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死に損ないの冬

なんか冬きた

どうも皆様ご機嫌よう、おもちです。年の瀬でしたわね。
なんか色々あって「夏に死のう」と決意して結局死に損なってなんやかんやと冬まで生き延びました。年は越した、やったね。
ただ全てが解決したかといえば全くそんなことはなくて、相変わらず周囲に広がる腐敗臭漂う地獄にそれなりの折り合いをつけて生きています。とでも言えば格好はつくのだろうけど実際はそんなに良いものでもなくて、ただがむしゃらにやって生き延びて足を止めたら色んなことに気づいて息苦しくなって。
まあ要はいつも通りなのよね、という。そういう近況報告だ。

おもち、ヘラるの巻

今年度に入ってから割りかしおもちの体調は安定していた。
朝に吐かなくなっただけでも気持ちはめちゃくちゃ楽だった。口の中から胃酸の味がしない、こんなに良いことはないです。仕事しやすすぎる。
クソゴミ人事のせいでたった一人の生き残りという美談と共に爆裂な量の仕事と二人分の指導を押し付けられながら(とはいえ上の人たちもそれなりに助けてくれた)時々出張お姉様によちよちされてメンタルを保ちつつ動き回っていた。
相変わらず一番酷かった時期の記憶はスパッと抜けていて(出来事の記憶はあるけどその時自分が何を思ったかは忘れてしまった)日々の仕事に忙殺されながら目を回し、去年の残務を片付けながらそれなりの日々を過ごしていたら気づけば年の瀬だった。
仕事の方は結構落ち着いていて(それでも1/2くらいの確率でおもちに放り投げられるけど)接客なんかも別におもちが出ずとも通り一遍はやってもらえるようになっていた(これが本当にありがたい。去年なかったやつだから)

そんなおもちはある日、書庫に引きこもっていた。

納品されていた諸々を収納するのが主な目的で、事務所の奥にあってなかなか来づらい場所のそこは去年業務中に入るの殆ど無理で業後に残業したりお客さんが来なくなる短いタイミングで走って用事を足しにいくような場所だった。でも今年は先輩も新人ちゃんもいてくれたし、どっかに業務中散歩したりする人たちでもお客さんきて無視する人たちでもないのでおもちは「何かあれば呼んでください」と言い残して大量の納品物のチェックと収納に勤しむことに成功した。
が、まあ、そういう日に限って忙しくなるもので最初は新人ちゃんが「あんころさ〜ん;;」「なぁに♡」(補足。基本的におもちは後輩という生き物にとても弱い)
次は監査の対応に困った先輩がきてやいやいと話したり、よく話す派遣さんにちょっかいかけられたり手伝ってもらったり、一瞬自席に戻ったら上司に諸々聞かれて諸々答えたり、でなんやかんや脱線しながら1時間ほどかけて片付け終えた。
なんか既視感があるな?と段ボールを畳みながらおもちは考えた。正体はすぐにわかった。

まだおもちが元気な学生だった頃、そういえばこんな感じで働いていた気がするなぁ。

おもちは自称事務員バイトだった。自称がつくのは色んな理由があったけど一番は事務員と呼ぶにはあまりにも引っ越し屋みたいな仕事が多かったから……。
ともかく、お金がなかったおもちはとにかくシフトを入れまくり家にいるよりバイト先にいる時間の方が長いというモンスターと化していたのだった。一応扶養の範囲内ではあったけどほんとうに毎月雇用保険とか諸々がギリギリの状態だった。その節は皆さま本当にありがとうございました。
平然と週の半分以上をバイト先で過ごすおもちは後輩たちからバイト先に住み着く妖怪の如く扱われていたし同期たちからも「いつきてもいるねぇ……」としみじみ言われたのだった。なんなら所謂社員さんにも言われていたのだった。お前らが呼ぶから来たんだが?
なんておもちが言えるはずもなくせかせかと日々を過ごしていた。手にしたお金は当時はぴだった同居人に会うための旅費と酒と推しに消えていた。
眠らなかろうが16連勤だろうが前の日に飲んで次の日8時出勤でもとても元気だったが今思えば躁鬱のケがすでにあったんだろうナ…って感じ。まあまさか数年後ベッドで泣いて動けなくなったり毎日胃酸まみれの口で仕事しなきゃいけなくなるだなんて思ってもみなかったので全然気にしてなかった。若さだー\( 'ω')/ウオオオオオアアアーーッ!!くらいの感覚。全力で過ちの方へ舵きりするな。
閑話休題。そんな勤務状態だったので物の場所とか仕事の進捗とかおよそバイトが知ってもよいであろうことは知っていたおもちだったので雑用を頼むのにまあとにかく適任だったのだと思う。出勤中のおもちはそれはそれはモテた。30分に一度は仕事できる??と覗き込まれる日々。酷い日には五分おきくらいの波状攻撃にあった。
で、これは次に有限であるおもちの業務時間にどんな仕事を割り振るかで社員同士の喧嘩に発展した。なんでそんなことすんの???
私を挟んで発生する本人不在のおもちの運用会議。マジで面白すぎるのでやめて欲しかった。
これ多分別におもちが特別仕事できたわけじゃなくてきてる日数が多いばかりに全般的になんとなくできてるように見えていただけだと思う。あと単純に簡単な指示で話が通じてしまう(毎日いるから)のも悪い。そもそも仕事できたら去年も今年も苦しんでないのよ、という。てか、おもちの集団幻覚見てるバイト先、クソ怖い。でも集団幻覚にかけてしまったのはおもちの勤務態度だ……
そんな反省と畏怖と共に過ごした4年間、なんか色々あったけどまあそれなりの学びと青春があったと思う。うんうん。

名前を呼ばれて振り返る。急に似てるなぁと思い立って、それからふと、書庫で固まった。
おもち、バイト先の諸々を割と置き去りにして生き延びた。大人ってそうなのかもしれないし、そうしないと去年は本当にどうしようもなかったから。でも手放したのに気付いて、おもちめちゃくちゃ悲しくなった。同時に辞めた先輩と元新人を死ぬほど憎んだ。あいつはのうのうとしてるのに、私ときたら。

気付いてしまうともう止まらなくて。
ちなみにここで気付いて割と奔走したのでこの辺の人間関係は今はヘラるほどでもなく。
とにかく。おもち、失ったものが多すぎた。健全な学習計画も、健康な体も、時間も失って、得たのはなんにも得しない今のポジションとメンヘラの称号だけだった。
おもち、お薬が終わるまで子供産めないの。別に絶対産みたいとかそんなんなかったけどあったはずの選択肢を奪われると死ぬほどきつくなる。去年ああならなくてもこうなったのかもしれないけど、これで憎むなって方が無理で。定期的に死ぬほど呪っている。同時にその気持ちを思い出すとこのまま死ねないかなと思う。もう何にもうまくいってないからね!
一番やばいなって思うのは人事に対して完全に諦めがついたこと。というか去年の状態で助けて貰えなかったのに今年いってどうなんの?保健師さんに薬増えた話しても無視なのに。
環境がよくなったから(人事目線)体調も良くなるはずというお花畑思考、もう死なないと分かって貰えないよな〜のお気持ちはあります。
とにかく過去を思い出して苦しくなる日が増えた。まあ前が見られるなら躁鬱辞めてるわね。
どうしてこんな話を書いているかといえば本当にある日ふらっと消えたくなって死ぬのではという気持ちに耐えられなくなってきたから。希死念慮自体去年より酷くないけどふらっと漂う死の匂いに耐えきれなくなる日がある。

そう言いながら

調子が良い時は良いのでそれなりに生活してます。
でも休日動けなくなったり微妙に腹が痛かったり、別部署の奴がくるとやっぱり気持ち悪くなったりそんな毎日。良いと悪いを繰り返しながら何にも為せずただ蹲って生の日めくりカレンダーをいたずらに消費している感じ。
保健師さんに「焦らない?」と言われてまさか〜みたいに返したけど内心はめちゃくちゃ焦りまくっている。ただでさえ鈍足だったのに人生周回遅れで。
誰が悪いかと言えば自分が悪い。ずっとそう。みんなそれなりに人生は辛くてみんな頑張っているのに自分だけが何も上手くできない。当たり前をできない人生。ずっと焦ってる。
実は先輩たちを呪うのは八つ当たりに近いのではという気持ちもなくはない。おもちは不出来だからこうしないと気持ちに踏ん切りがつかない。自分が悪いのはずっとわかってる。
でも保健師さんやいろんな人が「よく生きてたねぇ」と褒めてくれるので、とりあえず生きるだけでもなんとなく勝手に許された気になっている。
生きづらいけど、飲みの予定とか、桜を見に行こうとか小さい何かをおいて騙し騙しやっています。
とりあえず生きてます。

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