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バーカウンターのある日々を手に入れるまで(2)おもち人生迷走する編

前回のあらすじ



4月からのクソ人事の結果、全くやる気も知識もない上司と適性ゼロの新人を抱え、日次からイレギュラー対応まで真っ向からやり合ってすでにズタボロのおもち、6月の時点ですでにやらかしまくり気絶寸前だったがなんとか仮決算を乗り切った!

しかしこれからおもちを待ち受けるのはさらなる地獄と人生ぶっ壊れジェットコースターだった。

点みてぇなグラフとこんにちは産業医。聞いてくれ人事の回

さて話は遡って少し前。おもちの手元にはやけに分厚い封筒が届いていた。

「ストレスチェック結果在中」

そう、最高に調子の悪かった6月、最後の希望をかけるように回答していた職場実施のストレスチェックが入っていた。

中を開けてみた。結果は高ストレス、産業医と面談しませんか?というお手紙付き。円グラフで示されたストレス耐性的な指標は低すぎて小さな円を描いていた。

ちょっと悩んでからお姉様のところに泣きつく。「ふぇぇ〜ストレスチェックひっかかっちゃったから面談ちたいの〜( ; ; )」と相談した私に「おう!いけいけ!(`・ω・´)」と言った後に「私のもみて??( ・ω・ )」とお姉様は自分のストレスチェックをみせてくれた。

お姉様のグラフはもはや点だった。

辛うじて円を描くことすらなく、最低値に集結した項目たちはただの点だった。

「点だよ(`・ω・´)」「点だwwwwwwww」

というわけでストレスにやられまくりコンビ、無事に産業医との面談が決定。

お姉様は産業医とは何度か面談しているらしく(それもそれでどうなんだ)勝手がわかっているらしいが初めて高ストレスという結果に晒されたおもちは分からないことだらけ!分からないことは人事に相談だ!(そしておもちが高ストレスであることを思い知れ)

人事の担当者さんは親切に色々な制度を教えてくれた。「保健師さんって手もあるよ」「ほぇ〜」このやりとりがのちにおもちの最後の糸になることをおもちはまだ知らない。

何はともあれお姉様と人事の手助けもあり、産業医との面談の日程を取り付けた。前回の最後はそんな時の場面であった。

さてこそ。そんな経過のあと、お姉様と上席には相談して日程を組んでいたけど(幸い上席はこの後もおもちの体調関係のことには何も文句言わなかった)先輩には言ってなかったなぁと思い、「実は……」とすでに産業医面談が控えていること、産業医から人事へ話が上がること、必要があれば人事とも面談することをざっくり伝えた。

以外返答集。

「(体調不良と合わせて産業医のことを伝えたとき)あ、そうなんだ、ふーん」「でもさぁ、産業医じゃなくてさぁ」「もっと早く人事と面談して欲しいんだよね」「あんころさんも私と同じ辛さを持ってるって言って欲しい」「私と同じ人と面談してほしい」「強要はしないけどさ、ね?私最近結構休んでるから私の意見だけだと信憑性がねぇ…」「辛い時だからさ、協力しよう」「人事にあんころさんもすぐ面談するかもって言っておいたから!」

てめぇのためじゃねーか!

と、今の開き直りつよつよおもちであれば言い返せていたのだろうが原因不明の体調不良で毎日ふらふらのおもちには到底その元気も、これが心配の皮を被った自己保身政策の協力強要であることを判断するための思考力さえも残されていなかった。違和感は覚えていたけど、その違和感の正体を掴むには頭の中は霧がかりすぎていたし、言語化して誰かに吐き出すこともできなかった。

あと先輩のことはまだ味方だと信じていたかった。私の判断ミスだった。

とにかくこの気持ち悪い違和感だらけの会話から逃れたい。おもちの脳内はそれでしかなかった。

「じゃあ考えてみますね」

吐き気を抑えるための白湯が入っていたカップを洗いながら動かない頭で必死に絞り出したカスみてぇな言い訳を吐き出すと先輩は満足そうに笑ってから「よろしくね〜」と給湯室を後にした。

一人残されたおもちは息を吐いた。すでにこのとき、大分呼吸は下手くそだった。ひゅーひゅーと自分の息の音が耳にこびりつく。

一息ついてからおもちは席に戻って考えた。このまま知らんぷりしても、とも考えたが同じ部署にいる以上、私が面談に行ったかいってないかは丸わかりであろう。幸い、先に名前の上がっていた人事の担当者は私が産業医の日程調整をお願いした担当者とは別人だった。考えた末おもちは「先輩さんから聞いているかもしれませんが最近の職場環境について相談したいです、お時間をください」とメールした。

担当者さんはとても親切にメールを返してくれた。「いつが都合が良いですか?」「誰とが良いですか?」「こちらからも連絡しようと思ってたんです」一つ一つに返事をしながら結局人事面談は担当者と人事の管理職とで、産業医面談の前に執り行われることとなった。

面談当日。業後にそそくさと人事のフロアへ向かった私を担当者さんと管理職が出迎えた。

話の内容は実はあまり記憶にない。そもそもこのくらいの時期の記憶があまりないのもそうだが、当たり障りのない範囲で困っていることを伝えた気がする。人事のお二人はうんうん、と頷いたり、信じられない、といった表情でこちらを見ていた。

ただ一つだけ、気になったことがあった。

「〇〇さん(お姉様)に無理やり付き合って残業してたりしてない??」

???????

話がひと段落したところで、思い出したかのように人事担当にぶち込まれたこの一言は強烈な違和感をおもちに与えた。

おもちとしては自分が残業しているのは先にも書いたように人の面倒をみて、人が足りない分の接客をしているから日中手が回らない分を片付けているのであって、誰かにやれと言われたからではない。おもちとしては「業務が回らなくなって良いのであればやらないで帰るが?」という状態だ。

そして、むしろお姉様は事あるごとに「おもち、辛かったら帰れよ」と気を遣ってくれていた。(他は誰一人気を遣ってくれないのにね!)そして確かにお姉様の仕事を手伝って残ることはあるがそれは上席が日次業務以外何もしないからお姉様にだけかかっている負担をどうにか減らせないものかと悩んだ末、私が下請けできるものだけをしているだけだ。お姉様に回った分の仕事が終わらないとお姉様に助けてもらう事がままならないのだもの。(結婚だなんだで人がいねーから)

で、これはのちにわかることだが、どうも当時親切にもおもちがあたかもお姉様に残業を強要されていじめられているかのように心配(笑)して他人に言いふらしている勢力がいたらしい。先輩がその一人だったのも後々色んな人から聞かされることになる。

まあお姉様正論と感情をバチくそに強い言葉で言ってしまうタイプなのでクレーム言いたくなる人はいるだろうなぁというのは正直わかる。私も一年目の時怖かったし! ただこれが発覚したときおもちは思った。俺をダシにするんじゃねぇゲボカス。


こんな感じでおもちはのちにブチギレ大明神と化す。

何はともあれ。そんなこととも知らないおもちは頭上に大量のはてなマークを浮かべながら人事からの確認一つ一つに「え、なんでですか?」「全然そんなことない……」「?????」と返していくものだから人事担当も困惑していた。そらそーだ、被害者と祭り上げられていた生き物が被害確認したらきょとんだもの。が、おもちは一貫して残業の原因は上司と新人と先輩が突然休んだりすることだといい続けた。まあ実際おもちからしたらそうだったので。

そんな感じで僅かな不信感と違和感を残しながら第一回人事面談は幕を閉じたのだった……。

さてその数日後。次いで産業医面談が実施された。

正直この辺りはあんまり進展のない面談だったので省略する。ほぼ人事面談の繰り返しだった。産業医の先生からは「鬱ではなさそうだね」と言われた。実際鬱ではなかった。

そしてこの面談祭りが終わったとき。また給湯室で出会った先輩はコソコソとおもちに告げた。

「私、仕事辞めるんだ」

い ま な ん つ っ た ?

やっぱり白湯を飲んでいたおもちは目を白黒させながら首を傾げた。色んな処理が追いついてない私を置いて先輩は申し訳なさそうに言葉を投げかけていく。ダンナノシゴトノツゴウデトウキョウニイクカラ3ガツデヤメル。呪文のような言葉に私はただきょとんとしていた。

これをのち、先輩は私の同期に対して「あんころさんあんま驚いてなかったんだよね〜」と語った。驚いてなかったんじゃない。完全に脳がショートしてんだよ。

それでもそのときは、まあ3月なら…と寂しさすら覚えながら素直に見送る言葉を放てていた。繁忙期だけど、その前までいてくれるならなんとかするしかないし。だってこの後見事な掌返しがあるとは思わなかったから。

「夏になら死ねる」

そこまでも、おもちの体調はじわじわおかしかった。頭に靄がかかるような感覚が時たま訪れたり、たまにお腹が痛くなったり、眠りにはつけたけどすぐに目が覚めたり、そもそも眠れなかったり。でも残業が多いし、部屋も汚いしきっと色々重なって疲れて調子が悪いだけだと思っていた。マジで。

騙し騙し、時にはお姉さまに甘えて早めに帰りながらどうにか仕事をこなしていた。その日までは。

先輩の退職宣言後、新人が長期休暇をとってから復帰した日からおもちはいよいよおかしくなりきった。

おもちの会社は1週間くらいまとまった休暇を年に一回取らなければいけないのだが、新人がその休暇の最中のおもちといったらそれはそれは穏やかだった。

隣から舌打ちや独り言が聞こえず、貧乏ゆすりの振動もなく、意味のわからない支離滅裂な質問を投げかけられて仕事の手が止まることもない。一人欠けてるはずなのになんならいつもより仕事が進む有様だった

そんな1週間気楽だったせいだろうか。朝一番のことだった。いつも通りおもちが開店準備をパタパタとやっている最中だった。

「おはざまーす」

戻ってきた奴の声を聞いた瞬間、ぐらりと視界が揺らいだ。洒落抜きで。それから心臓がバクバクと蠢いて、息が吸えなくなった。来るとわかっていたはずなのに胃がキリキリと痛み始め、立っているのもやっとで、急いでトイレに逃げ込むとそのまま胃の中身を吐き出した。吐いただけで治らず、結局10分ほどトイレで蹲った。

やっと抑えて接客すればなんとか治っていく。そんな状態の始まりだった。

この時は11月はじめ。おもちは4月までの4ヶ月弱、毎日その状態になることになる。(途中薬を飲み始めるのでだいぶ良くはなる)

そんな状態に引きずられるように今まで出ていた不調たちも我も我もとばかりに立ち上がり始めた。大不調スマッシュブラザーズって感じ。

はじめに朝、昼とごはんが食べられなくなった。元々食べられていなかったが、たまに吐くようになってからは仕事がある日は朝は完全に食べず、昼は自販機で売ってるヨーグルトか中華スープの素を溶かしただけのものをジャーに詰めたスープが主食になった。最終的には液体だろうが口に物を入れると気持ち悪くなるので仕事がある日中は何も食べられなくなった。(お休みは人と居れば食事をしたけどいないと食べなかった)

夜だけは食べていたけど、やがてそれすらもできなくなる日が増えてきた。インスタには食べられた日の写真だけあげるようになっていった。けど辛うじて食べても「美味しくない」と感じる日が増えた。それでも酒を飲まないと寝落ちることすらできないから酒を飲むために飯を食った。

食事を取らなくても吐き気は治らなかった。土日には手足が痺れるようになった。夜は気付いたら眠れないか眠っても1、2時間おきに目が覚める毎日だった。

仕事と眠る時以外は泣く日が増えた。だんだん泣きすらしなくなって、暗闇で呆然としているのが一番安心したのだった。バスに乗って泣き、朝一番にトイレで吐くか泣き、昼休みにもトイレに引きこもって泣き、夜まで笑顔を貼り付けて働き、帰り道にまた泣いて、掃除する気力すらなく物が散乱するワンルームの寮で明かりもつけずにまた蹲って泣いた。暗い中なら周りの様子も見えなくて、余計な情報が入らないから脳が休まる感じがした。

毎日そんな調子のものだから引きずられるように物事への考え方すらもおかしな方へ傾倒していく。日常的に「死にたい」という言葉が脳裏をよぎるようになった。失敗してもうまく行っても何もなくても。思考の隙間に死にたいという気持ちがいつでもこびりついた。

死んで仕舞えば苦しいのは終わる。そんな考えは前からちらちらと存在はしていたのだが、その頃にはそれまでの人生で抱いていたものとは別種の希死念慮が確かにおもちの中には渦巻いていた。死にたいというか「死ぬしかない」という言葉の方が適切だった。

退職という選択肢はないのか。と問われればその時のおもちにはなかった。その頃は前述したようにまだ会社の寮に一人でいて、仕事を辞めれば家を失うという状況だった。親を頼る、友人知人その他という選択肢も諸々の事情でおもちの中からは排斥されていた。そうなると今の状況から抜け出すための選択肢はもはや自ら命を絶つ以外になかった。それが一番簡単だったし、楽だった。きっと元気な人は「もっと別の方法が」と言ってくれるだろうけど、その時のおもちには終わらなさそうな地獄を乗り切るためには終わりを自分で設定するしかなかった。今年を乗り切ったとしても来年もまた同じ上司に自分も新人も異動しなかったとしたら。考えるだけで限界だった。

でもおもちは死ねなかった。突発的に首を延長コードで締めたり、重たそうな酒瓶で自分を殴ってみたりしても最後の最後に手が止まる。暗闇の中で溶けながらいつも考えた。「今死んだら色んな人に迷惑かけるよなぁ」多分寮の部屋で死んだらクリーニング代とか親に請求行くよなぁとか、遺書もないからお世話になっていた彼氏にお金を残せないよなぁとか、そもそも地方銀行にお金を預けてしまっているから相続手続がこのままだと面談だよなぁとか、というか今先輩が辞める中で私が死んだらお姉様に迷惑かけてしまうよなぁとか、車も処分しなきゃいけないしなぁとか。せめてお世話になった人にだけは迷惑かけずに死にたいなと思う自分がいた。多分自分が周りの環境で死にたいと思っていたからだと今なら思える。おもちは身勝手に死のうとしてるのに他人の心配をして、死ぬことは止めようとしない、身勝手で自己中心的な生き物だった。そんな自分にもうんざりして、また死にたくなった。

考えた末、おもちは思った。「夏なら死ねる」夏は比較的閑散期だし、新人が入っていても普通ならある程度のことができるようになる時期だし、辞めても問題ないのでは?辞めて、寮にあるものを全て売るか捨てるかして、お金を作って、その間に保険にも入っておいて、そして誰もいない海に行って死のう。なんで海で死にたかったのかはよくわからない。咄嗟に浮かんだのが海だった。でもそう思えたら楽になった。ある程度のことは「夏に死ねるしな」で流せるようになった。新人が泣いて駄々をこねようが、上司がお姉様の休み中何もしなかろうが、監査お構いなしだろうが、先輩に引き継ぎという名目で仕事を押し付けられようが。決めたらあんまり泣かなくなった。耐えきれない時だけ泣いたけど、頭が痛くなるほど泣いてから「まあ死ねるからいっか」と思うようになった。まるで遠足に行く前みたいにウキウキしながら色んなサイトを見て自殺の準備をした。保険にも入っておいた。死ぬ前にお世話になった人や好きな人に会おうと決めて、実家に帰る時期に合わせて遊ぶ約束をした。徐々に実家に帰ってみたりした。楽しいし死ねるという終わりが見えたことで、本当に気楽だった。

そんな日々だったが、それはそれとして体調は良くならないから困っていた。朝に吐くか、吐くまで行かなくても蹲っていた。正直いつ仕事に支障が出るのかハラハラした。

あと死ぬにしても自分を害した奴らに何かをしてやらなければ。その時のおもちには復讐まで行かずとも、そんな気持ちが確かにあった。でも人事に行っても、産業医に行っても、何も変わらなかったのに。どうすれば。悩んだ末に思い出した。

「保健師って手もあるよ」

おもちは人事の担当に急いでメールを打った。

蜘蛛の糸と掌ドリルの回

人事の担当は予想でもしていたんかというほどスムーズに保健師さんへ繋いでくれた。この面談で何かがどうなるかは分からなかった。分からないけど、とにかく誰かにこの状況が異様だと認めてほしかった。

数日を経て、私は保健師さんと巡り合った。小柄な保健師さんは柔和な笑みを浮かべながら「こんにちは」と挨拶してくれて、事務所を抜け出して仕事ではなく他人と話す状況に酷く安堵した。

はじめは当たり障りのない、それこそ人事に話したようなただ自分の困りごとを言っていた。一通り困ってることを伝えてから、体調の話もした。朝になると眩暈と吐き気がして動けなくなること、ご飯が食べられないこと、眠れないこと、手足が痺れること。保健師さんはうんうん、と頷きながら聞いてくれた。一通り話し終えてから、息を吐いたときにおもちはポロッと、

「死にたいって思うんです」

全く言うつもりがなかった言葉が口からこぼれ落ちた。保健師さんは驚いたように目をわずかに開いてから、でも何も言わずにこちらを見ている。口が滑ったなーと頭の片隅で考えながら沈黙に促されるようにおもちは堰を切ったように話した。

「死にたいというか死ぬしかない」「逃げ道がない」「毎日終わりが見えない」「もうやだなって」「どうしたら人に迷惑かけないでお金を残して死ねるか考えてる」気付いたら死ぬほど吐露していたしぼろぼろ泣いていた。多分ここが限界点だったのだろうと思う。保健師さんはおもちにティッシュを出しながら「今日会ってくれてよかった」と言ってくれたのだった。そして続けた。

「あんころさん、病院行こう」

当たり前に思いつくべきことだったのに、頭の中から抜け落ちていたその名前におもちはその時初めてはっとした。

色々あって、年明けに病院に行くことにした。もう年の瀬も迫る12月になる少し前の話だった。お姉様に病院に行けって言われたと馬鹿正直に話したらそれはそれは心配そうに顔を歪めてから「辛かったね、ごめんね」「仕事はなんとかしてやるからとにかくいけ」「普段もやり方考えよう」と。お姉様は言葉の通り、私が病院にいけるよう立ち回り、普段から新人と絡まずに済むようにブロックしてくれるようになった。

おもち、周りにだけは恵まれていた。助けてくれる人がいたせいで、なんとかギリギリ生き残れている。正直泣きそうだった。まあ恵まれてない人もいたんすけど。

「色々あって2月に有給消化して辞めることにしました」

唐突に、残業中に先輩からそんな言葉を吐かれたのはそんなやりとりのすぐ後だった。色々ってなんだよ。最初の感想はそれだった。というか確定事項?

上司とお姉様はさほど驚いてなかった。(新人はいても邪魔しかしないので残業させてなかった)おもちは変わらず思考が焼き切れていてキョトンとしていた。驚いてなかった理由をお姉様に後から聞いたら「人事と役員に言われてた」と舌打ち混じりに言われた。なんか外堀から埋められてたっぽい!

そりゃあ有給は権利だもん。別に反対はしないさ。というかできないし、ただこの掌ドリル有給は後々クソみてーな結果を招く原因となる。

もう思考回路が焼き切れていたおもちは深く考えず「へー」とか「ほー」とか「まあ仕方ないですね…」とか言っていた気がする。一応来られなくなるのには理由はあって、ある程度の解決策を人事やお姉様たちから提示されても突っぱねるだけの先輩にそのときおもちは「やる気ない人がいても仕方ないしなぁ」という気持ちでいっぱいだった。多分もう先輩はこの職場にもここに残る私たちにもなんの感情もないのだと悟った。だから私も機械的になった。対話を試みるだけ無駄だと思った。一切の感情を切り捨てなければ背後から撃たれたという事実に向き合えそうもなかったのだった。

さて。冷静に(というかお姉様に言われて)はたと思う。2月から4月までクソクソ繁忙期な弊社だがとても残念なことにマックス人員でも繁忙期には人が足りないようなおもちの所属は先輩が抜ければ今現在も6月から能力がほぼ変わらないくせに態度だけが尊大に膨れ上がっていく新人と判断も指示もしない上司、すでに疲弊して持病の症状が出つつあるお姉様と自殺願望マシマシクソメンヘラおもちというラインナップ。崩壊は目に見えていた。

さすがの上司や部長も危機感を覚え、連日人事と追加の人員配置はできないかを打ち合わせ。お姉様も役員の元へ殴り込みへゆき、おもちは保健師さんから「あの子はほっとくと死ぬ」とでも言われたのか大慌ての人事と連日面談していた。

そして全員が役員から同じ回答を受け取る。

「今回は退職による欠員ではなく有給消化。有給を許可したのであれば自分たちで対応すべきであり人事異動は認めないし支援要員等もない」

許可も何も上司も同僚もすっ飛ばして人事と役員からいかれたのに???

これマジで一休さんみたいだなって思う。どうしろというのだ。権利行使以外頭にないような人間がこちらの説得に応じるとでも思ってんだろうか。「なぁに言ってんだてめぇざけんじゃねぇボケカス」とでも言って止めたらよかったの!?!?!?

おもち大絶望あーんど大激怒。明確な怒だった。お姉様は私の件もあってひどく怒っていた。もうすでにヘトヘトだった。この辺りで思考回路が完全に焼き切れておかしくなったおもちは「死んだら事態のヤバさを認知して頂ける!?」などなど考えていた。

「あんころさん!!」

そんなある日。先輩が休みで相変わらずふらふらだけど珍しく定時で帰ろうとしたおもちに声をかけてくれた人がいた。声の主は去年までいた2個上の先輩だった。

先輩は私の姿をまじまじ見てから、心配そうにこちらを覗き込み「今日時間ある? お茶かご飯しよう」と言ったのだった。

おもちは「うわ〜い先輩とお茶だ〜」と道中ずっとウキウキしながらコーヒーショップへ行った。思えば、それに反して先輩の顔はずっと険しかった。周りにめちゃくちゃに心配かけまくっていた時期だったし、多分周りが心配だったのは私がそれに一切気付いてなかったところもあると思う。それくらい私は周りから心配されてる事実にもその理由にも気づいてなかった。

着席するなり、先輩は一言だけ。

「大丈夫?」

おもちは自分の顔が引き攣るのがわかった。アイスコーヒーをこくんと飲み下してから、吐き出した。

「大丈夫じゃないです…」「だよね!?!?」

そこから先輩は色んなことを教えてくれた。お姉様がおもちをずっと心配してること、上司と新人のヤバさが会社中で噂になってること、うちの部署の残業時間もおかしいと話題になっていること、辞める先輩が先輩を含めた数人に退職の話をしたこと、その場で「あんころさんは賛成してくれている」(???)「〇〇さん(先輩)が戻ってきてくれたら問題ない」等を言われてめちゃくそにキレたこと、さらに賛同した周りにもブチギレたことなど。バーサーカーってくらいのキレっぷりでおもちに話してる時でさえ思い出してキレていた。

先輩は結びに「ああ言ったけどあんころさんのためなら支援要員でもなんでもするし人事に言いに行こうか!?!?」とまで言ってくれた。最高か???

人事に言いに行くのは待ってもらって、数えきれないほどお礼を言って、無理をしないと約束して先輩とはバイバイした。この辺りで人に心配かけるくらいにはやべー状況なんだなと自覚した。同時に何か強烈な違和感があった。でもそれが何かまだその時のおもちは知らないのだった。すっかり暗くなった道を歩きながら数日先に控えた長期休暇に思いを馳せる。

おもち、バチバチにキレるの巻

その翌日。

たまたま別のフロアに用があってエレベーターに行くと辞める先輩の同期に出会った。

「やあ」「お疲れ様です」

軽く挨拶を交わしてエレベーターを待っていると「大丈夫?」と先輩の同期。2個上の先輩と同じ場にいたんだったな。と思い出してから苦笑する。

「あんまり」

「そうだよねぇ」

困ったように笑ってから「まー俺としては同期という立場的には応援してほしいとこなんだけど」と続けてから「なんか大変みたいだし無理しないでね」と意味深に言われた。何が?と思ったがエレベーターがきたので聞けなかった。

その後も出会う人に言われること言われること。「大丈夫?」「なんか揉めてるんだって?」「大変だねぇ」口々に言う人は皆、私のことを憐れむような目で見ていた。かと言って何かをしてくれるわけでもなく(そもそも頼めない)ただただ哀れんだり会社の悪口を言ったり。なにこれ?

不気味に感じながらも珍しく良心的な時間に帰ることに成功した(というか限界だった)おもちは帰りのバスで久しぶりに同期に出会った。

「早くない???」「たまにはね」

そんな軽口を交わしてから声を潜めて談笑する。しばらく話をしていると同期は思い出したように「〇〇さん(先輩)辞めるんでしょ?」と首を傾げた。本人から聞いたならいいか、とおもちは頷いた。で、次に同期から発せられた言葉にびっくり仰天ひっくり返りそうになった。

「おもちちゃんは賛成してるのに〇〇さん(お姉様)は反対してて場を掻き乱すから大変だって言ってたよ」

だからその賛成ってなんなんだよ。

思わず出かかるも、同期は何一つ悪くないので飲み込んだ。むしろ今なら言える。教えてくれてありがとう同期。

やっと繋がった。私を憐れみ、会社に暴言を吐くだけのあの謎の勢力は先輩に有る事無い事吹き込まれていたのだ。しんじらんねぇ! おもちドン引き。

いや別に反対してないけどなぁ、と呟くように返した。これは半分本当で、最初こそお姉様は先輩に対しても物凄い勢いでキレていたが私と同じく完全にこちらに未練や感情がないとわかるやおもちと給湯室で仲良くプリンなどを突きながら作戦会議の日々である。もはやおもちとお姉様に必要だったのは賛成とか反対とかのしょーもない感情ではなく事実に対する諦め順応だった。

いやむしろ。場を掻き乱しているのはそうやって周りに自分の都合のいいことを吹き込んだり、もう辞めるからで大きめな仕事の話題に入ろうともせずお手伝い感覚でこちらに色々押し付けてる先輩の方ではないのか???このときおもちの中で何かがキレた。マジでぶつっと音を立ててキレた。

その後同期になんてお返事したか、どうやって家に帰って何食べたかなどは全く一切覚えていない。ただおもちは気付いたら人事の役席にアポを取り、長期休暇前に面談の約束を取り付けた。

面談ではおもちはそれはそれはよく喋った。周りの関係ない奴らを巻き込んで自分は適当に仕事してるの棚に上げて他人を攻撃してる、誰が文句言わずにカバーしてると思ってんだ。

「というか賛成した記憶なんてないんですよね、大人だから言わずに対処してるだけで」

おもちの苛立ち混じりの一言に人事の役席は目を丸くしてから「あんころさんちゃんと怒ってて安心した……」としみじみ告げた。怒ってるに決まってら。

それまでのおもちは人事との面談という名の交渉の場に上がるときは冷静でいることに努めていた。感情的にこちらの主張をぶつけてもいい結果にならないのは学生時代に経験済みだった。(感情的に動いた周りが爆発したのを見たりなどした)おもち、学生時代は今と違って働き者だったので労働条件その他諸々で勤務先と殴り合うのにある程度慣れていた。こればかりはマジでありがとうバイト先!

2年越しに判明したシール印刷以外のお役立ち経験。

閑話休題。そんなわけでおもちはそれまでの面談では誰が嫌とかこんなことされて嫌だったみたいな話を極力排除して、部署や組織に対してのマイナス面をプレゼンするような形で具体的なエピソードと共に淡々と語ってきた(これはこれで嫌な奴だな)が、今回に限ってはめちゃくちゃブチギレてたので人事もびっくりということらしかった。怒ってないと思われていたらしい。怒ってなかったら体調崩すわけねーだろ!

「〇〇さん(先輩)もあんころさんは大丈夫って言ってたから……」

ふざけんなよ、てめぇ。


地獄の中で踊ろうか

そんな話をしていた頃、お姉様は日に日に顔色が悪くなっていた。辛そうに顔を歪めるお姉様におもちも気が気でなくて、「なんとかなると思うから休んで!?!?」とその間何度言ったか分からない。けれどお姉様は、

「今休むとおもち辛いでしょ。休むなら来週にするから」

そう、そのときはちょうど先輩の長期休暇だった。そしていよいよおもちの長期休暇だった。

お姉様は気にするなとおもちをぱしぱし叩きながらいつもそう言っていた。おもちの心配はピークに達したまま、休暇に突入した。ちなみに件のブチギレ面談ではお姉様の体調不良にもやんわり触れた。

長期休暇中についてはそこまで触れないでおく。長くなるから。特筆すべきところと言えば先輩から「お姉様機嫌悪い」というLINEが届いたことくらいだ。

ただおもちは人に会って笑ったりお話したりして失敗もして、「挨拶できてよかったなー」の気持ちだった。もう帰ることもないだろうしこれで最後かなーくらいの気持ち。もちろん誰にもそんな言葉は吐露しないけど。

猫と戯れ、人並みに眠り、人並みに食事を摂り、1週間は終わっていた。

実家から戻ってきたときにはもう26日で、クリスマスも終わっていた。翌日からの地獄に怯えてやっぱり手足は痺れさせながら途中から合流した彼氏さんと新幹線で戻ってきた頃にはもう辺りは真っ暗だった。

26日に帰ってくるから、と職場の付き合いでケーキを買っていた。だから少しウキウキで改札を抜けた辺りでスマホの通知に気付いた。お姉様からのショートメールだった。

『今話せる?』

ケーキの話だろうか、と首を傾げながら良いですよ〜と返事をするとすぐに着信が入る。

「おかえり〜ケーキ受け取ったか?忘れてない?」

「これからです〜」

やっぱりケーキの話だった。周りの喧騒に「今着いたんか!?」と驚いてからお姉様は続けた。

「私も先週休んだから」

あ、やっぱり。というのがおもちの感想だった。私のせいで無理させてしまって申し訳ないという気持ちでしゅんとするおもちに気付いたように「大丈夫、1日目以外仮病だ」と言っていた。真偽は不明。でもおもちがいたときは死ぬほど体調悪そうだったので多分仮病じゃないと思う。それからお姉様は来客対応のできない上司にキレ、気の抜けた先輩と新人がクレーム寸前になったことにキレ、頭が痛くなって気持ち悪いしで帰ったということを教えてくれた。おもちはお姉様を責めることはできなかった。むしろ職場に対してざまあみろと笑いそうになったくらいだった。いやもう笑ってたかも。おもちはそれくらい振り回されるのに疲れていた。心配より嘲笑が出てきた辺りおもちも人のことが言えない程度には職場に感情がなかったのかもしれない。お姉様もおもちも、判断力はすでに正常からかけ離れていた。

「休暇は権利ですもん」おもちはぼそりと言った。お姉様はウケていた。

そのあとは当たり障りない話をして、「また明日〜」と言葉を交わして通話を終えた。

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ケーキはめちゃくちゃうまかった。

翌日。帰省によりなんか元気になって固形物を食べられる気がしていたおもちは調子に乗ってケーキをお弁当箱に詰めて職場にやってきた。なんなら調子に乗って朝にもケーキ食った。

そんな朝、異変に気づいた。

「おはようございます〜」

事務所に入るなり先輩がいた。いや、いるのは当たり前なんだけど。いつも私より到着が遅い先輩がなぜかいた。んでなんなら朝の支度してる。いつも私が一人でやってるのに。

今日はバスが早かったのか??そう思えば不思議でもないのになぜかおもちは薄気味悪さを感じた。思えば先輩はバスのせいで遅いことはあっても早いことはなかった。同じ寮に住んでた頃も雪の日に遅刻寸前の人なのに。すっげぇ気持ち悪い。なんだこれ?

奇妙なことはまだ続く。不思議に思いながら支度をするおもちのもとへ部長がやってきた。

部長は私の顔を見るなり一瞬死人を見るような表情を浮かべてから安心したように笑みを浮かべ、

「あんころさん、おかえり!いやー無事に帰ってきてくれてよかった!」

「???え、あ、はい??ありがとうございました????」

歓迎される覚えがないおもち大混乱。

はぁ?とか言わなかったのに社会性の成長を感じる。固まるおもちを無視して部長は満足そうによかったよかったと戻っていった。ちなみに上司もこの反応だった。もしかしておもち、戦場とかいった???

まあまさか突発的に死のうとしたことがバレたわけでもないだろうし(いつも通り途中で冷静になった)ころなんちゃらさんのこともあるし、年末年始の首都圏は治安も悪いし、きっと心配してくれたんだな、と違和感を飲み込んだ。てか部長、なんで帰省してんの知ってんの???言ってないが?

考えれば考えるほど疑問が湧いて目が回りそうだったのでその場ではやめた。そのあとは新人の登場にまた胃を痛め(ケーキはちょっと吐いた)お姉様とは白々しく挨拶を交わした。

胃酸の気持ち悪さを押し殺すために給湯室で恒例の白湯タイムを挟んでいたところなんか深刻そうな顔をした先輩が「ちょっといい?」とやってきた。今お白湯を嗜んでる最中だからよくないが?と口に出かかるも社会性で押し殺して「はい?」と首を傾げた。

「実はあんころさんが休みの間、〇〇さん(お姉様)も休んでたんだよね」

ふーん、と危うく出かけたのを飲み込んだ。「そうなんですね!?!?」我ながら名演技だった。アカデミー賞受賞!w

だからてっきり風邪に気をつけようとかお姉様を気遣おうとかそんな話かと思ったのになんか違った。

「私仮病じゃないかと思うんだよね」

は?「はい?」社会性フィルターを通した間抜けなおもちの声が漏れた。おもちは他人を仮病と言った経験がないのでその判定がどうしたら行われるのかわからなかった。お姉様のストーカーかなんかなの??てかお前前週のお姉様の弱りよう見てねーからわかんねーだけだろ。

ただ、世の中には目に見える不調以外他人の不調を信じない人種が確かにいて、のちにわかるがどうも先輩はそれっぽかった。一応私がいたときは調子悪そうでしたけどね、と言ってみるもふーんって感じ。もう自分の中で決まっちゃったから聞く耳なさそう。あとはなんてお返事したか覚えてないので以下発言集。

「だってさぁ、元気そうだったしさぁ(多分自分が怒られたことを指してると思われる)」「私が辞める当てつけかなって」「あんころさんが休みなのに休むなんてさ」(???)「だから私人事に言ってきた!」(本当に何を?)「これそのときのメモ」(スマホ渡された)

ひとしきり話してスマホを置いて出て行く先輩。残されたスマホには自分が如何に不当な()態度をとられているか、あと体調不良は絶対仮病だ!ということがつらつらと述べられていた。おもち、バカウケ。同時にマジでやってんだなこの人と気付き、妙に切なくなる。私の2年間返してくれ。

曖昧な反応と共にスマホを返し、席に戻る。そしてこの妙な違和感に思いを馳せる。のも束の間。

「あんころさんちょっと」

と、何故か部長からのお呼び出し。本当になに?

応接間に連れ込まれ、席に着くなり部長は「いや、今こんな状態じゃないですか」と前置きしてから3月からの対応を協議させて欲しい、と告げた。はぁ、とおもちは生返事をした。なぜ私と?

「とりあえず〇〇さん(新人)は後方に下げようかって話が今」

言われた瞬間、おもちは目をぱちくりさせた。何言ってんの????ただでさえクソクソ忙しい時期に0.4くらいとはいえ戦力減らしてどうしろと????てか、一人で現場回せと???てめぇらをこねくり回したろうか。

ということをオブラートに包んで申し伝える。「彼は接客しなくていいからルーティンの事務だけさせてください、まだマシです」これはマジで言った。部長は困ったように唸ってから「大丈夫?」と告げた。すでに大丈夫じゃないが????

「あんころさんの負担を増やさない形にしたいんだよね」

物凄く真剣に言われたものだからおもちは乾いた笑い声をあげた。「どうやったって私の負担は増えるので」つい口をついて出てしまった。

実りのない会議を終え、おもちは頭の上をはてなでいっぱいにした。なんでこんな不自然にみんな優しくするんだ?気持ち悪さで吐き気すら覚えながら給湯室にいたお姉様に部長との会話、ありのままを伝えた。「なにそれ」顔を顰めたお姉様は言うなり近くを通りかかろうとしていた上司を捕まえて、あんころがこんな話をされたみたいで、人が足りないのに、という話をした。

返ってきた回答は意外なものだった。

「そうなの! だから私と〇〇さん(先輩)で厳しいって話したの〜」

と。そこから話は思わぬ方へ進んでいく。

「なんか部長が役員から「あんころさん、このまま帰って来ないんじゃないか」って言われたらしくて〜で、その体調不良の原因が〇〇さん(新人)だから後方に下げたらいいとか言われたみたいで〜」

ざっくり要約するとこんな感じ。おもちはびっくりした。まあ役員がおもちの体調不良を知ってるのは薄々勘づいていたのだが言いふらしてるとは。

ぽかんとするおもちたちを置き去りに上司はさらに続けた。

「言われたからびっくりしちゃって〜〇〇さん(先輩)に言ったら「でも私が休みの時とか席も動いてるみたいですし大丈夫じゃないすか?」とか言うのね〜」

いい加減にしろよそもそもお前に私が大丈夫だなんてなぜわかる。

死ぬ気で、本当毎日毎日暗い気持ちを隠して嘔吐して耐えてきたつもりだったけど。これではっきりした。無駄だったんだな全部。私の心配させまいとした気遣いとかそんなん全部。いや勝手にやったことだから、それを怒るのは間違いなんだろう。でもさあ、でもさぁ。

おもちは耳鳴りがした。後の会話は記憶にない。ぐるぐる考えながら一つだけはっきりと思った。「あ、多分私も体調不良で休むとか言ったら仮病呼ばわりされるやつだ」そして悪人として触れ回られるんだろうなぁしにてぇなぁと思った。今のおもちは「休んでやりゃよかったなぁ」と思ってるけど、当時の判断力がおかしくなっていたおもちはそんなこと思えなかった。弱い生き物だ。

次に記憶があるのは人事にマジギレしていたときの記憶。

「私賛成した記憶なんてないしそもそもなんで言いふらされてるか意味がわからないんですが」

一連全てを吐き切ってからおもちは人事の役席にそう告げた。そのときおもちを突き動かしていたのは自分を取り巻く環境への怒りと憎悪だった。黙ってたらやられるという防衛反応でもあった。

人事の役席は寝耳に水だったらしく、「はぁ!?」と目を白黒させてから調べるから時間が欲しい、と言われた。それから「嫌な思いをさせて本当に申し訳ない」と頭を下げた。そこでようやくおもちの頭も冷えて、何も悪くない人事に頭を下げさせている自分の弱さが心底情けなくて、また泣いた。その頃のおもちは泣くと怒るを反復運動する珍妙な情緒を制御できない奴になっていた。

おもちは疲れていた。そもそも4月から疲れていたし限界だったけど、ここ2ヶ月ほどの動きが一番心を抉られていた。その頃には寮に帰るという行為すらも嫌で、いつまでも会社に取り憑かれているようで、日曜日の夕方には彼氏の家で蹲ってぼろぼろ泣いていた。

「もうほんとあんなとこでよ、おもちさん」

というわけで。

次回、怒りのデス引っ越し編

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