映画。時を経て自分が泣くシーンが違うこと。

Netflixで「君に読む物語」を目にした瞬間、「愛」の作品と瞬時に思い出して、ゆっくりじっくり味わいながらこれは見たい!と決め、お盆中に見てみたら、現時点の自分まで見れました。


制作が2004年。
純粋な愛の素敵な話に感動して20年前も泣いた作品だ。


私は1回見ると感動が薄れるので2回はみないのだけど、これはもう20年たった作品なので、見る気になったし、冒頭でも書いたけど、現時点の自分から見たらどう思うだろう?とおもって、どちらかと言うと自分にも興味がありつつの鑑賞となった。


改めてみたら、所々覚えてない。なので新鮮。こんなシーンあったんだ!とか、私は20年前ここで泣いたなとも思い出す。


ただ、今回は泣く場面が違った。


作品は同じなのに、わたしが20年後涙を流したところは増えていた。
出会った2人が見つめあって微笑みあってるだけのシーンでも泣けてくる。


若いふたりの純粋さがもう私には儚く美しいくて。


若い時の時間。
その時しかない時間を私は知った気でいるかもしれない。けれど、その時しかない時間を知ってるからこそ泣いてしまうのだろう。


それに、こんな愛の作品に触れられて、なんか幸せだ。泣いて感動できて、なんかどこかでほっとした。なんてゆうか、私の中にまだ「愛」や「純粋な気持ち」はあったと思えたとゆうか。


時間をかけて思うのは私は、俯瞰できるようにもなっている。


大人になるのは「慣れてくる」ことでもあるけど、


俯瞰してこうやって自分を見れるってそれはいいことだなと改めて思えた。


同じ作品を、時を経てみるのはいいなといました。こんどはなにをみてみようかな。


やっぱり愛しか勝たん。【最後まとめに眠くなり投げやり。でも本当。⠀】




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