長州力考 前篇
格闘技からプロレスに転向するなら、デビュー後はまずヒール(悪役)を演じる方がいい。
ヒールにはセールする場面が少ないからだ。
セールとは、相手からの攻撃による衝撃や痛みを動きや表情をもって観客に訴えることをいう。それをうけて観客は試合に感情移入する。頑張れ、あるいはそのままやっつけてしまえと叫び、足を踏み鳴らす。様々なエールが交差し、それが熱気となって試合を盛り上げる。セールはプロレスに必須のスキルといえる。
一方で格闘技にはセールがない。というより、してはいけない。相手を倒すことを目的とする競技においては攻撃をふせぎこそすれ、それをうけることはもちろん、痛みをあらわにすることなどありえない。
格闘技出身者はまずこのセールの習得に苦労する。しかしヒールなら試合中、卑怯な攻撃や逃げ回ることに終始する。逆襲をうけても大げさなリアクションで許される。複雑な表現はいらない。観客はベビーフェイス(善玉)の動きに注目している。とにかくやられてみせればよいのだ。
ところが格闘技で成績を残した選手は、ほぼベビーフェイスからキャリアをスタートさせられる。それは恵まれたスター路線であっても彼らには荷が重い。純粋なアスリートにいきなり痛みの表現者への転身を求めてどうなる。まずはヒールとして対戦相手たるベビーフェイスの動きを学ぶことからはじめるべきだ。
しかし彼らはそれを学ぶ機会が得られない。ベビーフェイスの看板を背負いながら、ぎこちない動きをさらし、観客を戸惑わせる。悪いことにプロレスの場合、NGテイクはない。およそ試合は成立する。ゆえに表現のスキルを磨けないまま、キャリアを重ねる選手も多い。
ジャンボ鶴田が典型だ。あるいは中西学、永田裕二。彼らはアマチュアレスリングのエリートであり、案の定ヒールの経験のないままトップレスラーとなった。
彼らが見せるセールの表現は、いつまでも大げさでいつまでも淡々としていた。観客の感情に訴えることは決してない。面白がらせるだけだ。正確にいうと笑われていた。彼らのセールは失敗や失言の域を出なかった。
長州力というレスラーがいた。
彼もまたレスリングの五輪選手で、プロ転向後にはスター路線が敷かれていた。
しかし彼もやはりセールができない。というより、まずプロレスの世界になじめなかった。長州はレスリングに未練があった。諸事情から五輪には韓国代表として出場し、その慣れない環境での調整がきかず、本来の実力を出せないままメダルを逸した。
失意のまま、長州は大学を卒業し、新日本プロレスに入団する。入団に至る彼の心情は察するに余りある。たとえば帰化は家庭の事情で許されない。次の五輪も韓国代表として出場することになるだろう。それを支援してくれる国内企業があるだろうか。ならば社会人クラブに就職して選手をつづけることは難しい。
長州は契約金をそのまま大学のレスリング部へ寄付している。彼なりに母校へ義理を果たしたのは間違いない。しかし寄付はその義理を果たすためのプロ転向であったという証左にもとれる。
長州はデビュー後にすぐ海外遠征へ向かう。
ドイツからフロリダに渡り、あらためてプロレスに馴染めない自分を痛感した。プロレスは生活のために選んだ道だ。しかし馴染まないかぎり金は稼げない。その踏ん切りはついてはずが、格闘技にどっぷり浸かったその身体がセールを拒否して止まない。
やがて長州はカナダへ移った。そこで彼はようやくプロレスを理解する。
ヒールの役割を得たからだ。
ヒールに難しい表現は求められない。入場時から客席に中指を立てて、ブーイングを煽る。ゴングが鳴れば、相手を一方的に攻撃する。反則を犯してもいい。ベビーフェイスの逆襲をうけて敗者となれば観客の溜飲は下がる。試合後は再びブーイング集めながら退場する。
「ようやくわかった」
長州は当時を振り返って云った。
「プロレスとはこういうものか」
わかったならあとは学ぶだけのはずが、長州はほどなく会社から帰国を命じられる。
帰国後はまたベビーフェイスの陣営に組み込まれた。ヒールの動きを習得中の選手にとって、それは酷な辞令だった。辞令だけに逆らうことはできない。逆らうべきだったかもしれない。ベビーフェイスたる長州力は、遠征前と変わらずリング上でぎこちない動きを繰り返し、観客の吐息と失笑を集めつづけた。
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