見出し画像

2022年noteとの付き合い方

  自分のやることをやっていたらあっという間に一か月がたっていました。やはり取り組み事項は1つ多くても2つにしないといけませんね。3つ目と位置付けていた「書くこと」ですが、今の取り組み事項が終わったらじっくりかかりたいと思っていますので今はのんびりと気長にぽつぽつ書いていこうと思っています。

 仕事や立場柄、あまり自分の考えを外に出す機会が少ないために書いているものです。上手く書こうという気はないですが、まとまりがなくて読みづらいこともあると思います。SNSの「いいね」など反響をものすごく気にしてしまうタイプで、通知バッジだけでも気が散ってすぐ疲れてしまうのでポチッとして頂いてもあえて見ないことが多いです、すみません。ポチっとされてもされなくても構いません、目を通して頂いてありがとうございます。

新聞紙の文字は貴重品

 家族が新聞を定期購読しておりそばにあるので何気に読むのですが、ふと気になった読者投稿があり、その返信として投稿したところどうやら掲載されてしまったようです。「ようです」というのは、掲載されたことは家族から聞いたのですが、自分の言葉や思いを形にしたものを見るのが恥ずかしくて(というの私だけですかね・・・)数日放置していたところ、該当箇所を切り抜かれてしまい実物を見ていないからです。

  過去の新聞だしもう見れないじゃないか・・・と思っていたのですが、はるか昔にどこぞやの観光スポットで自分の生年月日の日付の新聞紙面を発行してもらったことを思い出しました。調べてみると今は「お誕生日新聞コンビニプリントサービス」なんていうものがあるのですね。すごい!

  文字書きの際の下敷き代わりや靴の湿気とり、焼肉の油汚れ防止のためのテーブル上への敷き紙、ガラスや壊れ物や野菜を包むなど、それはそれは可哀そうになるほど地味な使われ方をされてしまう我が家の新聞紙ですが、意外と貴重品のようですので、これからは大切に、しかし相変わらず地味な使い方をしていこうと思います。

投稿根拠

 投稿されたことがなんだか恥ずかしいと思っているということもあって、ちょっと犯罪をしてしまって新聞に載ってしまったような感じに近いかもしれません。本来堂々と喜んでいいことであって、マラソン大会の記録と名前が載るのは恥ずかしくないんですけど。
 家族以外の方の目にも触れたようで「どうして投稿しようと思ったのか」を聞かれ、返答に窮してしまいました。目立ちたい訳でも投稿を載せてほしい訳でもなく、ただとある投稿が刺さったので返事を書きたくなっただけで。別に投稿である必要はなく1対1の文通でよかったのですが、間に新聞社が入ったことでその社員の目に触れ、なぜか多くの目に触れるものとなりました。

「なんとなく」伝えたい

 今までのnote投稿も走っていたり運転していたりしたらなんとなく色々思い出し、それについて考えだしたりし始め、それが勢い余って形になってしまったものです。いずれは読んでもらうための文章を書くこともあるのかもしれませんが、すっかり文章を書くことのいろはも学生時代に置き忘れてきてしまったようなので、書きたくなったら書く、みたいなゆるさでいいかなと思っています。
  どの趣味も本格的にやり始めると「はじめた頃の純粋な楽しさ」って忘れてしまっていっている気がするので、書くことでちょっと幸せになれたと思えるようなお付き合いを2022年noteとはやっていこうと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?