見出し画像

リハビリテーション家の2025年~私の棚卸③~理学療法士養成学校 後編

3年生になってからの様々な出来事を❓つづってみたいと思います・・・。


1.3年生に進級してからは怒涛・・・

当時、私の学校では、最終学年となる3年生は、4月~9月下旬あたりまで、1施設2か月で、全国の病院、施設様で実習をさせていただく形でした。また、その後は国家試験より難しい??卒業試験が12月に控え、卒業試験の点数によりランクに分けられ、国家試験準備だった?記憶があります。

私は、元々”治したい”ではなく、私自身が、患者さんから、”学びたい””感じたい”という動機でこの仕事を目指し、また、本当の人間の力、優しさ!ということをテーマにやっていきたかったので、そうなると子供だ!と根拠なき想い・・・でも若干根拠ありで。。。例えば、私が、女性に親切にするとき、必ず下心がゼロではなく、打算ありきで優しさを提供しています。ただ、子供は、ある意味本音で、単に困っているだろう?やましい下心なく、他人へ行動をしている気がしていました。

そこで、根拠なく、そのようなイメージから、小児のリハビリテーションを目指すようになり、実習も小児の施設へ2つ(子供・小児発達での成人)、将来自分の就職地となる一般病院へ1つの合計3つへ実習に伺いました!

まあ、実習・・・できないできない。。バイザーの先生は、こんな私をよく指導してくださった!できないのに、生意気な事ばかり・・・基礎なき応用ばかり・・・理屈もつながっていなくて・・・よくご教示いただけたと思います。ただ、2期目の実習地で、初の挫折を味わい、次の日の朝日を観るのが嫌になるくらいにおいつめられたりすることもありました・・・。また、理学療法士をやるには、自らの能力では全く勉強が足りないと想い、一度覚悟を決めて、留年させて勉強させてほしいと学校に言いに行ったことがありました。

ただ、その時の先生に、『あなたは、どちらかというと賢くはないかもしれない。でも誰よりも、やっているじゃない。私はPTに向いていると思う!応援しているのよ!』という言葉を、私など知られてもない。どちらかというと嫌われている?と思っていた当時の学部長に言葉をもらい・・・。泣きながら下宿に帰り、次の日から何とか頑張って超えた思い出がありました。
I先生ありがとうございました!

ただ、自信なく、でもとにかくぶつかってやるしかない!と3期目の実習地へ向かい、そこでは、初めての実習生で、周りの先生方に、要領の悪い私に、一緒に残り、動作を分析するため、当時8mmビデオで撮影させていただいた動作を何度も観たり、認知症のある利用者で会話もできない人へ悪戦苦闘している私に色々ご教示くださったり・・・本当勉強させていただきました。そこでお会いしたH先生、M先生その他当日の皆様のおかげで、3期目の実習を終えることができました。

3つ実習を終えた私ですが、卒業試験・・・気持ちばかり焦り、全く手につかず・・・元々頭脳は弱かったので、気持ちばかり焦り・・・あれはあれはで・・・試験当日を迎えました!

2.見事3回ある卒業試験!ダダすべり・・・

当時の卒業試験、共通基礎科目、専門科目に分かれ、1回目が記述式のテスト、2回目、3回目が選択式マークテストでした。見事、1回目の記述式テスト・・・すべりました。。3回のトータル平均で、合否が決まりますが、1回目終了で、点数の公表があり、そのうえで2回目、3回目のテストに臨みます。1回目点数、5割前半だったと思います。。さらに気持ちは焦り・・・結果、2回目、3回目ふるわず・・2回目終了時点で・・・ほぼ・・でした。
今でも、リハビリの学生時代には戻りたい!と思いますが、この卒業試験時期には、戻りたくないですね。。。(笑)

3.留年決定!“3はん”へ!!

3年生の過程は一応合格し終わっているので、来年の卒業試験までは、自習と希望する授業等への出席。ただ、この時留年したメンバー。当時から仲良くしている友達が大多数で・・・どうしたの?という感じで・・・。ただ、その友達との絆は、とても深まり、今でもその時のメンバーとは交流があります。

4.2回目の卒業試験1週間前・・・

それこそ、この1年間は、飛ぶように過ぎ、ただ前年度とは違い、勉強もしっかり地についてできたように思いました。遊びもたのしかった!今年こそは!と思って卒業試験1週間前の寒い朝・・・原付バイクで通学していた私・・・一瞬のことでした。車と接触し、見事に対面道路へ飛んでいき・・・気づくと、駐車場から空を観ていて、左の股関節が90度曲がった状態から、動かなくて、意識がなくなりそうになるくらい痛くて(後から思うと意識なくした方が楽だった)・・・ただ、目の前から黒い車(BMW)が来ていて・・おわった!と思ったら、停車し男性が出てきて・・・なんと整形外科のDr!そのまま、学校のある附属病院に搬送され・・・BMWのDrがレントゲン写真を持ってきて、私に質問する。『〇〇君は〇〇学院のPT学科の3年生よね!これどう病名がつく?どう治療する?』と・・・私も冷静にレントゲン写真を見て『明らかに、左大腿骨骨頭脱臼骨折です。手術にて整復固定、最悪全人工関節置換術ですかね?・・』冷静に答えたのを覚えている。Drすかさず、『正解!手術頑張ってみるわ!人工ではなく、整復できるように!』と・・・。この会話だけは、今もしっかり覚えています。人工関節になると、多分理学療法士の道自体も考えないと当時の人工関節の寿命や、色々考えると多分無理だろう・・となぜか冷静に考えていて。。親や仲間には申し訳ないが・・・3期目の実習地からも、すでに1年待ってもらっていて、それでも、おいで!と言ってもらっていて、待ってもらっていたりするのに・・どうしよう??と・・・。


5.そこからしばらくの記憶は思い出せません・

足をまだ引っ張り手術前の制服をしていて、狭い個室で、病院の天井ばかり眺めていたのは覚えています。あと、卒業試験前の忙しい時に、皆で、私のことを心配してきてくれた、3はんの仲間たち・・・。何を話したか?覚えていませんが、3はんの仲間が個室を皆がでていってから、数時間、なぜか泣いていた・・なぜ泣いたのか?今でもわかりません。悲しい?でもなく、つらい?でもなく・・ただただ、涙が止まらないのです。初めての経験でした。

それから、数日後16時間くらいかけた手術をしていただき、まさにGodHand!で、人工関節にならず、ピン固定で手術を終え、理学療法士になる夢を応援いただきました!当時BMWのHDr感謝しかありません!またその当時させていただいた皆さん!超!忙しい時に、3はんの皆には、私へのいたわり、心配りをいただき、今でも感謝しきれないくらい、ありがとう!と思っています。

6.あとがき

今日はこのあたりまでにします。最後までお付き合いいただいた皆様ありがとうございます!この項で終わろうと思ていましたが、思いのほか書くことが沢山あったようです。まだきっと、沢山の人に助けていただいたのに、感謝を書ききれていないのですが・・・次回は、ここからのリハビリ学生の私が、学生さんの担当症例になった経験のお話からスタートしたいと思います!本日もありがとうございました!

いいなと思ったら応援しよう!