「社会人」は戦後に生まれた
前回まで。
○日本人は社会工学をほどこされた
○日本人を改造したのはスーパー理想主義者
「社会人」は戦後に生まれた
そして、「数式は美しい」の連中が、日本に上陸しました。スーパー理想主義者たちです。
太平洋戦争で壊滅した戦後日本に、社会工学がほどこされました。
GHQの中のニューディーラーと呼ばれる連中が、戦後日本の青写真を描いたんです。現在の日本国憲法も彼らの手によるもの。
ニューディーラーは、僕にいわせれば、キリスト教の聖職者です。
『pre established harmony:あらかじめ奏でられていたハーモニー:数字の調和』に酔いしれた聖職者の最高傑作が、戦後日本です。
ここで明確にいっておきますが、僕は近代において生まれた、あらゆる政治思想のカテゴリーを、キリスト教の名の下に一括します。
中には、「ニューディーラーは社会主義者であって、社会主義者は宗教を否定するので、彼らを聖職者と呼ぶのは筋違いだ」という、ガチガチの知識人の方もおられるでしょう。
しかし僕は、聖職者として一括します。
近代と呼ばれるこの500年の、あらゆる政治思想は、キリスト教の各セクトであり、だからこそ日本人には理解がおよばない、という大きく単純化した視点から、僕はこの文章を書いています。
僕らは、そろそろこの500年を総括しなければならない。それがたとえ、極東の島国からの発信であったとしても。
いや極東の日本人だからこそ、いえることがあります。
キリスト教の最高傑作としてつくりあげられた日本の民として、僕らには、西欧近代500年を理解する必要がある。
移植の前、日本には『共同体community』への帰依がありました。
共同体の、プライベートに無制限に侵入してくる代わりに、みんなが家族のような感覚です。毎日がお祭りのような陽気な気分です。
それが最大限にまで進化したのが、かつての日本でした。
欧米人から見ればガラパゴス進化です。
だから彼らからすれば、日本人が謎の民族に見えたんです。
アメリカの日本対策班は『社会society』とは対極の進化、ガラパゴスの極地を日本という地に発見したんです。
そしてガラパゴス・日本は、完璧に分析されました。
日本対策班の文化人類学者、ルース・ベネディクト(1887~1948)と、ジェフリー・ゴーラー(1905〜1985)。
この二人が、ガラパゴス分析の最高知能でした。
「恥」で腹切るサムライ、飛び降り自殺の社会人
アメリカの日本研究者たちは「共同体communityは、こんな進化をするのだ」と、その研究心をムラムラさせました。
見たことのない事例でしたから。
未知の進化が、極東にあったということ。
日本の『共同体community』とは、キリスト教の概念たる『社会society』と、対極をなす進化のかたちでした。
日本人は、『共同体community』を発達させた民族です。
空気を読みあう日本共同体の中で、もっとも強迫的な観念は「恥」だという研究結果が、アメリカでなされました。
「恥を知れ」と、日本人はよくいいます。
「恥ずべき行為だ」ともいう。
もっとも、これらの言葉は、現代日本において、あまり力をふるわなくなっているようにも僕は感じていますが。
共同体が希少種となった現代日本においては。
「ヨーロッパ人の『罪』にたいして、日本人は『恥』が、その行動に決定的な影響を与えている」として著名な本がルース・ベネディクト(1887~1948)の『菊と刀』です。
日本国内でも、かなり有名な作品です。
ただし、『菊と刀』は、ルース・ベネディクトが、一般用に書き改めた、いわば商業用の作品であり、国家戦略用のレポートとはいえません。
『菊と刀』には、国家戦略版のレポートがあります。
それはナンバー25と付された報告書であり『Japanese Behavior Pattens』と名づけられたものです。
『Japanese Behavior Pattens』は1997年になって、ようやく日本でも出版されました。『日本人の行動パターン』(ルース・ベネディクト著 福井七子訳 日本放送出版協会 1997年)です。
『日本人の行動パターン』訳者の福田七子氏は、さらに貴重な翻訳を行っているので、そちらもあわせて紹介します。
それはルース・ベネディクトに先立つ、イギリスの文化人類学者・ジェフリー・ゴーラー(1905〜1985)の『日本人の性格構造とプロパガンダ』(ジェフリー・ゴーラー著 福井七子訳 ミネルヴァ書房 2011年)でした。
こちらの日本における出版は、なんと2011年。
つい最近ですよ。
21世紀に入って、やっとアメリカからのゴーサインの出た著書です。70年前には、日本人には知りようもなかった著書。
ゴーラーの『日本人の性格構造とプロパガンダ』が重要なのは、『菊と刀』のベネディクトら日本対策班に多大な影響を与え、なおかつ『恥』こそ日本共同体の核であると、ベネディクトに先立って見抜いていた点です。
『恥』は、日本共同体の中では、もはや強迫観念であるとゴーラーは指摘しました。
『恥』こそが、日本人の信じがたい行動の源なんです。敵機にぶちこんでゆく特攻。ハラキリ。
あるいは「一流企業に就職できないから」と自殺するような現代日本人には、このことが実感としてわかるのでは。
『日本人の性格構造とプロパガンダ』(ジェフリー・ゴーラー著 福井七子訳 ミネルヴァ書房 2011年)p45~p46
あざけりの不安や恥ずかしさのとてもいやな感情は、「恥ずかしい」と呼ばれている。
そしてこのあざけりに対する不安は、日本人のふるまいにおける主要な動機づけとなる。
社会学上、あざけりによって行動が規制されるという重要性は完全に確立されているが、
肉体的苦痛よりも恐ろしいものになるという心理的メカニズムは解明されていない。
上記の引用文には、動物を観察、分析している響きがあります。
文化人類学者として、素晴らしい文章です。
これぞサイエンティストscientistの文章。
そして、動物としてあつかわれているのは日本人です。
ここで「この野郎!」と、いきりたつべきではないです。自分を動物と思えない、思いたくないところに人間の悲劇があるのだから。
自分に肩入れせず、動物だと思って対処していれば、うつ病にはならない。
だから、日本人という動物の共同体には『恥』が巣くっていて、『恥』こそ共同体を育成する核なのだという事実が、ここに提示されました。
文化人類学やら心理学やら政治学やらを動員して、至った結論です。
社会科学social scienceの成果として、「日本共同体の核は『恥』」だと決定しました。
ゴーラーの言説の影響力は、はかりしれません。(続)