20代ラストイヤーに、初めて鹿島アントラーズのホームタウンに行った話
2022年11月5日。
生まれて初めて、茨城県鹿嶋市に足を踏み入れた。
2002年の日韓ワールドカップで
サッカーや鹿島アントラーズというサッカーチームを知り、
たまにあるテレビ中継や
インターネットラジオでのホームゲーム中継を聞いて育ち、遠い遠い「ホームタウン」へ思いを馳せていた一方、
大学時代、若いうちにいろんな所に行っとけよと言われる時期には、
色んな場所に行くどころか、自分の想定以上に
地元に(スポーツ以外のキッカケで)愛着が湧き、
マスクが必須の世の中になってからは
地元のプロバスケットボール観戦という楽しみも発見した一方で、
鹿島アントラーズのファンを自認しつつも、
そんな遠く離れた推しチームのホームゲームに行くなんて、
もはや死ぬまでに1回行ければいいかな…
な問題になりつつあった。
そんな自分も気が付けば、来年で30歳。
今年になって特定の誰かに背中をプッシュされたわけでもないのだが、
家庭環境に変化があり、
少しばかり、考え事をする時間ができたことや、
2年ぶりに自分の(スポーツ以外での)活動を再開できたこと、
自分の背景を誰も知らないであろう場所に、
今頃になって行ってみたくなったこと…。
よし、自分の体と地域の交通網が元気なうちに、
一度鹿嶋に行ってみよう!と思いたち、
近隣の主要バスターミナルから東京駅行の夜行バスに乗り、
試合当日の朝、東京駅から高速バス「かしま号」の乗り場を目指す。
翌朝の東京駅。
中学の修学旅行以来の東京。
事前に、フォロワーさんのご協力の下、東京駅からのバスの乗り場・番号まで覚えて臨んだが、
乗り場の番号を見つける前に、
鹿島アントラーズ(と対戦相手のガンバ大阪)のユニフォームが明らかに集中している箇所を発見。
「『かしま号』は、本日はJリーグの開催のため、増便してご案内いたします〜」
ユニフォームの密具合を目の当たりにして、
開いた口が塞がらない私をよそに、
バスターミナルのスタッフの方々は慣れた手付きで乗車手続きや荷物預かりなどを捌いていく。
この日は、シーズン最終節。
チームによっては優勝を祝い合ったり、
サポーター同士の年の暮れのご挨拶のような意味もあったり、
場合によってはこのシーズン限りでユニフォームを脱ぐ選手などを目に焼き付ける最後の機会になったりする。
多くのサポーターが、この日に予定を合わせていたのだっだ。
鹿嶋市に着いてから顔を合わせる予定だった方々への連絡が、わかりやすくバタつく、鹿嶋初心者。
眼の事情で車の運転ができない私は、
こちらのnote記事から情報を仕入れ、
ちょっとでも移動時間を短くしたり、
町並みや人の流れを見れればと思い、レンタサイクルを予約。
鹿嶋でレンタサイクルした話|yamaaaaaaaan|note
はやる気持ちと、
体に慣れてない借り物のチャリで試合前に大怪我するわけにはいかない
という気持ちとを両輪にペダルを漕ぐうちに、ついに視界に捉えた。
今までテレビやスマートフォンの画面越しでしか見てこなかった、
カシマサッカースタジアムである。
サッカー観戦自体ご無沙汰になってしまっていた私は
この日のために初めて使ったJリーグのチケットアプリで、係員と接触することなく入場受付をすませ、
2階席へ。
…とは手際よくいかず、
正しい入場口やグルメ販売ブースの把握に
これまたわかりやすく混乱。
結局、メンバー発表までに席に戻ることができず、
私の波乱の“カシマデビュー戦”は幕を開けた。
アントラーズの対戦相手は、
この日の結果次第でJ1リーグに残留かどうかが決まり、
選手はもちろんサポーターも血眼となってカシマに来たであろうガンバ大阪。
一学年上で、私の地元の高校からプロの世界に飛び込んだ昌子源選手は
相手の青黒のユニフォームに身を纏い、
(後に来シーズンは鹿島アントラーズへの加入が決定)
海外でのプレーを経て還ってきた鈴木優磨選手は
一部エリアで解禁された、サポーターのチャント(応援歌)を背に受けて攻守に奔走する。
試合は両者ゴールを奪うまでには至らず、
0-0の引き分けで終了した。
今季最終戦ということで、
試合後にはアントラーズのキャプテンと監督のスピーチ。
鳥取県から14時間近く移動してきた疲れが隠しきれなかったからか、
それとも自分の性格上
「ワタシが鹿島に行ったなんてありえない」というブルーな自己暗示が乗っかっていたか、
どこかまだ、ワタシはホントにカシマにいるのではなく、
まだ夢の中から覚めていないんじゃないかという感覚が抜けなかった。
確かに私は、
両隣の席の方々と、同じチームを応援していた。
チームの公式グッズだけでなく、特技か仕事柄なのか、手芸で推しの選手の顔を模したものを持参してきた隣の席の若いサポ。
どこから来て、ここに集ったかは知らないけれど、
得点チャンスに同じタイミングで湧き、
ピンチに同じタイミングで冷や汗をかいた。
試合後に自転車の返却に行った場所でも、
管理人の方に、
いつもTwitterや画面越しでしか拝見していなかった鹿島サポ、ガンバサポの方々を代わる代わる紹介され、
自分が同じ場所にいたことが、なまじ信じられない。
しかし、朝起きて、
止まったホテルのバイキングで取った箸袋には、
たしかに
「茨城県鹿嶋市」と書いてあったのだ…
『となりのトトロ』のメイとサツキではないけれど、
夢だけど、
夢じゃなかったーー!!
と、遠征をした、目的地に確かに足を踏み入れた実感を
朝食と共に味わったのだった。
ホテルのチェックアウトを済ませた後は、
鹿島神宮と、
家族へのお土産を買いに和菓子屋「丸三老舗」へ寄り道。
東京でも人と会う用事を控えていたため、
外の気温も自分の身体もまだ暖まりきらないまま、鹿嶋を後にした。
あっという間に、生まれて初めての鹿嶋遠征を終えたのだったが、
形あるもの、ないもの、
様々なものをもらってばかり、受け取ってばかりだった。
鹿嶋を知り、実際に足を運んだのは、
確かに鹿島アントラーズや鹿島神宮があったから…というキッカケはあるけれど、
学生時代の、様々な人と触れ合う時間が楽しかったように、
もう少し、そこに輝く名所ではなく、
そこでの暮らしを日常のものとする人たちとのコミュニケーションを、もっと楽しめたらよかったと、
あとになって反省した。
自分は人気者でも高額納税者でもないけれど、
次に赴くときには、鹿嶋に関わる人と、
同じ人間として話をし、なにか恩返しができたらなと思っている…。
そしてこのnoteを、年内には書き残しておこうとした時に、気づいたのだった。
アントラーズのレジェンド、
ジーコの銅像の写真を撮るの忘れた!!!
終