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大学時代のレポート「価値が変われば未来が変わる」

どうも、ターナーと申します。

普段は、『あなた感』という学びをブログで発信しようとテーマのもと記事を書いています。

今回は、実験的に大学時代の「哲学Ⅱ」という講義のレポートを公開してみようと思います。

ブログに乗せるものでも無いので、こちらのnoteに書かせて頂きます。

レポートタイトル『価値が変われば未来が変わる』

テーマは「行為と価値」についてです!

では、大学2年のわたし頑張って!


1.はじめに


人間は、いったい何なのか?という問いに今まで多くの哲学者がそれぞれの回答を出しているが、その回答のひとつひとつが人間の持つ特徴を捉え、うまく言葉で表現してあると感じる。私は、以前この人間とは何かという問いに対して、多くの哲学者が人間について哲学をしている事に注目して、人間を哲学する存在であると自分なりに回答した。そして、今回の哲学Ⅱの講義のテーマは「行為と価値」である。そのテーマの一つでもある、行為という言葉と人間を結び付けて、人間について考えてみると、人間とは行為する存在と回答できそうである。なぜなら、人間は生きているうちはほとんど自ら行為を行っている存在だからである。ここで言う行為とは、意識・意図が伴った行動の事である。私は、今パソコンの前に座り、このレポートを書いている。この行動は、自らの意思であるし、レポートを書くという意図のもとに私がしている行為である。今、レポートを書くという行為を行う私は紛れもない人間という存在である。このように、人間はほとんどの間何らかの行為を行っているのであり、それがまさしく人間という存在であると言えるのであろう。
そして、もう一つのテーマである価値についてである。この価値とは、その人にとって大切なものだとか、行為を通じて実現しようとする対象である。現在の社会では、この価値が人それぞれになっており、個人の価値観が尊重され、多種多様な価値が存在する社会になっている。価値とは、行為を通じて実現しようとする対象であるから、現在の社会は、人それぞれがバラバラの価値を実現していく為に行為を行おうとする社会であるのだ。
私たちの社会が手に入れた価値とは一体どのようなものなのだろうか?そして、私たちはその価値を実現しようとどのような行為をこの社会で行っているのであろうか。本稿では、現在の社会の持つ価値、そして、それを実現するためにどのような行為を行っているのかを考察し、私の持つ価値と社会の持つ価値を比較していき、これからの社会はどのような価値のもとに行為を行うのか考えていきたい。

2.現在の社会の持つ価値

 現在の社会の持つ価値といえば、簡単に述べると「もっと」というような価値観ではないだろうか。現在の社会は資本主義の社会である。資本主義の社会において、「もう十分」という価値は無いのではないだろうか。経済は常に成長する事を望まれて、経済の成長の為に常に市場には新製品が登場し、消費者の消費欲を促そうと必死である。もっと豊かになる為、もっと技術を高度にするために多くの自然が消費されていき、今では地球環境問題という大きすぎる問題を引き起こしてしまっている。この事を、はじめに述べた行為と価値に当てはめてみると、現在の社会の持つ価値は、「もっと」快適に「もっと」豊かに「もっと」高度にという「もっと」という価値ではないかと思う。そして、この価値を実現していく為に社会の取った行為は、自然を支配し、自然を作り変えていき人間が楽をして生きていく為に多くのモノを社会に生み出した。この行為は、この「もっと」の価値に対しての行為としてはとてもまともなものであり、現在の社会が反省するのなら、今までの行為よりもこのような価値を持ってしまったことに対してではないかと考える。現在の社会について考える上で重要なのは、イバン・イリイチが「富の増大が社会にとって危険となるような閾を市民たちが認識できるようになる社会過程について、また、そうした閾が社会全体の限度ないし限界と考えられるようになる、そうした社会過程について、今や考察すべき時なのです。」(*1)と述べているように、社会に生きる私たち一人一人が、モノの溢れる社会の危険性を認識し、危機感を感じられるようになっていき、私たちで社会の限度ないし限界を認識していけるような社会を構築できるようにしていかなければならないのだと考える。これまでの社会の持つ「もっと」という価値観では、社会の持つ限界でさえ越えてしまうからである。 

3.自然に根ざした価値の構築

現在の社会の中で生きる人々は、社会においてそれぞれに他人とは異なった価値観を持つ事が肯定されている。その事によって、多くの価値観が生まれ、その価値を実現するために人々はそれぞれに様々な行為を行う。しかし、地球環境問題という大きな問題に直面している私たちにとって、これからの時代は、どんな価値もどんな行為も肯定されるものでは無い。これからの価値は、自然・環境を考慮し、そのもとで生まれた価値でなければすぐに限界が来てしまうであろうと考える。例えば、浪費を美徳とする価値観は、自然や環境に配慮しない市場主義のもとにおいての価値であり、その価値を実現しようとする行為もおのずと自然と共生していくには、相反するものとなっていくであろう。なので、この浪費を美徳とする価値観には限界が来てしまい、自然・環境の悪化により社会が生き残れなくなると考える。これからの社会は、自然・環境に根ざした価値のもとでの行為をとる事が重要になってくるのではないかと考える。
 そして、これからの価値を構成していく上でフロムの「持つ存在様式」と「ある存在様式」という理論がある。「現在の社会の社会的性格は「持つ存在様式」が優位なものとなっているとのことであるが、人間が真の本性から導かれた生産的仕事・愛・思いやり・他人に与え分かち合い犠牲を払う意志によって「我あり」と感じる時、人間はすでにもう一つの「ある存在様式」を経験しているという、フロムの言葉で言えば、「ある存在様式」とは、「人が何も持つ事なく持とうとする事無く、喜びに溢れ、自分の能力を生産的に使用し、世界とひとつとなる存在様式」である。」(*2)この「ある存在様式」は人間的であり、現在の社会のもつ基本的な価値観とは正反対のものであろう。何も持つことなく人間は喜びに溢れる事が出来るというこの主張は、これからの社会の価値の構築に対して、大変魅力的なものである。競って持とうとするこの社会を根本から変革するにはこの「ある存在様式」は貴重な価値である。

4.まとめ

現在の社会は、「もっと」大きく成長する事を望む社会である。このような社会の価値によって、環境が大きく消費され、大きな問題が発生してしまったのである。行為の奥にあってその行為によって実現しようとしている価値が、本当に私たちにとって価値のあるものなのかを見つめなおす必要があると考える。私たちが求める豊かな社会を構築するための価値を見つけ出す事により、今私たちが直面している問題を解決できるきっかけがあるのだと考える。これまでの価値のもとでの行為では、本当に豊かな社会には向かわない事がわかった今、私たちは新たな価値を、それも自然に根ざした人間らしい価値を構築していく事が必要になっていると言えるだろう。

脚注

*1.・『生きる思想』 イバン・イリイチ p.67
*2.・『持続可能性に向けての環境教育』 今村 光章 pp.126-127

参考文献

 『生きる思想』(1991)
イバン・イリイチ 藤原書店

 『持続可能性に向けての環境教育』(2005)
今村光章         昭和堂


以上です~。

どうでしょうか?読みにっくいですね!!!

教授が読むから、コレぐらいの言葉づかいでいいよねと当時は考えて書いてました。

頑張って書いたんだなと懐かしかったです。

読んで頂きありがとうございます!

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