イスラムが成し遂げた世界史の誕生~イスラムからヨーロッパは生まれた~
19世紀、ヘヴンにもっとも近いはずの社会が創建されました。私たちが生きている「社会」です。「社会」とはヘヴン=天国の生まれ変わりです。
サン=シモンやカント、さらにさかのぼってデカルト。彼ら近代哲学者の仕事は、人間世界という作品をつくりあげることでした。そしてそれは成功した。
彼ら哲学者は、まるで神の世界にも似た聖なる世界を夢想していたんです。哲学というコトバには天上的に神聖な響きがあります。Godも社会もリーズンもマネーもおなじことで、すべて神聖世界の薫りが立ちこめている。しかし不思議にも私たちはまったく幸せになれていない。
私は哲学=イデアの世界設計では、人は幸せになれないと考えています。根本的に自閉症のロジックだからです。はじめに「哲学vs反哲学の構図があるのだ」と説明しました。
→世界のエリートだけが知っているガチの哲学について話そうか。
そして、歴史上ずっと哲学=イデアが勝利してきた。恋愛もイデア、社会もイデアです。反哲学は全然勝てない。なぜなんでしょう。
それは、ヨーロッパのゆりかご時代にすでに「哲学=イデア路線でヨーロッパをつくってゆく」と決められたからなんですね。13世紀が本当のヨーロッパがはじまった時代であり、それ以前はただの貧乏かつ蛮族に蹂躙されるがままの魅力のないイナカでした。
「いや待て、ローマ帝国がヨーロッパのはじまりだろう」という意見もありますが、そのローマ帝国の中核はそっくりそのまま現代のトルコを中心とした地域に移植されており、それは東ローマ帝国、あるいはビザンティン帝国と呼ばれていますが、ヨーロッパには抜け殻だけが残っていたんですね。ここで歴史は分断されているわけです。ローマ帝国とヨーロッパをつなげて考えるわけにはいかない。ベツモノです。
(ローマはイスタンブルへ引っ越した)
いま私の手もとには『世界の歴史3 中世ヨーロッパ』(堀米庸三責任編集 中央公論社 1974年)があります。
その記述によれば、5世紀にはフン族のアッティラが、6世紀にはランゴバルト族のアルボインがかつてローマ帝国を生んだ肥沃の大地イタリアを荒らしまわっている。
同じころにはフランク王国の勃興が見られ、フランク王国誕生の実質の始祖クローヴィスは残忍なマフィアそのものの人物で暴れまわっている。クローヴィスの孫にいたっては自分の名前で金貨を鋳造するなどと、ローマ帝国ではけっして許されなかったことを平気でやっています。貨幣の鋳造と流通は国家権力の最高部に属するモノですから。それは現代でもおなじ。国家は、貨幣の勝手な流通を許しません。
で、そのあいだにカトリックが権力をましてきたり、やはりこのあたりのヨーロッパは戦国時代さながらであって、もはやローマ帝国とはなんの関係もありません。
現在のヨーロッパにローマ帝国は関係ない。であればどのように生まれたのか?ずばりヨーロッパは、イスラムから生まれたモノです。ムハンマド(571年 - 632年)がアラビア半島を統一して100年以上経ったころ、イスラム史上空前の帝国アッバース朝(750-1517)が誕生しました。
この帝国のなにが史上空前なのかといえば、ユーラシア大陸をまるごと経済圏にした点です。このことを「世界史の誕生」として主張するのは、宮崎正勝氏です。ここで「あれ?」と本読み階級の人は思うはずです。「世界史の誕生」といえば岡田英弘氏のいいはじめたこと。岡田氏は、モンゴル帝国から世界史がはじまると主張しました。これは、わりと歴史好きな本読み階級には知られている事実ですよね。
だが「そうではない」と宮崎正勝氏はいいます。モンゴル帝国は、第2陣である、と。モンゴルよりは500年古いアッバース朝こそ、第1陣のネットワークであり、アッバース朝の中心バグダッドこそ世界の中心だった。
『イスラム・ネットワーク』p24宮崎正勝著 講談社選書メチエ
アッバース朝の交易ネットワークは、地中海周辺、サハラ砂漠以南の西スーダン、北欧、東アフリカ、内陸アジア、インド、東南アジア、中国に及び、日本、新羅までもが『ワクワク(倭国)』『シーラ』として、アッバース朝の知識人の視野のなかにふくまれていた。
こうした動きのなかで、トルコ人など内陸アジアの遊牧諸民族は、イスラム世界と深い結びつきを持つようになった。また、インド洋交易路の構造化が進んで、『第一次大航海時代』ともいうべき海上交易の活性化現象が見られ、河川ネットワークを通じて北欧・ロシアにも貨幣経済が波及した。東アジアにおいても、ムスリム商人が海上ルートを用いて東南アジア、インド洋周縁地域からもたらした香料、香木が海上交易の活性化を助けた。
アッバース朝の『ネットワーク帝国』としての特徴は、広域におよぶ商業ネットワークに安定した構造を与えたことにある。アッバース朝は、『帝国』部分とそれに付随するアフロユーラシアに広がる大交易ネットワークから成り立つ、商業的性格の強い『ネットワーク帝国』であったといえる。
なんと日本までワクワクという名において発見されていたことが明らかになりました。アッバース朝にて生みだされた重要な地理書、イヴン・フルダーズベ(820年頃 - 912年)による『諸道路と諸国の書』が日本のことを記述しています。
この著はワクワクを黄金の国だと伝えており、これはマルコ・ポーロ(1254 - 1324)の『東方見聞録』よりおよそ400年早い。だからイスラム・アッバース朝の巨大さを私たちは知っておく必要があります。
イヴン・フルダーズベがワクワクとしての日本を記述した頃は、日本における平安時代。一流知識人の空海(774-835)くらいはこの世界情勢を理解していたでしょうが、おおかたの日本人はユーラシア大陸の激動など知らなかったでしょうね。
それはそうと、だからアッバース朝の中心バグダッドからすれば、日本よりもヨーロッパのほうがはるかに近い。日本情報をつかむだけの能力があれば、ヨーロッパ情報はもっと楽に入ってきたでしょう。そして実際にヨーロッパ世界へ進出していった。
アッバース朝の地方政権だったアグラブ朝(800-909)という王朝があります。現代のチュニジアを根城とするアグラブ朝は、海を渡ったさきのイタリア・シチリア島を制圧、827年からおよそ100年以上かけてシチリアはイスラム化していった。のちにシチリア島の首都パレルモは、ヨーロッパ最大の都と呼ばれるようになります。
そしてパレルモを拠点にイスラムが地中海を制圧していった。地中海といえばかつてローマ帝国が「われらの海」と呼んだローマの母体。地中海なかりせばローマ帝国は存在しえなかった。ここがついにイスラム化したわけですよ。次の引用は、当時のイタリアの様子です。
『世界史の誕生とイスラーム』p98(宮崎正勝著 原書房 2009年)
地中海に進出したイスラーム教徒は、各地に米、砂糖きび、硬質小麦、綿花、なす、柑橘類、料理用バナナ、マンゴーなどの東方の農作物を伝え、新しい農業技術を普及させた。イスラーム教徒は、サハラ砂漠からの熱風「シロッコ」に悩まされるシチリア島にイスラーム世界の灌漑・水利技術を持ち込み伝統農法と結び付けた
人類学者シドニー・W・ミンツ(一九二二-)は、彼らがイスラーム化以前からあった灌漑方式に、ペルシアの水受けつき水車(「水車のきしる音」を意味するアラビア語の音を借りて、スペイン人は「ノリア」と呼ぶ)やウォーター・スクリュー、ペルシアで普及した地下水路「カナート」、その他多数の技術を結びつけたこと、征服地の労働力活用の面でイスラーム教徒が優れていたことを指摘している。
※中略
地中海中央部に位置するシチリア島のイスラーム化の状況は、一〇世紀にイブン・ハウカルがパレルモだけでモスクが三〇〇も建てられており、金曜モスクの礼拝者は二〇〇づつ三六列に並び、計七〇〇〇人を越えていたと指摘していることから推測できる。同時に彼は、パレルモには一五〇以上の肉屋があるとも記しており、同市の繁栄ぶりがうかがえる。
パレルモは当時のヨーロッパ最大の都でした。だから10世紀ごろのシチリア島パレルモこそが、のちのヨーロッパを準備したんだと私は指摘します。そしてそれはイスラムによって成し遂げられました。
『中世の産業革命』(ジャン・ギャンペル著 岩波書店 1978年)なんかは、この時期のヨーロッパの機械化技術や金融技術をたんねんに紹介していて非常におもしろい著作なんですが、スッポリとイスラムをかき消して、まるでヨーロッパ人が独力で進歩を成し遂げたかのような書きかたをしている。これではイカンですよ。
どうあっても世界覇権国アッバース朝の影響は避けられない。そのアッバース朝の中心バグダッドからは4つの道、大動脈が走っていました。
このうち私が着目するのが、バスラ道といわれるルートです。バスラは、ペルシア湾の眼と鼻のさきの街であり、ペルシア湾からインド洋にむけて船がでます。インド洋からさらに北上して、中国の湾岸都市にまでいたります。中国の広東には、アッバース朝の恩恵を受けたユダヤ商人たちの居留区まであったんですよ。
この壮大な海の道は、シンドバッドの舞台ですね。シンドバッドという名称は、インド系のなまえです。私も小さいころは千夜一夜物語、通称アラビアンナイトを好きでよく読んでいました。あれは世界帝国アッバース朝の話だったんですね。
私が観察するに、このルートこそアッバース朝の大動脈、アッバース朝を世界覇権国たらしめているルートです。地中海から中国までをつなぐルート。だからアッバース朝は、後年のイギリスやアメリカとおなじく、海洋帝国だったと私は断定しています。あとで話しますが、モンゴル帝国は大陸帝国。
このシンドバッドの交易海路を、『ヨーロッパ覇権以前』(ジャネット・L.アブー=ルゴド著 佐藤次高・斯波義信・高山博・三浦徹訳 岩波書店 2001年)は「中央ルート」と名づけます。中央ルートと名づけるからには、まだいくつかルートがある、ということです。
大きく見ると、ネットワーク第2陣のモンゴル帝国時代には、中央ルートを含めて3つのルートが機能していました。
『ヨーロッパ覇権以前 ・上』p173(ジャネット・L.アブー=ルゴド著 佐藤次高・斯波義信・高山博・三浦徹訳 岩波書店 2001年)
3つのルートとは、コンスタンティノープルから中央アジアへの陸路を横切る北方ルート、(※引用者より。これがモンゴル帝国の大動脈。)
地中海とインド洋をバグダード、バスラ、ペルシャ湾を経由して結びつける中央ルート、(※引用者より。これがアッバース朝の大動脈。)
そして、アレクサンドリア〜カイロ〜紅海とアラビア海そしてインド洋とを結びつける南方のルート(※引用者より。これがアッバース朝没落後のイスラム世界の大動脈)である。
12〜13世紀には、戦争と平和とが、遠方の交易相手を互いに接触させるという皮肉な協力関係によって、これらのルートはさらに網目状のものに広がった。そして13世紀後半までに、3つのルートがすべて機能するようになっていた。
だから中央ルートの支配者がアッバース朝。そこがさびれていくと、次なる道が南方ルート。この2つは海の道です。で、それとはちがう道で独自進化した北方の大陸ルートがあって、そこの支配者がモンゴル人だと。
北方ルートは草原の道ですね。モンゴルからカザフスタンからカスピ海、黒海の北側をずっと走り抜けます。私ら日本人には想像できない大草原。めちゃくちゃ寒い。しかし、この平坦な道があったから「車輪」は発明されたんですよ。トルコ・アナトリア半島の鉄をつかって。ガタガタの道だと車輪はつかえませんからね。内藤みどり氏は、この平坦で車輪をつかえる北方ルートをさして「文明の高速道路」と呼びました。
だからじつは、モンゴル軍がとおってきた北方ルートは古代からつかわれてきた伝統の道なんです。このルートの支配者がユーラシアを、世界覇権をにぎるという人類史のわかりやすい構図がある。「突厥」とか「スキタイ」とか謎の草原民族が古代史には出現しますが、じつは彼らが世界覇権を握っています。
このあたりのことは『シルクロードの経済人類学 日本とキルギスを繋ぐ文化の謎』(栗本慎一郎著 東京農業大学出版会 2007年)を読まれるといい。ずいぶん興味深い研究がなされている。
だから本当は、「世界史の誕生」というコトバがユーラシアの大統一を意味するのであれば、それはモンゴルやアッバース朝どころではなく、さらに以前の、古来の草原の支配者において世界史は誕生していた可能性もある。栗本慎一郎氏の研究は、その地平に挑戦しています。
そして大草原の北方ルートに唯一対抗できる道が、イスラムの切りひらいた海の道ということ。こっちはインド洋を中心にすえます。さらに、こちらもイスラム以前に切り開かれた可能性がありうる。なぜ、日本神話の天孫降臨の地が、九州・宮崎の高天原なのか?こっちは南の海洋ルートと関係があるはず。
映画『君の名は。』(新海誠監督 コミックス・ウェーブ・フィルム 2016年)で有名になった口噛み酒は、南方海洋ルートの文化です。宮崎よりはもう少し入りこんだ瀬戸内海に、南方海洋ルートの終着地があったのだと私は見ています。
まあとにかく、世界史は、ざっくばらんに大陸vs海洋だと考えていい。これはそのまま現代の、中国vsアメリカの構図と同じです。カスピ海と黒海の北側をとおる平坦な草原の道。ここを制する民族が、陸の世界覇権国をつくる。
それともうひとつ。インド洋を制する民族が、海の世界覇権国をつくる。歴史は、この2つが数百年単位でいれかわることを証明しています。このことを「陸海サイクル理論」とでも名づけましょうか。私は、日本の誕生(645年、大化の改新のあとの中央集権化)すら、大きくは草原の時代からインド洋の時代へと交代する地殻変動の影響ではないかと考えています。インド洋を支配したイスラム・アッバース朝の以前、ササン朝ペルシア(226-651)の世界覇権国への挑戦がありました。
ここを話すとまるまる1本の文章になってしまうので、いまは詳しくは話しませんが、草原の世界覇権国・西突厥(583-657)への挑戦は、ササン朝ペルシアの頃から噴出していたんですよ。ササン朝の海洋路線を継いだのが、紅海の商人ムハンマドからはじまるイスラムでした。アラビア半島のイスラム化の過程は、『イスラム世界の成立と国際商業』(家島彦一著 岩波書店 1991年)が詳しい。そしてイスラム・アッバース朝が、インド洋を軸にした世界覇権国をつくっていったのです。
第6回終わり
次回「13世紀の世界大戦〜モンゴルvsイスラム〜」
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前回の文章はこちら↓
信仰は神からカネへ~私ら現代人をつくったのはイマヌエル・カントだ~