娘と2人きりのクリスマスが寂しくて惨めだと思っていた私へ
シングルマザー歴2年半。
サポートネットワークを早々に構築し、手を抜くところも覚え、それなりに快適に過ごしてきた。
頼れる友達、元夫、親、保育園など、サポートフルな人たちの助けは大きい。仮に、私に急に何かあっても、
娘はきっと家から家を渡り歩いて、保育園に送られ、誰かが迎えに行って、お風呂に入れて、服は洗濯してもらって、何事もなく過ごすだろう。きっと何日も。
それでも私は、ずっと「この家に大人は1人、助けてくれる人は外にたくさんいるけど、家の中は1人、同じ立場で一緒に考えて、一緒に生きてくれる人はいない、私は1人」と思っていた。
だから私は、とてもとても再婚したかった。
離婚後しばらくは「大人1、子供1の生活はなんて楽なんだ、女同士最高、男性不要」なんて思ったこともあったけど、それにも飽き、(飽きたとしか言いようがない)
一緒に生きてくれる人が欲しい、来年も再来年も一緒にいることが当たり前の人が欲しい、と思って、それはもう切望していた。
友達じゃだめなんだ、私を愛してくれる男の人がいい。
助けてくれるだけじゃない、求めてくれる人がいい。
そんな私にとって、最大級に苦手なシーズン、それはもちろんクリスマス。
ファミリー!ハッピー!恋人!ハッピー!
子供!パパ!ママ!ハッピー!!!
、、、だめだ、耐えられない。
家族で幸せに過ごすクリスマスが私にはない、今年もありがとうとクリスマスプレゼントをくれる男はいないし、「いつかはクリスマスにドイツに行こうね」なんていってみんなで一緒にyoutubeを観るような幸せ家族空間が、私にはない。
これに毎年、死にそうになっていた。
ちなみに、結婚してたときも不仲だったので、同じく死にそうになっていた。
結婚前の独身時代も、当たり前のように死にそうになっていた。状況変わっても、常に常に、死にそうな私。
1人でかわいそうで、大変で、惨めな私。
今月、この「このかわいそうな私」が極まった出来事があり、いい加減、「万年かわいそうな私」に、向き合うしかない状況となった。
かわいそうな私にしておくことで、助けてもらえると思った。
かわいそうな私でなければ、助けてもらえないと思った。
かわいそうな私でいれば、いつか全部を救ってくれる白馬の王子様が現れると思った。
かわいそうな私は、パワーレスで、頑張らない言い訳が出来た。
かわいそうな私でいれば、その場に止まってることに理由が与えられるように思えた。
立ちたくない、自信がない、怖い、もう何もしたくない。
私にはできないから。
ありのままの私では、誰も関わってくれないし、何もできない。
これが自分にあって、自分を「かわいそうな自分」にしてる、悲劇のヒロイン劇場なのだと、今は分かる。
この劇場は、悲劇だからとてもつらいんだけど、居心地がよくて、
できないふりをしたり、「お願いしますお願いします」と下手に出まくったり、気づかないふりしたり、それはもう、手を尽くしてやりまくってきたんだと思う。今年もやりまくってしまった。
その劇場をもう閉じよう。
そう決められたのは、娘のおかげだ。
自分をかわいそうなシングルマザーにすることで、娘も一緒にかわいそうな存在にしていた。かわいそうで惨めで、守られるしかない存在に。
そんなはずないのに。こんなにも美しいのに。
しかも娘からしたら、自分がいるのに、愛する母は「自分は1人でかわいそうで惨めだ」と言って泣いているのだ、こんな地獄あるだろうか。
自分のことについては、自分の思考の癖が勝ってしまうけど、娘となったら話は別で、
この子は、ありのままで、いてくれるだけで、世界中を幸せにする尊い存在なのだと、
それを心から信じ、伝え続けて一緒に生きるのだと、
娘を思えばそこはぶれずにいられる。
ということは、私も同じく尊い存在なのだと、信じる勇気が湧いてくる。
娘と2人きりのクリスマスが寂しくて惨めだと思っていた私へ
「悲劇のヒロイン劇場、お疲れ様。頑張って守ってきたね。
その守り方、もうしなくて大丈夫。
悲劇のネタも尽きて来たし、極まってきたし、もうやめて大丈夫。
ありのままですでに愛されているというところから、好きにやろう。
お願いして、貰いに行って、返してメリット出そうとしなくていいよ、
受け取って、感謝して、あとは元気に好きにやろう、
元気に好きに、娘と幸せに生きよう。
パートナーシップが欲しかったら、まっすぐ求めよう。
今年のクリスマスは、思う存分、楽しんでね」
2023年クリスマス直前の私より
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