合理主義の猿真似がブラック企業を生む
つい最近のことだから、誰もが知っているでしょうが「年功序列や終身雇用制は古い」という言説。これ初めにいわれ始めたのは2000年代初頭くらいでした。
ホリエモンとかのあの時期。僕は、高校生か、高校を卒業した頃で、へたくそな反逆の時期で、これらのプロパガンダを、鵜呑み(うのみ)にしていました。
「年功序列や終身雇用制は古い」。これこそ、日本封殺の伝家の宝刀(でんかのほうとう)です。文化人類学者・ジェフリー・ゴーラーがつくりあげ、ローレンス・サマーズが引き継いだ、共同体破壊の伝家の宝刀です。
日本人の信仰である共同体は、またしても破壊されました。いま問題の『ブラック企業』などという言葉は、温和な共同体の中からは出てきません。
共同体の、人間味のある職場であれば、ぶつくさ言いながらも残業くらいする。人間味を完全に喪失したブラック企業は、ただの機械として、冷たく激しい圧力として、社員をすりつぶしています。
なんにも知らない、理解していないにもかかわらず、合理主義rationalismなどとキリスト教圏の真似をしているから、ブラック企業が生まれる。哀しい猿真似です。キリスト教をわからない以上、合理主義rationalismは実行不可能なのに。
「合理ratioは正義justiceである」などといったって、日本人には、理解不能でしょう。キリスト教の言葉は、僕らには届きません。わからない。苦しみを共有できない。
キリスト教の裏側には、古代ギリシャにまでさかのぼる、人類の痛切な苦しみがありました。古代ギリシャのことは、こっちに書いてます。
だからA型の人間(日本人)にB型(キリスト教)の輸血をしても、体が壊れるだけなんだ。ボンボンの日本人には、どうしたってわからない。キリスト教を理解していないから、ブラック企業が生まれるんですよ。
だから、現代日本人は、アメリカから、マネー(女神ムネモシュネ)にもとづく幻想空間=『社会society』を移植されつつも、あるいは、こぞって猿真似しつつも、古来の信仰である『共同体community』とのはざまで、板挟みになっている、という状態なんです。
社会、あるいはマネーとは、存在論Ontologyです。存在論Ontologyは、神学Theologyの概念。日本人が無縁で当然です。
社会に疲れた現代日本人は、いまやネットの中に友人を求めている。これはいいかえれば、キリスト教(社会society)と日本教(共同体community)の矛盾でもあります。
『日本教』とは、山本七平氏による造語で、小室直樹氏によって練磨(れんま)された学術用語 technical termテクニカル・ターム。
キリスト教は、Godの激しい光は僕らには眩しすぎる。現代日本人は、このあまりに激しい光の中で、自分が混乱していることにも気づいていません。(続)