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nutella愛にみる愛のあれこれ

私はnutellaが大好きだ。
高校生の頃にフランスに留学して出会った。
美味しいものに囲まれて常に食べまくってて、盛大に太って帰ってきたんだけど、
増えた11キロのうちの3キロくらいはnutellaと、nutellaを食べるために一緒に食べてたパンやビスケットによるものだと思う。

nutellaが大好きだ。
だから娘と一緒に食べたい。
6年くらい前、煮たり煮たり煮たりして延々と離乳食を作ってた頃に思った。早く娘と一緒にあれが食べたいと。
ときは経ち、7歳。
もういいだろう。何歳になったらチョコレートを食べてよいかは、考え方もいろいろだと思うが、娘はもっと前からチョコレートばくばく食べてたし、nutellaも、もういいよね。
でもきっと、やめられなくなって食べ続けちゃう。
注意深く与えなくては。慎重に。
そう思って、いよいよ購入!
きた、家にnutellaのある生活!

ああ、nutellaが大好きだ。
なんだこの幸せな食べ物は。ホストファミリーの家のキッチンで、おねえちゃんとひたすら食べ続けた思い出も蘇り、もう最高。
学校から帰ってきた娘に、
「今日はいいものがありまーす!なんでしょうか!」
とハイテンションで聞き、「見せちゃおっかなー、ヒントは食べ物、なんだろうなー見せちゃおっかなー」という鬱陶しい絡み方をして、披露。
チョコ好きな娘は、
「おおーーーーーなんだそれはーーーー」って喜んでる。
そうだろうそうだろう、分かる、その喜びは正しい。

そして実食。
私「ねえ、おいしくない?ママこれ大好きなんだけど、おいしくない?」
娘「うん、おいしい」
私「だーよーねー!」
で、二口、三口食べたところで、「もういらない」って言われた。

衝撃。
私「この味、好きじゃなかった?」
娘「うん、あんまりかな、ママ食べていいよ」
うっそーーーん。そんなことある?ショックだ。私の娘がnutella好きじゃないなんて。
でもいい、私は瓶全部、一人で食べられるのだ。うん、それでよしとしよう。

やっぱりnutellaが大好きだ。
と思いながら食べてた数日後、娘が自分で瓶を取りに来て、パンに塗って食べてた。
私「あんまり好きじゃないって言ってなかった?」
娘「そんなことないよ、この前食べたときはママがいっぱいつけたから。ちょっとだけつけたらおいしい」
そういってばくばく食べてた。
、、、まじ?

このnutellaを巡るあれこれは、まさに愛のあれこれではないかと、はっとした。
nutellaが大好きだ(私がね
きっとやめられなくて食べ続けちゃうだろう(私がね
いいものがありまーす!(私にとってね
それで山盛りパンに乗せて、いらないって言われて、落ち込んでたらいつのまにか娘が自ら食べてて、私が差し出した量がtoo muchだったと知らされる。
まさにこれ子育てじゃないか。
自分が好きなものは当然子供も好きだと思う、好きでいて欲しいと思う。
幸せをいっぱい与えたい。山ほど与えたい。
疑いなくそう思ってしまうけど、でも何が幸せかも、適量も、違うんだ、自分とは。
娘は一人の人間で、私じゃない。それをとても尊く、とても切なく思う。

子育てに限らず、愛は全部これだ。
私の愛の喜びと、切なさは全部nutellaだ。
自分が大好きなもので、大好きな人に、あなたが大切だと伝えたい。
どの仕事も全部これでしかない、これをやりたいから、しんどくても自分たちの会社をやりたいんだと思う。
私が差し出すものを愛だとは思わない人がいたり、拒絶されたりすることもたくさんあって、それにすごく傷ついて悲しんできたし、
「これを愛だと思わないってなに?意味わかんないんだけど」って反発したくなってた。
でもさらにそこで、相手が思う愛ってなんだろうって好奇心を向けることが愛だと思うし、
それと同時に、自分の愛情表現をもっと認めてもいいのかもしれないと最近は思う。
子育ての話か、仕事の話か、nutellaの話か。
どれも大差ないのかもしれない。
たくさん愛を伝えていこう。


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