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やっぱりおもちは可愛くない


 おもちは気落ちしていた。

 社内掲示板に張り出された育休期間変更のお知らせに現場にいた頃、散々お世話になっていた先輩の名前があった。だが、その内容は当初より期間を延長する、というもの。
 別に連絡とれるし、なんなら少し前に会ったし、いいのだけど、もうすぐ先輩に会社で会えるとウキウキしていたのでちょっとしょんぼりした。いや、先輩がお子さんと過ごす時間が増えてよかった、うん。
 しょんぼりしながらまた仕事に戻り、「私気軽に話せる先輩少ないんだよなあ」と考える。
 現場にいた頃、ありえない人事が発生したこともあり、正常なサイクルで先輩として接したのは育休を延長したその人と、彼女の旦那さんだけ。お姉様も先輩ではあるのだけど、私の中では大師匠なので歳と立場が近いのはその二人だ。
 現場最後の年、実はもう一人先輩がいた。いたけど、現場経験は私が長かったら不思議な関係だった。でも先輩だ。まあその先輩も育休中なんだけど。
 では現部署はどうか。
 実は現部署、課の単位からさらに業務ごとにチーム分けされているような形になっていて、私のチームは私とお兄さんとボスである。ボスも先輩と言えば先輩なんだけど、やっぱりリーダー的な存在なこともあって、どちらかというとお姉様と同じく師匠だと思って過ごしている節がある。お兄さんは実は出向者なので良きお兄さんではあるものの、会社の先輩と呼ぶには少しだけ立ち位置が違う。
 もう一つのチームにも比較的歳が近い先輩はいるけど業務が違うこともあってこちらも気軽に悩み相談する感じの先輩ではない。

 急にこんなことを考えたのは理由がある。
 ちょうど人事考課の時期なこともあって、後輩たちの相談事に乗る機会が多かった。でもおもちは、気楽にそんな話ができる先輩が少なくてちょっとだけ気落ちしていたのだ。
 自分の行く末とか将来とか、否が応でも考えさせられてうんざりする。正直生き死にを考えて過ごしていたところからようやく抜け出せたくらいなのに、前向きに考えろというのが無理。

 閑話休題。
 さて、先輩といえばもう一人、論外オブ論外こと13個上の先輩が当部署にはいる。
 もちろん可愛くないと日々突かれている相手に今後の進退の相談などする気もないのだけど、そもそもなぜおもちは可愛くないと言われているのか。それを遡ってみようと思う。


 おもちと先輩は実は先輩が前いた部署で所謂営業担当をしていた頃から付き合いがある。

 その頃、おもちはまだ現場にいて従順で可愛い後輩をしていた頃で、自分が窓口に立つ以外にも営業担当が持ち帰った書類を一部処理したり、他部署とやりとりすることも多かった。
 通常は営業担当の書類は営業事務がこちらと調整をするのだけど、先輩はなぜかいつも事務をすっ飛ばして直接こちらに連絡をよこすちょっと変な人だった。
 でも営業担当の中にはそういう人も何人かいて、珍しくはないのでさほど気にせずやりとりをしていた。
 先輩はずっと冒頭の先輩と直接やりとりしていたのに、その先輩が異動になるなりなぜか当時まだ2年目のおもちに連絡するようになった。他にも先輩がいるのに。まあその人やめたし他の人も全員根こそぎ異動したから結果的に大正解だったわけだけど。
 これについては異動したあと本人に聞いたことがあって、
「なんでいつも私だったんですか?」
「若くて聞きやすそうだったから」

 なんだその雑な理由。

 ともあれ、そんな雑な理由でおもちにとって先輩は「たまにやりとりをする感じの良い営業担当の人」だった。
 ……そう、先輩は直接連絡をよこす営業担当の中では比較的感じが良かった。身内には我儘最悪人格おしまいおじさんだがこいつとにかく外面がいい。だからおもちも騙されていた。何よりおもちは激チョロ人間なので、お姉様とも仲良くしていた先輩のことをこの人は大丈夫と信じ切っていた。
 この現場のおもちと先輩のやりとりは先輩がおもちより少し早めに現部署に異動したあとも続き、先輩は、おもちにしては珍しく、声と顔と名前がぼんやり一致する人になっていた。

 さてそれから時は流れ、おもちがドキドキしながら同期と共に現部署に異動してきたときのこと。

 現部署の今の課には当時まだ後輩がいて、見知った後輩に少し安心していたのを覚えている。知らない名前ばかりの中で後輩がいてくれたのはありがたかった。
 4月からの内線表をみて、隣の席の名字に目を丸くした。あぁ、確かよく連絡をくれる人の名だ。なるほどこの人も同じ部署にいたのか。
 覚えのある人が二人もいて安心したけど、後輩はともかく、先輩は自分のことはあまり気に留めていないだろうと思っていた。なんとなく覚えがある程度の人だろうと油断し切っていた。のに。

 事件が起きたのはそれからすぐ、歓迎会の席だった。

「この子、俺が営業に出てた頃からすっごく良くしてくれて」

 先輩は歓迎会の席で当時の上司や先輩たちになんの躊躇もなくおもちをそう紹介した。
 それどころか同席していた常務にまでそう言って回るものだからおもちは目を白黒させた。
 実はこの会の前にも小規模な歓迎会をやってもらっていて、その席でも先輩は私に助けられた、ありがたかったと何度も告げていた。その時もささやかに怯えてはいたのだけど、まさか人にも言い出すとは思っていなかった。
 まあ無節操女好き先輩のことなので、久々に現部署にやってきた若めの女子社員を構いたいというのが本音だったのだろうけど、当時そんな下心を知るわけもないおもちは大パニックを起こしていた。
 なにせおもち、前の部署で唯一一人だけを残し他のメンバー全員異動というキショキショゴミカス人事をぶちかまされた経験があるのだけど、そのとき、当時の部長や上司、先輩たちにとにかく持ち上げられ、結果責任と仕事を負わされた過去がある。
 いやわかってる! 当時はそれが仕方なかったことも、とにかくおもちに気を遣ってもらっていたことも。わかってはいるけど、とにかくおもちは不自然に褒められていたせいでその頃には褒め言葉に怯えるようになっていた。
 というわけですっかり萎縮したおもちはビールグラス片手にカタカタ震えながら、絞り出すような声で、

「え、なに……怖……」

 とおおよそ褒められているとは思えない言葉を返した。
 当然そんな反応が返ってくるとは思わなかったのであろう先輩は、先日も怯えていたおもちを思い出したのか顔を引き攣らせ、

「なんかこの子俺にだけ生意気なんだけど!?!?!?もう褒めねえからな!?!?」

 それは女子に下心ありで接したおじさんとすっかり人間不信に陥っていた保護されたてのおもちが起こした悲しい交通事故であった。過失割合で言ったら6:4くらい。


 というわけでそれ以来、褒めたら怯える訳の分からない生意気で可愛くない後輩としての道を歩み出した。というか1年目は割と大人しく従順だったのだけど、すっかり図々しく逞しく育ったおもちは今や先輩に「いやおもちちゃんも同期くんも可愛いだろうが?」と返す程度には強くなった。どういう方向の成長なんだそれ。
 こう言っておきながら、先輩は結構凄い。仕事もできるし、あの外面の良さも才能だと思う。正直結構、いやかなり尊敬はする。

「もう帰りてえ」「帰れば????」

 それでもダル絡みされるたびに私は同性の、気楽に相談できる先輩が恋しくなる。

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