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野村克也考
長嶋茂雄が野村克也という野球人をあらためて意識し始めたのはおそらく、1991年のシーズン中のことだったろう。
それまではといえば、長嶋は野村を歯牙にもかけなかったに違いない。
延々と陽の浴びながら大通りを闊歩してきた者が、街路樹がつくる影の模様をいちいち気に留めたりはしない。長嶋にとって野村は、その影に巣食うテスト生上がりの一個性派選手に過ぎず、自分と同じ土俵で語られる存在ではありえなかった。
だがその91年のシーズン、野村率いるヤクルトスワローズは11年ぶりのAクラス入りを果たさんとしていた。
長嶋はかつてスワローズからの監督要請を断っている。あそこの戦力では結果が出せないと踏んだのだろう。おまけにチームには息子一茂も所属している。天下の長嶋が親子で恥をかくわけにはいかない。
ところがどうだ。野村は就任二年目にして結果を残しつつある。
野村はこの年、長嶋一茂を三塁手として59試合に起用している。前半戦はほぼレギュラーとして扱った。そうして一茂本人の力不足を世間に見せつけておいて、再びベンチに下げた。
一茂抜きのレギュラー陣で、スワローズは3位を勝ち取った。
一茂がいれば優勝もあり得たという声は上がらなかった。野村はだれに頼ることなく、監督としての才覚をもって、スワローズを変えたのだ。
長嶋の胸は薄く曇った。
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