、脳にも起こっていると考えます。脳の機能は何一つ失われていません。
『オフ』と言って、多動の後に体が人形にように動かなくなることがありますが、そんな時でさえ、思考は完璧に働いています。
むしろ集中力は増していいるかもしれません。

 パーキンソン病患者は、現在日本に14万人以上いると言われていますが、20代30代で発症する若年性パーキンソン病は、稀である。

 運動症状とする病気で、50歳以上で起る病気です。
時々40歳以下でも起こる方もおり、若年性パーキンソン病と呼んでいる。

 10万人に100人から150人。60歳以上では100人に一人、高齢者には多くなります。

 遺伝はしませんが、若く発症される方の中には家族内で同じ病気の方がおられ、遺伝子が確認されています。
 
 すぐに命に関わる病気ではありませんが、実際、病気が進んできてからも、2~3年ほどは気にせず仕事は出来る方もいる。

 この病気の残酷さは見た目の酷さです。
じっとしていることができず、さらに反動で硬直した体は寝返りを打つこともままならない。日常生活を送るだけで背中や腰には激痛が走るようになります。
 病気の進行とともに、落ち込みが酷くなり、パーキンソン病患者の中には鬱病を発症する方も多い。

厚生労働省は難病に指定している。


 ジスキニア

 自分自身ではどうすることもできないほど震えや不規則な動きが出て、歩くことも立っていることも、座っていることも難しいことがある。



「この病気は自分の運命だったのだ。パーキンソン病になったからここまでの気持ちになれたのだ。自分の思いや夢に限界がなくらりましたからね、この病気になって、命ある限り、諦めず、突き進む。
 ダイアモンドダイニングを前人未到の業績を刻む企業にしてみせる。
本気でそう思えるんです。。
すると、そのための仲間が次々に現れました。病気を苦しいとは思いますが、孤独ではありません。いつも社員や仲間に囲まれ、信じられないほどに助けらています。自分がこんなふううになれたのは、実は病気のおかげかもしれません。健康であったら、ちょっとした成功で満足して天狗になって、そこまでのダイアモンドダイニングで終わっていたかもしれません」


 2001年に外食産業に参入した松村さんは銀座に「ヴァンパイア・カフェ」をオープンさせる。

 2002年12月に社名をダイアモンドダイニングに変更。
「マルチコンセプト戦略」を掲げて成長を続け、2010年10月に「100店舗100業態」を達成した。



 1リットルの涙の木藤亜也さんを思い出しながら読みました。
松村さんと木藤亜也さんの病は違うのですが、体の自由が奪われる所が酷似している。

筋萎縮性側索硬化症 パーキンソン病 違い


「ALS〈筋委縮性側索硬化症〉」もパーキンソン病も体が動かなくなる神経の進行性疾患ですが、同じ病気ではありません。 ALSは筋肉を動かす運動神経の病気であり力が入らなくなっていきます、パーキンソン病は体の動きを滑らかになるよう調節する神経の病気であり、手足が震え体が硬くなっていきます。


 しかしお二人に共通することろがある。
それはお二人が病気を受け入れて、それでも生きようとするところ。
 それは、とてつもない強い精神力が必要だ。

 こんな夜更けにバナナかよ」の鹿野靖明(しかの やすあき)さんは筋ジストロフィーであったが、同じ精神の持ち主であったと感じる。


 「神様は残酷で、最初にすべて与えて、そこから一つずつ奪っていく」
という言葉を思い出した。

 読んでいて松村厚久さんは本当に強い方で、熱い方だと思いました。
私の少ない語彙では伝えきれない、ただ一つ言えることは、熱い心が燃え立つ本です。

 この本はおすすめです。

 


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