はじめてのレッスン
クラシックで身を立てるなら、ドイツにおいてはD聖音楽院で学ぶのが最上とされている。あそこは西欧各交響楽団への推薦に強い。十七世紀創立の伝統がそのまま信用となって根付いているようだ。
だが留学先としての人気は薄い。現地に骨を埋めるつもりのない学生からは、敷居ばかり高く、指導が古典に過ぎるといまだ敬遠されている。
それでもかつて、あそこの弦学科には望月みつ子という日本人女性が学んでいた。一九七三年から一九七五年のことだ。ただし音楽院の在籍記録には残っていない。旧姓の高桑みつ子の名でも探せないはずだ。
それは、みつ子がのちに受刑者となったこととは関係がない。あくまで手続き上の処遇である。
みつ子は正規の入学から外れた聴講生だった。二十歳を迎える年、彼女は現地へ渡った。ヴァイオリンを学ぶためだ。同学院における日本人聴講生は、みつ子が初めてではない。五十年代と九十年代にも各一名いる。どちらも女性でのちには正規入学まで果たし、卒業後はともに現地で交響楽団の採用をうけている。
前者のヴァイオリニストは引退後、日本でレッスン講師となった。みつ子は幼少期よりその女史を師事しており、おぼろげながらも彼女と同じ将来を歩むつもりでいた。
音楽院の入試は毎夏に開かれる。初年度の試験に失敗すると、みつ子は私費で学院の教授の個人レッスンをうけはじめた。合格者の多くがそうやって休日も腕を磨いていたと知ったからだ。
だが二年目の合格もかなわなかった。
となれば、いよいよ自身の才能と向き合わねばならない。
それもおぼろげにではなく、真正面から。
だが、みつ子はその向き合うことを避けつづけた。
向き合っていま、自身の限界を知ったところでどうなる。これまで音楽家としての未来図以外描いたことはない。そうたやすく軌道修正が利くものか。
みつ子はそれまで以上にレッスンに打ち込んだ。
だが、伸び悩みは止まない。
限界を知る前に、彼女は日々追い詰められていった。
同じ二年目のクリスマスイブに出会いがあった。相手は望月浩平という五つ年上の商社員だった。
あの夜、在独アジア企業合同主催の生誕祭が開かれた。催しには音楽院の学生のデモンストレーションも組み込まれていた。みつ子は急遽そこへ参加した。実力を買われたわけではない。日本人の演奏者を置いておけば、同国の来場者が喜ぶだろうと学院側が忖度を図ったのだ。
舞台上手の第一ヴァイオリン。みつ子はその中にいた。しかも前列で会場のフロアからは目立つ位置だ。その抜擢もまた大人の事情だった。けれども存外、日本人たちの反応は薄かった。彼らはその実、本場のクラシックを求めていた。ゆえにみつ子の姿に気づくことも、また気づこうともしなかった。
みつ子はやるせなくなった。だがすぐに思い直した。経緯はどうあれ、留学後に初めて客前演奏する機会を得たのだ。それも最初で最後になるかもしれないのだと、精一杯の演奏に努めた。
望月浩平はそんなみつ子を舞台の袖で見守っていた。彼は団員の世話役を務めていた。企業側の人間でとくに独語が使えたからだ。だが音楽用語までは網羅していない。要所ではみつ子を頼ることになる。
「助かりました」
終演後、浩平はあらためて楽屋にみつ子を訪ねた。
「よろしければ、今後もお付き合い願えませんか?」
独語に堪能なだけでなく、浩平の顔はといえば彫りが深く、肌も現地人のように白く澄んでいた。
このように図抜けた容姿をもつ男がなぜ自分に興味をもつのか。みつ子は戸惑った。かといって、相手の真意をいぶかる余裕もない。ただ浩平に見惚れるまま、今後どころか翌日にはもう彼のアパルトメントを訪ねていた。
浩平と出会ったころ、みつ子はまだ異性との交際経験がなかった。それには彼女の劣等感が影響していた。
劣等感は容姿についてのものだ。両親に似て胴長であるのはまだいい。問題は顔だ。目が三角定規のように吊り上がっている。おまけに鼻は眼鏡をかけるのにも不自由するぐらい低い。
みつ子は裸眼だったが、当然のように同級生からからかいの標的になった。家が裕福なことも悪く働いた。その顔ではどんな贅沢も必要ないだろうというわけだ。
正確にいうと、みつ子が標的になったのは小学校入学以後だった。幼稚園では何の誹りもうけていない。そこは私立の園で、通う子どもの質が良かった。しかし公立の小学校は違った。児童たちはあくまでたくましく、だれを傷つけることもいとわない。
みつ子の家庭環境では私学受験も可能なはずだった。だが両親がその発想に至らない。二人のキャリアのせいだ。ともに大陸からの引き揚げ者で、机に向かう余裕もなく育っている。勤め先の土建業者へ夫婦養子に入り、そこで朝鮮動乱を経てようやく財を築いた。成り上がった自負はあっても学歴の必要性は身に染みていない。そのせいで娘に違う悲哀を味合わせたと、二人は生涯悔いた。
とはいえ小学校には、みつ子並みに容姿の劣る児童も数多くいた。彼らはおそらく、みつ子を貶めることで自身の劣等感を抑え込んでいた。みつ子にはそれができない。なまじ品良く育ったために、他人を無為に笑うことが体質的にうけつけなかった。
からかいの中で、とくに傷ついたのが顔真似だ。加害者の児童たちはまず、みつ子の前に立ちふさがる。やがて両目の端に置いた手をそのまま皮膚ごと上に引っ張った。それつまり、みつ子というわけだ。顔真似が完成すると、児童たちは声を上げて笑った。
生まれて初めて向けられる悪意に対して、みつ子は抗う術をもたない。
うつむいてだまっていることにも耐えきれなくなったなら、あとは逃げ出すほかなかった。
だから、みつ子はヴァイオリンを始めた。興味本位からではなく、あくまで周囲と距離をとるために、だ。同級生にあの楽器を習っている者はいなかった。当時でもそれだけ贅沢な習い事だったが、みつ子は自分の両親なら許してくれることを知っていた。
週に三日、みつ子は放課後に母の運転する車で教室へ向かった。教室は講師の自宅だった。みつ子と両親は、その女性を「荻窪の先生」と呼んで慕った。先生は適度に老いていて良識があった。マンツーマンの厳しい指導を施しても、まさか生徒の容姿をあげつらったりしない。みつ子はその教室で幼稚園以来の安らぎを得た。
みつ子はさらに安らぎを求め、中学からは音楽科のある私立の一貫校へ進んだ。荻窪の先生が卒業した女子校だ。先生から聞いたとおり、そこへ通う生徒はおよそ心根が素直で、周りを見下ろして気晴らしをすることもなかった。
だが思春期がその穏やかな日々を狂わせた。高等部に上がると、友人たちは当たり前のように学外でボーイフレンドを作りはじめる。悪いことに、彼女らはみつ子にも男子を紹介してくれた。
みつ子は断り切れず、あげく三度目に会った男子に心を奪われた。それは突然の衝動で抑制しようがなかった。だが相手の男子は手紙で曖昧に交際を断ってきた。みつ子は戸惑った。手紙を何度も読み返し、自分が拒絶された理由を思い巡らせた。
理由はほどなく氷解した。手紙の中で、相手の男子は見事なほどにみつ子を褒めちぎっていたからだ。
みつ子の容姿以外のすべてを。
忘れたはずの劣等感が忍び寄ってくる気配を感じた。みつ子はそれを必死にはねのけた。すると今度は疑心が芽生えてくる。友人たちへの疑心だ。彼女らもみつ子の容姿に思うところがあるのではないかと。
みつ子は友人らを遠ざけはじめた。学校生活は一転、孤独で味気ないものになる。そうした日常の陰りは楽器の技術の向上に影響した。荻窪の先生の叱咤激励も届かない。みつ子はいくつかのコンクールで失態を繰り返した。そこには系列大学の推薦をうける審査も含まれていた。
すべては人並みに恋愛を試みたせいだ。みつ子はあらためて自分に云い聞かせた。恋愛は自分には向かない。成就すればまだしも、叶わなければ拠りどころである音楽まで失いかねないと。
けれども留学を経て、その考えは変わりつつあった。現地の学生らは自身のすべてを楽器に捧げたりしていない。大いに日常を謳歌している。しかも、それが演奏の表現力に良い影響をもたらしているらしい。
では、自分も出逢いを探そうか、とはならない。もしまた遠回しにでも拒絶されたりすれば、今度こそ劣等感に押しつぶされ、二度とは立ち直れなくなる。
出逢うなら、過去のすべてを払しょくさせてくれる相手がいい。
みつ子は自分を変えてくれる相手を求めていた。
それが望月浩平だった。
学生時代から渡航経験を重ねたせいだろう。浩平は風貌だけでなく、その日常までも日本人離れしていた。たとえば訪ねた部屋だ。彼は会社が用意した邦人向けの住宅ではなく、自分でアパルトメントを借りていた。つまりは収入に余裕があるわけだ。当時、現地駐在の企業人はおしなべて高給だった。浩平も例に漏れなかったが、みつ子の育ちではそこに惹かれたりしない。
こういう独自の文化性をもつ男のそばにいれば、自分も洗練されてゆくのではないか、と思ったのだ。
「大げさだなあ」
云いながら、浩平はみつ子を夜ごと抱いた。「いまの君は充分魅力的だよ。でないと声をかけたりしないさ」
朝になると、浩平はよくみつ子を連れて街へ出た。行くあてはない。立ち止まる先々の店や公園でくつろぐ。およそ現地人らしい、若者らしい過ごし方だ。以前までのみつ子にはできないことだった。
みつ子はある日、満を持して浩平を学院の寄宿舎へ案内した。寮生たちは目を見張っていた。みつ子が男を連れている。日本人だが姿形もよい。その気になればこっちの女と遊べるはずがなぜわざわざ、などと。
「いやはや、みつ子もやるものだ」
寮生たちはその結論に至ると、口々にみつ子を褒めた。浩平もそれに応じてみつ子を抱き寄せた。彼女は最高だよ。どうか仲良くしてやってくれ、と流暢な独語で握手をして回った。
みつ子は変わった。物腰や立ち居振る舞いが垢ぬけて、それが演奏にまで影響したのか、いくつかの技術の壁を乗り越えた。
個人レッスンの教授は云った。三年目の次回は合格もあり得ると。
だが彼女は試験をうけなかった。それどころか聴講生の資格を更新せず、ヴァイオリンを弾くこと自体を止めてしまった。
妊娠したのだ。
浩平が望んだわけではない。みつ子がそうなるように仕向けた結果だった。
この先、浩平が心変わりしない保証はない。そもそも彼はなぜ自分と一緒にいるのか。いずれ帰国する身ならば、こちらでの暮らしの慰みに、みつ子を使っただけではないのか。
みつ子はたしかに変わった。自信も得た。だがその自信は浩平に頼るところが大きい。彼を失えば、あとには再びうつむいて過ごす日々が待ちうけている。
ゆえに彼女は妊娠を選んだ。
浩平を繋ぎ止める手立ては、それ以外に考えられなかった。
浩平は堕胎をすすめた。試験まではまだ間がある。いまのうちに始末すれば通学もレッスンも再開できるだろうと。
だが、みつ子の決意が揺るがないのを見て、彼は云った。
「結婚しよう」
浩平は早くに両親を亡くし、叔母夫婦の元で育っている。ゆえに自分の家族がもてることが嬉しいとも云った。
「君のご両親には僕からは話すよ」
国際電話、それも話し手が娘にとって初めての交際相手とくれば、戸惑わない親はいない。実際、父は浩平の真意を訝っているようだった。
あのとき、母のとりなしがなければ、話はすぐに壊れていただろう。あるいは浩平が相手でなければどうだったか。そう胸を撫でおろす一方で、みつ子は複雑な思いにかられていた。
そもそも留学をすすめたのは両親だった。みつ子は日本でも芸大の入試に二度失敗している。その際にうっかり愚痴をこぼした。この容姿が不利に働いた。いっそ整形でもしようかなと。
冗談交じりの愚痴だった。けれども両親は真にうけたらしい。その後はうるさいほど、お前に落ち度はないと慰めてくれた。やがては荻窪の先生に相談し、留学の手はずを整えはじめた。それは娘を独語講座に通わせるほどの入れ込みようだった。
みつ子はいまさらに気づいた。あの両親こそ、娘に自信を与えたかったのだろう。音楽の本場でならまさか容姿も問われまい。そこで身を立てることができれば、この子は変わるに違いないと。
結婚を認めたのも同様の理由だ。想う相手と一緒になる。そのことで娘は二度と容姿に悩むことはないと両親は思ったのだろう。だからかどうか、二人は郵送の手間をいとわず、日本で入籍の手続きを済ませてくれた。
ただし入籍だけだ。式は結局日本ではあげなかった。みつ子はそこへ招く友人をもっていない。だが浩平の対面上、現地では披露宴を開いた。二人で通ったカフェの庭先での、ささやかな宴だった。両親も出席し、学院の寮生たちも祝いに来てくれた。
みつ子は彼らと一緒に演奏した。それが現地での最後の舞台になった。とくに感慨はなかった。個人レッスンの教授をはじめ、周りが口々に復学をすすめてきてもどこか上の空で聞いていた。みつ子の描く将来に音楽はもう存在していなかった。
三年目の試験が終わった翌週、みつ子は女の子を産んだ。娘は薫と名付けた。それは荻窪の先生の名でもある。みつ子は娘の命名にそういう由来をもつことが嬉しくてたまらなかった。
薫は浩平に似ていた。出産に立ち会ってくれた浩平の叔母は、あからさまに安堵のため息をついていた。それもみつ子には気にならなかった。母親となった彼女はさらに女としての自信を得ていたからだ。
薫が二歳になり、浩平に帰国の辞令が下りたときはもう、みつ子は過去に抱いた劣等感の一切を払しょくしていた。
浩平の職務上のテリトリーは欧州にあり、滞在中にそれを彼は築きあげていた。いずれはまたこちらへ戻ってくる。ゆえに彼は日本へ単身赴任するつもりでいた。
しかし、みつ子はついてゆくと云った。浩平の愛情はもう疑うべくもない。薫の誕生によってなおさら強まった気がする。多少離れても不安はなかっただろう。だがその実、みつ子自身が帰国を望んでいた。かつて散々劣等感に苛んだあの国でいまの変わった自分を見せつけたい。そんな思いが芽生えていた。
浩平の辞令は大阪支社に下りていた。みつ子の両親は落胆した。せめて自分たちが顔を出しやすいように家を買うと云った。
しかし家をもつと、国内に落ち着いてしまう懸念が生じる。
両親には申し訳ないが、みつ子たちは先の見通しが立つまで浩平の社宅に住むことにした。
万博開催で名の知れたニュータウンに建つ、家族向けの団地の一室がその社宅だった。
ドイツでは嫌った社宅暮らしだが、浩平は定住するわけでもないからと割り切っていた。みつ子もそう思うことにした。だが存外、その三棟建ての低層団地は築二年で真新しく、周辺の風紀も極めてよかった。
ニュータウンの中でも、そこは後年に開発された区画だった。まだ何にも染まっていない。府外からの転居者にごく適した環境だった。
薫を通わせるドイツ人スクールとも近い。浩平はそれらすべてを見越して、ここを選んだようだった。
団地は周辺の風紀の良さもあってか、府内で人気を集めていた。だが入居は簡単に望めない。みつ子たちのように企業貸しの部屋に入る者は稀だった。およその希望者が応募審査を経て、さらに空室待ちを強いられる。
審査の基準は不明だが、当時はニュータウンよろしく若い家族の入居者が目立っていた。
しかし、だれより目立っていたのはみつ子だった。彼女の使う日本語には関西訛りがない。だれもがまずそれに耳をそばだてる。そして声のする方をふり返ってみれば、国内の流行にないコーディネイトを着こなす女がいる。女の容姿自体は十人並みだ。それ以下ともいえた。しかし海外帰りのその女は、身体的欠点を補って余りあるほどの洗練された雰囲気を備えていた。
おまけにその夫も品があり見栄えもよく、娘まで愛らしい。みつ子たちはたちまち団地で噂の的になった。そして家族の顔といえば母親になる。みつ子は当然のように主婦たちからもてはやされた。
団地の敷地内には、ショッピングモールが設けられていた。そこは当時、府内で最先端の施設だった。海外の家具や食器を扱うフロアもある。主婦たちはそこに中々足を踏み入れなかった。欧州様式の生活品についての知識が乏しかったからだろう。
それが一転、みつ子が住人に加わったことで、主婦たちはあのフロアの利用法を知った。
彼女らはみつ子を「先生」と呼び、そのセンスを誉めそやした。みつ子もまんざらでもなかった。つねに劣等感に悩まされてきた彼女だが、一方で自尊心も大いに抱えていた。生まれ育ちが他人と違うという自尊心だ。だが彼女の自虐性がそれを永く押し込めてきた。
団地の主婦たちから評価を得てようやく、みつ子は自分を解放することができた。自分は特別視されるべき人間なのだと再認識した。
だが薫の通うスクールの環境とは馴染めなかった。スクールは団地の区画から幹線を挟んだ山の手にある。その周辺には西洋式住宅が並び、一種の外国人コミューンが形成されていた。そこでみつ子の海外経験が持ち上げられるはずもない。
団地の主婦たちもあのコミューンを避けていた。あの区画は万博以前に開発されている。当時はコミューン自体が熟成期にあった。団地の周辺と違い、よそ者が気軽に入り込めない。日本人であるならなおさらだ。
みつ子は取り巻きの主婦たちへの手前、平然と薫を送り迎えしていたが、あそこへ足を踏み入れる度に、留学間なしのころのような疎外感を覚えていた。
一方でコミューンの外国人家族たちは、団地のショッピングモールへ気後れなくやってくる。その中に浩平の同僚夫婦も一組いた。どちらもドイツ人で、息子はあのスクールに通っている。浩平は、みつ子とも面識のあるその一家を自宅へ招こうと云い出した。妻の方が日本に友人を作りたがっているというのだ。
みつ子は承諾した。ドイツ人妻と友人となり、彼女を伴って団地を歩けば、さらに周囲からの尊敬を集められると踏んだからだ。
が、すぐに思い直した。その友人が今後、団地の主婦の輪の中に溶け込んでしまえばどうだろう。主婦たちはみつ子でなく、その友人にすり寄りはじめるのではないか。
なにせ相手はネイティブの白人だ。彼女からじかに異文化を体験できれば、以後はだれもみつ子を有難がりはしなくなる。
「気が進まないのか?」
浩平は怪訝に眉根を寄せた。しかし、すぐに笑顔に戻った。
「わかったよ。まあ、いずれ機会を見て、僕たちが向こうを訪ねてゆけばいい」
みつ子はほっとした。その機会は当分に来ないと知っていたし、来させるつもりもなかったからだ。
とはいえ、みつ子が浩平の意向に従う場面もあった。帰国からまた二年が過ぎたころだ。薫の学齢も上がり、みつ子はあの子を日本の小学校へ通わせることを提案した。その準備にまず地元の幼稚園に転入させようと。
「やめた方がいい」
今度は浩平が頑なに云い張った。
「いつまた向こうへ移るかわからないんだ。あの子が先で言葉に不自由しないようにいまのままにしてやるべきだよ」
うなずきながらも、みつ子は思った。日本の小学校に通わせれば、父母会などの行事でより多くの主婦たちと知り合うことができる。その分、尊敬をうける機会も増すはずなのにと。
実に身勝手な目算だった。かつて自分が公立の小学校でうけた悲哀などもう記憶の片隅にもない。それに気づかないほど、みつ子の自尊心は肥大していた。
自尊心を満たすために、彼女にはさらなる生活の変化が必要だった。
ゆえにヴァイオリン教室の依頼が舞い込んだとき、みつ子は一も二もなく承知していた。
団地では季節ごとに管理会社が各戸巡回に訪れる。そこで入居者の不満や苦情をくみ上げ、改善に働く手はずになっていた。
だが、その年始の巡回は違った。訪れた巡回員の方が頼みごとをしてきた。
巡回員は原田という若い男だった。口調が歯切れよく、大人受けのよさそうな幼い顔をしていた。それを生かしてか、彼は団地内のショッピングモールの営業も担当していた。
モールには文化教室のフロアがある。児童向けの、音楽系講座の教室だ。
そこの翌春に開講する枠に一つ空きが出たという。
管理会社は講座の担い手を探していた。
ヴァイオリンのキャリアについて、みつ子はひた隠しにしてきた。薫すら知らないことだ。なるべくなら今後も明かすつもりはなかった。
だれに明かしても、やがては団地中に知れ渡る。みつ子は主婦たちからまた尊敬を集めるだろう。しかし彼女らは刺激に飢えている。いずれは生演奏を求めてくるかもしれない。みつ子はそれを恐れていた。
みつ子はかつて浩平を繋ぎ止めるために妊娠し、結婚した。それは事実としてある。
だが同時期、彼女は音楽について、自身の限界を感じていた。
才能と向き合うことに疲れ、みつ子は他の多くの挫折者と同じように、家庭をもつことで合法的に音楽を捨てた。
みつ子はあの世界にやり残したことが多すぎた。いまひとたび押し入れから楽器を持ち出し、それを構えて弓を引けば、音楽への思いが再燃するかもしれない。そしてまた演奏家としての将来を模索し始めるのだ。
模索で済めばまだいい。再び壁に突き当たり、いまさら自分の限界を思い知りたくはなかった。
しかしあの日、みつ子は原田に自身のキャリアを明かした。それでも楽器はほんの触る程度だと取り繕うこともできた。だが彼女はしなかった。訊かれるより先に、留学経験まで語っていた。
知らず胸が高揚していたからだ。語りながら、みつ子は実感した。自分にはいまだキャリアを誇りたい気持ちがあったのだと。
あとはもう手遅れだった。原田はみつ子に嬉々としてヴァイオリン教室の講師を依頼してきた。若い彼はルーティーンの仕事に飽きていたらしい。ヴァイオリンの課目はあのフロアで扱った前例がない。原田はそういう新規開拓の現場に携わってみたかったようだ。
断っても相当な理由がなければ引き下がらない。そんな口ぶりだった。みつ子のキャリアなら、大手の教室のような採用テストも課さない。講師業に不慣れとでも低学年向けの初心者講座なら大丈夫だろう。週一回のレッスンで、春と秋の二期制で学期間にはふた月の余裕をもたせる、とまで彼は云った。
だがグループレッスンというのが気になった。マンツーマンでは月謝の収益が見込めないというのだ。みつ子は中学時代に後輩を教えたことがあったが、それも自宅に招いての一対一での指導だった。複数の、それも子どもを扱えるだろうか。
不安を拭い去るには、周囲の後押しが必要だった。みつ子は夫に相談した。
「やめた方がいい」
浩平はまた即答した。
「君がまたヴァイオリンを弾くこと自体は賛成だ。以前からすすめていた。教室がその良いきっかけにもなるとも思う」
同じ時期、神戸での博覧会の開催がニュースを騒がせていた。その欧州パビリオンには浩平の勤め先も参画する。そのため、二年後の博覧会の終了まで社員の辞令は凍結されるらしい。再赴任を希望していた浩平にすればやりきれない。彼は転職を考えはじめていた。その意向はみつ子も承知している。
「僕ばかりわがままを通せない。君の気持ちを大事にしたいとは思っている」
とはいえレッスンの形式以前に、この団地で教室を開くと、トラブルが生じたときにそれが日常生活にまで影響しかねない。
「教えたいなら、スクールの子どもたちを相手にやればいい」
薫が通うスクールでは、放課後にカルチャー講座のカリキュラムが組まれていた。
教室の運営は生徒の母親たちが担っている。外国人の彼女らが組むそれらはバリエーションに富んでいた。当時まだ珍しいクライミングのクラスもあったほどだ。
音楽教室の開講もあった。みつ子の娘はピアノと聖歌を習っていた。だがモールの文化教室と同じく、ヴァイオリンの開講だけがない。講師のなり手がいないせいだ。
あのスクールででも教室の看板を上げれば、団地の主婦たちは感心してくれるだろう。だがそれは一時のことだ。普段避けているコミューン内でのトピックに、だれも興味をもちつづけたりはしない。
講座を開くならこの団地内でなくてはならない。そこで主婦たちの子どもに手ほどきをして、みつ子はあらためて「先生」と呼ばれはじめる。その呼称はあだ名ではなく、荻窪の老女史がもつのと同じく社会的な肩書きだ。肩書きは個人のもつ知識や文化より重く、たしかな尊敬の対象となる。
そんな真意をまさか夫には明かせない。みつ子は憤った。そして浩平と出逢って以来、はじめて嘘をついた。それはヴァイオリン教室が地域貢献の一環だということ。自分たちはいずれここを去る身だ。お世話になった人たちにお礼として何か残しておきたいと。
はじめての嘘にしては他愛なかった。だがそれは紛れもない嘘だった。地域貢献ならすでに果たしている。ここの主婦たちに文化と流行を与えてやった。それらはおそらく、彼女らが自力では得られないものだ。逆にお礼をもらいたいぐらいだ。そのためにいま以上にもてはやされるべきだと、みつ子は思っていた。
「君の気持ちはわかったよ」
浩平は折れた。何を見透かす様子もなかった。みつ子は胸をなで下した。
同時に、彼女ははじめて夫に不満を抱いた。赴任の延期をのぞけば、浩平の職場の待遇は決して悪くない。だが彼は現状に甘んじない。つまり彼が求めているのはつねに自己評価なのだ。他人のそれを気にする妻の胸中などわかりようがないのだ。
「でも、約束してくれ」浩平は云った。「うちの子は入会させない」
娘の指導には必ず贔屓が働く。それはグループレッスンの教室でよろしくないというわけだ。
「あの子がヴァイオリンに興味をもったとしても、だ。習わせるなら、君が時期を見て個人的に教えればいい」
みつ子とて、それは望むところだった。贔屓はともかく、万一、薫の上達具合が周りの生徒より劣ってしまったらどうだ。みつ子の指導能力以前に、母親の遺伝がどうと訝られてはたまらない。母親連中のみつ子を見る目も違ってくるだろう。それこそ団地での暮らしに支障をきたしかねない。
そしてみつ子自身、あらためて自分の才能に疑いを抱くのだ。
みつ子は引き受けたヴァイオリン教室の枠を、あえて薫のピアノクラスの日時に合わせた。それは水曜日の放課後だった。水曜は近隣の小学校の授業が昼過ぎで終わる。団地の主婦たちが子どもに習い事をさせるには絶好の日取りのはずだった。
ヴァイオリン教室は準備の段階から団地内で評判を呼んだ。みつ子の予想どおりだ。主婦たちはみつ子の別の一面に感心し、やはり生の演奏を聴きたいと目を輝かせた。
だが興味は示しても、子どもを入会させたいとまでは云ってくれない。当然といえば当然だった。永遠のニュータウンなどありはしない。町も、そしてそこに暮らす親たちも年をとる。若いころは無計画に流行を追い、子どもの習い事へもつぎ込めた。しかし先が見えはじめると一転、戸建てを手に入れる預金や学資の積み立てに勤しむようになる。
春先はとくに家庭の出費がかさむ。みつ子は違う。結婚後も両親から援助は途切れず、そこに高給取りの夫までいれば、経済的な悩みとは無縁でこられた。娘が小学校に上がろうが、それはスクール内での進級で生活に影響はない。
みつ子のそうした世間ずれした部分も、主婦たちは羨ましがってくれた。だがいまやそれが周囲と距離を生んでいた。それは見えない距離だった。ゆえにみつ子は何にも気づかないでいた。
開講準備に教室を訪れるたび、アンティークのワゴンや書棚に並んだままのメソッド本が目を突いてくる。どれもみつ子が自費で取り寄せ、教室に寄付したものだ。それらを嬉々として選んだ自分が滑稽に思えてきた。
この際、薫を入会させようとも思った。しかし、あの子は興味を示さない。自宅で買ったばかりのピアノに向かい、覚えたてのソナタを練習しつづける。どうやら、みつ子がピアノクラスとヴァイオリン講座の日時を合わせたことに、子どもながら不満を感じているようだった。
ヴァイオリンのキャリアを隠していたことも悪く働いた。薫はいまだそれを根にもっているらしい。母の留学経験をだれに触れ回ることなく、ただむくれている。
もちろん、薫が触れ回っても、それはスクール内でのことだ。教室の宣伝には役に立たない。
みつ子は娘を地元の幼稚園へ転入させなかったことを再び後悔した。
レッスン用の楽器をレンタルでまかなう。それに思い至ったのは開講のひと月前だった。ヴァイオリンは子どもの成長に合わせてサイズがあり、都度買い替えが必要になる。親の負担は重い。初期段階でもレンタルで済むなら、習わせやすくもなる。みつ子はそう云って原田を説得した。
とはいえ弦楽器は購入が当たり前の時代だ。原田も購入の斡旋先を用意しており、レンタルの案には良い顔をしなかった。しかし開講に向けては背に腹は代えられない。結局はみつ子に任せると云った。
みつ子はレンタル楽器の調達に、荻窪の先生を頼った。なぜそこまで、と老女史は電話口でいぶかしむ。レンタルを用意すると教室の敷居が下がる。いずれは問題のある子どもまで受け入れる羽目になると。
みつ子は耳を貸さなかった。教室は五名限定の少人数クラスだ。それすら埋まらないと地域での自分の立場がなくなる。あのフロアで春の募集に空きがあるのはみつ子の教室だけだ。あのときの彼女は、もはや教室の質よりも開講することのみに囚われていた。
老女史はやがて折れ、ため息交じりに京都の楽器業者を紹介してくれた。
春を迎え、ヴァイオリンが届いた日、みつ子は自宅で一台一台、丁寧に調整をほどこした。
そのかたわらでは、薫がやはりピアノを弾いている。背中を向けたまま、母親の方を振り返ろうともしない。
みつ子の胸を一瞬寂しさが巣食った。
だが一瞬だけだ。入会の予約が入りはじめると、彼女はもう娘のことを気にかけなくなった。
入会した児童は五人とも団地住まいだが、家庭環境は良い。そのわりに親兄弟にもヴァイオリンの経験者はいないと聞いた。
開講初日にはその五人の母親が見学に訪れていた。みつ子は母子らに向かって模範演奏を披露した。楽器の紹介として必要といえばそうだが、つまるところ母親たちの求めに応じたのだ。みつ子はそれをもう固辞はしなかった。
ヴァイオリンの価格を聞けば、彼女らは目を見張るだろう。留学時に新調したイタリア製の年代物だ。当時でも三桁は下らない。弓などは新調した。国産でもこれ一本で彼女らの世帯収入を超える。それらを使って奏でる音色は、町の教室で聴かせるレベルをはるかに超えていただろう。
ただ演奏自体は凡庸だった。開講まで自宅で練習はつづけていたが、なにせブランクが長い。みつ子は弾きながら技術の衰えを思い知った。だが小節の間に母子たちから洩れる吐息がそれを忘れさせてくれた。
演奏後、母子たちは感激をあらわにして、拍手までくれた。助かった。素人相手の独奏に質は問われない。みつ子が恐れていた自分の才能を疑う瞬間もついにこなかった。
レッスン後には、母子たちから揃って「望月先生」と呼ばれた。あだ名ではないその呼び名は教室が存在するかぎり変わることがない。みつ子はその日々を思い浮かべ、酔った。
しかし、その酔いもじきに醒めた。
春季の講座の最終日に退会者が出たのだ。
「二年生からそろそろ学習塾にも通わせようと思っていまして、レッスンとの両立はとてもとても」
退会者の母親はつづけて云った。
「たとえばうちの子がヴァイオリンで将来食べられるほど筋がよければ、引きつづきお世話になるのですが……」
返す言葉がなかった。母親が心配するのも無理はない。講師であるみつ子自身が音楽で身を立てられていないのだ。
幼少期から楽器に馴染み、音楽留学まで経たはずが、演奏家の道から外れ、行き着いた先が子どもの相手のレッスン講師だ。それもパートタイムの小遣い稼ぎにしかなっていない。正規の音楽教師なろうにも、大卒でないみつ子にその資格はない。
母親たちが音楽への投資効果を見定めるのに、みつ子ほど良いサンプルはなかったろう。
身を立てるとは大げさだ。愉しみとしてつづければよい、とも云えない。みつ子はそれすら避けてきた。当時も同じフロアのフルート講師からアマチュア楽団に誘われていたが、すぐに断っている。
まったくの素人サークルでないかぎり、アマチュア楽団は危険だ。学閥が幅を利かせ、同じ楽器の者同士はそれをもって優劣を図る。みつ子など真っ先に見下されるだろう。
では何を愉しむつもりもなく、なぜヴァイオリンを再開したのか。まさか子どもを教えるのが夢だったのか?
ここにきて、みつ子は結局自分のキャリアと向き合う羽目になった。
退会者は一名きりだった。それでも定員が埋まらないかぎり、秋からの講座は開けない。
「もう手を引けばいい」浩平は云った。「君の云う恩返しもできただろう」
退会者以外の生徒は秋季も予約を入れてくれた。みつ子を通じて、ヴァイオリンの愉しみを知ってくれたのだ。
素人講師が果たした功績としては充分かもしれない。浩平も云った。モールの教室が休止になっても、生徒たちは別の場所でつづけてくれると。だが、その別の場所が問題なのだ。そこで専業の講師が手慣れた指導をほどこせばどうだろう。児童らはそれを親に報告する。そして主婦たちは、みつ子についての評価をあらためるに違いない。
みつ子はいずれこの町を去る。本来なら、あとに何を云われようが構わないはずだった。ただし渡独後の暮らしが充実していれば、だ。いまのみつ子は自信を失いかけている。かといって現地でそれを回復する機会はない気がしていた。
講座のオフ期間に、浩平の夏季休暇を利用してドイツへ渡った。そのときに身に染みた。音楽院のある街にレッスン講師は有り余っている。みつ子程度のキャリアでは見向きもされない。
あの幹線向こうの外国人コミューンと同じだ。あそこでは、みつ子の異文化習慣がもてはやされることはない。あのコミューンが異文化そのものなのだから。
かといって渡独後に日本文化の担い手になれるはずもない。そういったバイタリティもまたみつ子は育んでこなかった。
果てはただの東洋人の主婦として、異国の地に埋もれてゆくのだろう。
こういった不安もまた浩平は察してくれない。休暇の合間にも彼は現地企業への売り込みに回っていた。結婚からの七年の間に、浩平の叔母夫婦は相次いで亡くなっている。国内に思い残すことはもうない。なにより海外勤務は彼の念願だった。転職がかなえば、あとの暮らしでどんな苦労を経ようが、渡独の達成感でおよそ乗り越えられる。薫にしてもそう。あの子は大阪でも異国の文化に育っている。現地でも何の疎外感を覚えることなく、将来を開いてゆけるだろう。
いずれ家族の中でみつ子だけが取り残される。そのときの憂鬱を思うと、せめていま居る場所に自分の存在を残しておきたい。
次の教本からは本格的な技術レッスンが予定されていた。癖がつきやすい段階でもある。いまのうちに完璧な基礎を叩き込んでやれば、生徒らは今後どこで楽器をつづけようが、あるいは音楽から離れても、みつ子の指導を記憶しつづけるかもしれない。
みつ子は意を決し、原田に連絡した。五人集まらなければ、講師料は歩合制でまかなってくれてよいと。
講師料はさておき開講できないことはない。原田は受話器越しにそう切り出した。じつは一人、入会希望者がいる。その児童は大阪都心の教室に通っていたが、諸事情から半年で辞めてしまったらしい。
「ですが経験者となると、他の生徒と指導を合わせづらいでしょう」
しかも地域外の児童なら、いまの生徒たちと馴染めるかと不安は尽きない。だがこうして扱い方に悩むということは、みつ子自身、その児童の入会を半ば認めていたようなものだ。
みつ子はその児童の母子と教室で面接をすることにした。
面接に現れた児童は、亜沙美という二年生の女子だった。その手を引く母親に似て目鼻の小さい、個性的な顔立ちをしていた。将来的にも美人になりそうにない。みつ子は同時期の自分を思い出した。だが亜沙美はかつてのみつ子と違って振る舞いに愛嬌があり、笑みを絶やさない。暮らし向きも悪くないのだろう。母子とも身なりは小奇麗で品も感じられた。
母親としては情操教育に楽器を習わせたい。しかしいまは義父母の家に同居中で、場所の取るピアノやオルガンは置けない。
母親は手軽に運べて学び甲斐のある楽器としてヴァイオリンを選んだ。
そう云うわりに弓しかもってきていない。以前の教室でもレンタルを使用していたのかと訊けば、母親はうつむく。
「ヴァイオリン自体は一旦辞めたときに、ほかの子に譲ったんです」
いまさら買いなおす余裕はない、と母親は云った。
「こちらはレンタルを用意してくれると伺いまして、それで……」
つまり、この子はしばらく楽器を触っていない。試奏をさせてみても運指はつたなく、いまいる生徒たちと大差はなかった。
いや、むしろ筋は悪い方だろう。以前の教室でも上達の遅れを指摘されて、辞めることになったらしい。だが亜沙美は意に介す様子もなく、やはり笑顔でみつ子を見つめている。根っから前向きなのか、返事などは団地の子どもたちより覇気があった。
みつ子は思った。この子を立ち直らせることができれば、講師としての評価も上がるかもしれない。
秋季以降の開講は未定だ。再び定員が埋まらないときは休止もありうる。
原田がそう念を押すと、母親はかまわないと云った。
「じつはいま、こちらの団地の空室待ちをしているんです」
入居できるかはわからない。ただ教室に通うことで地域に慣れておきたいらしい。
いずれ団地に暮らすつもりなら、周囲ともトラブルは起こさないだろう。
みつ子は入会を承知すると、亜沙美は目を輝かせた。それからは教室を出てゆくまでこちらに笑顔を向けていた。
だが違ったのだ。
亜沙美というその子が微笑んだのは、入会の喜びが溢れたわけでも、ただの愛嬌からでもない。
あの子は、みつ子のことを笑っていたのだ。
秋季のレッスンの初日にも生徒の母親たちが勢ぞろいしていた。継続受講の家庭に見学の必要はない。だが新入会の母子がいると聞き、一度挨拶しておこうとなったらしい。
みつ子は彼女らの前でまた模範演奏を始めた。前回とは違い、だれのリクエストに応えたわけではない。披露したのは教本にある練習曲だ。それをこの三か月でマスターさせる。いわば所信表明代わりの演奏で、どの子も緊張した顔つきでみつ子の弓使いを眺めていた。
そう、亜沙美以外は。
あの子はみつ子に終始笑顔を向けていた。そして演奏が終わると含み笑いを聞かせた。演奏したのはとくにリズムが愉しい曲調でもない。ほかの生徒は怪訝な顔で亜沙美を見る。けれども、あの子は笑うのを止めなかった。
さすがに捨ててはおけない。みつ子は亜沙美に対してできるだけ優しく、静かにするように諭した。
けれども、亜沙美は悪びれもせずに云った。
「だって先生の顔、変なんだもん」
亜沙美はそして、目の端に置いた両手を皮膚ごと引っ張り上げてみせた。
みつ子は亜沙美の年の頃、そうやって周囲から散々からかわれた。しかし自分はもう二度とそういった嘲りの対象になりえないと思っていた。
大人になったからだ。取り巻く相手もそう。みつ子はいつからは常識のある大人に囲まれて生きてきた。ふり返ってみても、これまでみつ子の容姿を面前でからかってきたのは子どもだけだった。
そして亜沙美もまた子どもだった。
母親に𠮟りつけられて、亜沙美はしおらしく両手を膝に戻した。
だがもう遅いのだ。
亜沙美の稚い侮蔑をうけて、みつ子は知らずその胸に、失くしたはずの劣等感を蘇らせていた。
亜沙美の行動を見て、生徒たちは緊張が解かれたのか、いっせいに笑顔を見せた。それをすぐ母親たちがたしなめる。だが彼女らもまた頬に微笑を浮かべていたのだ。あとは表情を戻し、眉一つ動かさない。そしてレッスン後も亜沙美の何に触れることなく、みつ子の模範演奏を褒めちぎり、お礼を云うばかりで教室をあとにした。
だが母親たちはあのときたしかに微笑んだ。皆、それ以前からみつ子の容姿には気づくところがあったのだ。だが口には出さない。それぞれの節度とみつ子の存在価値が、彼女らの感情を抑え込んでいた。
皆のたががいま外れようとしている。外れたらそれは二度と元へ戻ることはない。そんな気がした。
初日の終わりに、亜沙美の母親はみつ子に謝罪を繰り返した。ついには娘の頭を叩いてみせた。亜沙美も一応はこたえたのか、以後は二度とふざけることはしなくなった。
ただし、みつ子の前だけでは、だ。レッスン中にふと背中を向けたとき、生徒たちから含み笑いが聞こえるときがある。亜沙美の声だ。そして、みつ子がふり向くとそれは止む。
確証はない。だが亜沙美はみつ子の顔真似をやっていたはずなのだ。
亜沙美の母親は初日以来、送り迎えにしかやってこない。授業中は講師であるみつ子が叱るべきなのだろう。
しかし、叱れば自分が傷ついたと認めることになる。かつての自分と同じように容姿の劣る子どもから、顔をあげつらわれたあげくに忸怩たる思いを噛みしめている自分を。
そして亜沙美は手応えを覚え、さらにみつ子をからかいつづける。
子どもとはそういうものだ。
みつ子は過去の経験からそれが身に染みていた。
辞めさせることはできない。亜沙美を入会させたのはみつ子自身だ。原田も何をいまさらと思うだろう。
だがレッスンの進捗には報告の義務がある。入会からひと月経ったが、亜沙美の上達は周りより遅れていた。みつ子はあくまで申し送りとして、原田に現状を伝えた。もちろんこの報告から、亜沙美に退会を促す流れになればという期待もしていた。
「まあ、様子を見ましょうか」
原田は迷いながらも云った。
「よほどレッスンに支障をきたす行動があったのなら別ですが」
まさか、顔をからかわれたとは云えない。云えば、呼び覚ました劣等感をより深めることになる。
「その亜沙美という子、周りとも馴染んでいるようですしね」
馴染むというより、みつ子には亜沙美が一目置かれているように見えた。地域の子どもは行儀に縛られて過ごしている。思うままにふるまう亜沙美が物珍しく映るのだろう。
「それにね、あの子の母親も気遣いのある人で、自宅の近くでヴァイオリンを習いたい子がいないか探してくれているんですよ」
原田はモールの運営以外に団地の管理業務も抱えている。生徒の募集にばかり時間をかけていられない。本来、彼に代わってその手間をとるべきは講師のみつ子だ。亜沙美の母親には感謝しなくてはいけない。とはいえ彼女の献身は点数稼ぎにも思える。彼女は原田の印象を良くして、団地の抽選に便宜を図ってもらうと算段しているに違いない。みつ子にはそう思えてならなかった。
「だとしても、まさか手心は加えませんよ。ですが、うちに入居希望されている方だけに、お子さん含めてしばらく、その人となりを見定めたいのです。そのためにもレッスンの方はこのまま……」
この男はわかっていない。あの女について思うところがあるなら、なぜすぐ手を打たないのか。
みつ子はあきれたが、すぐに思い直した。
以前までのみつ子には気持ちに余裕があった。自信に満ち溢れ、周りで主婦たちがどのような根回しを図ろうが気にも留めなかった。
いまは違う。亜沙美の母親を日々、目障りに思いはじめている。
みつ子はそういう自分が寂しくてならなかった。
レッスンに出かける前、みつ子は自宅で鏡に向かってメイクを施す。それは一縷の隙もない流行に沿ったもので、やり甲斐のある作業だった。
だがいまの彼女はその作業が憂鬱でならなくなった。
どこをどう見栄え良く繕っても、あの子に笑われてしまう。
ああいう生徒はどう対処すべきか。
荻窪の先生に相談しようとしたが、やめた。あの老女史からはすでに忠告をもらっている。そして女史が懸念したとおり、レンタル楽器の採用が質の悪い生徒を呼び寄せる結果になった。
もうだれも頼れない。
けれども、このままでは自分が壊れてしまう。
亜沙美はレッスンで顔真似をしつづけていた。でなければ、背中越しに含み笑いが聞こえるはずがない。
姑息なことに、亜沙美はそれを見せつけようとしない。みつ子がふり返ると両手を下ろす。あとはおとなしく弓を引いている。ならばと、みつ子もあくまで講師としての指導に専念し、淡々とカリキュラムを消化しつづけた。
集中したレッスンによって、図らずも生徒たちは以前にも増して成長を見せた。当初の目的である、生徒の記憶にみつ子の指導を刻み込ませることは果たせそうな気がした。
ただし、みつ子はそれを亜沙美には求めない。
気づいたのだ。亜沙美を生徒として扱うから無理が生じるのだと。
亜沙美は生徒ではない。自分に悪意をもつただの敵だ。
みつ子は思い出した。子どものころ、どのように自分へ向けられる悪意をやり過ごしてきたか。
加害者の存在を消せばいいのだ。
みつ子は亜沙美がいないものとしてレッスンを進めた。あの子とは目も合わせない。これは効果的だった。じきにあの子は笑わなくなった。顔真似だけでなく、笑顔自体見せなくなった。
はなから覚えの悪い子だ。覇気まで失くしてしまえば、もう存在価値はない。生徒たちは亜沙美への態度を一変させた。距離をとり、ときに憐れむような視線を向けたりした。
みつ子はそれを咎めなかった。これでいいとすら思った。もとより亜沙美程度の容姿でだれかをあげつらうことが間違っている。いつかの自分のように被害者然と卑屈にうつむいて過ごすべきだと。
みつ子は大いに留飲を下げた。だがもう一つ大事なことを思い出していた。
悪意を抱く子どもは、標的を必ずふり向かせようとすることを。
みつ子がヴァイオリンを始めたころ、放課後によく靴を隠された。そのまま見つからないこともあった。すべてはみつ子を稽古に行かせないための嫌がらせだった。
靴の盗難は顔真似とは別種のあきらかな実害だ。さすがに無視はできない。みつ子は下駄箱の前で涙し、途方に暮れた。その反応を見て、加害者たちはまた声を上げて笑っていた。
だが実害だけに教師や親に訴えることができる。訴えをうけて、加害者たちは教室で糾弾され、二度とみつ子に手を出せなくなった。
亜沙美もいずれ、みつ子をふり向かせるために実害を与えてくる。
なぜなら、亜沙美は子どもだからだ。
実害をうければ、レッスンに支障をきたすとして原田に報告し、たしかな理由をもってあの子を排除できるはずだ。
みつ子は、あの新参の生徒にはじめて期待した。
ただし、実害とは第三者がそれと認める場合にのみ成立する。
みつ子はその隙を見事に突かれた。
秋季の講座も残りひと月になったころだ。レッスンの翌日、みつ子は一人でモールへ買い物に出かけた。
荷物が多くなったので、教室に一旦置くことにした。いつもの習慣だ。
そしていつものように教室の向かいには廊下を挟んで柱が立っていた。大きな柱だ。みつ子は教室を出てから、その前で立ち尽くしていた。
柱に落書きをみつけたのだ。
みつ子の似顔絵の落書きを。
輪郭のない小さな似顔絵だった。だれが目にもおそらく、ただの曲線の並びとしか映らないだろう。
だが、みつ子は違った。その線が膨らみのない目鼻や口に見えていた。
みつ子自身、そういう顔をしているからだ。
似顔絵は柱の根元近くに描かれていた。大人なら、膝を折ってかがみ込まないと線も引けない位置に。
そう、大人なら、だ。みつ子はそれを何者が描いたのか、すぐに察した。とはいえ消すことはできない。みつ子は教室のフロアに向かうエスカレーターで、団地の主婦たちとすれ違っていたからだ。
生徒の母親たちだ。彼女らはあのフロアから降りてきた。似顔絵は教室の扉からは背を向けて、柱を正対しないと見えない。だが、あの母親たちなら、教室の手前でふと歩みを緩め、柱の方へふり返ることもあったかもしれない。
これ以上、だれの目にも触れさせたくない。消すのだ。だがモールの清掃員には頼めない。自分の似顔絵を披露するようなものだ。
では、自分で処置するべきか。似顔絵はマジックで書かれていた。消すには専用の溶剤が必要になる。モール内で手に入るだろう。だがそれを買っているところを見られたらどうする。いや、そもそもこの落書きを人目を避けて処置できるだろうか。できたとしても、母親たちは綺麗になった柱を見て、間違いなく、みつ子が怒りに任せてせっせと消したと思うはずだ。
結局、みつ子は何もせずにその場を去った。
そして階下でフルートの講師に声をかけられると、ふり向いてそのまま泣き崩れた。
翌週のレッスンの前に恐る恐る柱を見ると、落書きは消されていた。清掃員が気づいたのだろうか。しかしだれが消したにせよ。それまでに何人の人間があれを目にしたか。みつ子は想像するのが怖かった。
やがてフロアに亜沙美が現れた。あの子は柱に目もくれず、うつむきがちに教室へ入ってくる。いつもどおり挨拶も仰々しい。みつ子の反応を窺うそぶりもみせなかった。
まさか罪悪感を抱いているのか。みつ子は心底あきれた。しかし大人としては忘れてやるべきなのだろう。やれやれと、彼女は亜沙美に向かって久しぶりに微笑んでやった。
亜沙美はここで反省をあらわにして、しおらしくお辞儀を返せばよかった。
しかし所詮は子どもだった。
亜沙美は何の後ろめたせも見せず、みつ子に対峙し、元気よく挨拶を返してきた。
亜沙美はのちに大人たちへ語った。望月先生に久しぶりに目を合わせてもらい、ほっとしたから、いつも以上の笑顔で挨拶したのだと。
なるほど、子どもらしい回答だ。
だがそれが真実であったにせよ、みつ子にはもはや通じない。
亜沙美の笑顔をうけて、彼女は即座に表情を失くした。そして亜沙美に近寄ると、何のためらいも見せず手を振り上げた。
みつ子はその日、生まれて初めて他人に手をあげた。それも七歳の子どもに。しかし亜沙美は慣れていたのだろう。二度目の平手打ちを上手によけると、あとはせっせと教室を逃げ回る。
逃げ回る、それつまり罪を認めたようなものだ。みつ子は感情を高ぶらせ、亜沙美を追い回す。のちの悲劇を思えば、あの子はここで捕まってやるべきだった。しかしそうはならない。亜沙美は捕まる寸前でみつ子の手をすりぬける。
みつ子はやがて途方に暮れた。その場にへたり込むと、床を散々手でぶち、ついには自分の頭を打ち据えた。
それも何度も何度も。
もしもあのとき、亜沙美が泣き出さなければ、みつ子は死ぬまでそうしていただろう。
講座終了までひと月を残して、教室は休止になった。亜沙美の自宅への謝罪には浩平が向かってくれた。落書きの一件を彼は知らない。みつ子はそれを原田にも話していなかった。だが二人のとりなしで大事にならないで済んだ。
亜沙美の方も手を上げられた理由については、レッスン態度が悪かったからだと思うとしか云わなかったらしい。
それを聞いて、みつ子は安心も反省もしなかった。病院で額を三針縫ったあとは自宅に引きこもりつづけた。薫の送迎は浩平の同僚の妻が引き受けてくれたが、その度に頭は下げても声に出して礼は云えなかった。
みつ子はついに自分を壊していた。
食事の支度以外は寝室に下がる。床についたあとはもう、朝が来ないことだけを願った。
原田から連絡がきたのがいつだったか、みつ子はその季節も思い出せない。ただ最後のレッスンから半年は経っていただろう。そして受話器越しに聞こえる彼の口調はいつになく重かった気がしている。
「申し訳ありません。僕が早くに手を打っておくべきでした」
亜沙美の母親の協力ぶりは度を越えていたらしい。ついにはビラまで自作して、生徒の募集を始めていたという。
呼び出して注意すると、母親は口元を緩めて原田の膝に手をやった。あとは推して知るべしだ。彼女はわが身と引き換えに、団地の入居について具体的な便宜を求めてきた。
原田は応じなかったようだ。そして、あの母親をあらためて軽蔑し、亜沙美を含めてその素性を調べるに至った。
母子の住まいや家庭環境に嘘はない。だが亜沙美のレッスン歴はまったく事実と異なっていた。その教室は都心ではなく下町の楽器屋の中にあった。月謝は安く敷居は低い。電話口に出た店員も、何を不信がることなく、待ちかねていたように亜沙美のことを語った。
「驚きました」原田は云った。「まえの教室のことですよ。あの子は上達の遅れでなく、講師とのトラブルにより辞めさせられていたんです」
そこの講師は若い女性だった。先ごろ出産し、亜沙美が生徒でいた頃は妊娠中だったという。彼女はそのせいで一時期、顔がひどくむくんでいた。
亜沙美はやはり、それを口ざまに罵ったらしい。
「講師の彼女も不安定なときで、ある日泣き出してしまったそうです」
騒ぎを聞いた店員が飛んできて、亜沙美を叱りつけた。しかし、あの子は悪びれもせず、買ってもらったばかりの楽器を床に叩きつけたという。
「だれかに譲ったんじゃない。ヴァイオリンはあの子が自分で壊したんです」
教室の関係者はそれでも胸をなで下ろしていた。壊してしまえば、ここへはもちろん、しばらくどこへも通えないだろうと。
「母親には修理代はもとより、すぐに買い替える余裕もない。それでレンタルを採用しているここに目をつけたんでしょうね」
云いながら、原田はみつ子に詫びた。レンタル楽器の採用について、彼は非協力的であったが結局は受け入れた。さらには亜沙美の入会も彼の判断で断ることもできた。すべては自分にも責任があるというのだ。
「お母さん連中もあの母子には思うところがあったようです。周りに悪い影響を与える。先生が手を上げるのも無理はなかったとね。あの日にしても、どうせあの子が来るなり生意気な口をきいてきたんでしょ?」
亜沙美はすでに退会し、母親も団地入居の応募を取り下げたという。
「ですから望月さんには安心して教室を再開してほしいんです。定員は僕が埋めて見せますよ。何より、生徒らがレッスンを待ち望んでいるんです」
それは無理だった。みつ子もまたヴァイオリンを手ずから壊していた。
亜沙美のように逆上にかられたのではない。自分を壊すのと同時に、衝動そのまま楽器を踏みつけていた。そしてようやく気づいた。自分の人生を変えてくれたのは、浩平よりまずヴァイオリンであったと。
みつ子は真の拠りどころであるそれを壊したことで、あったはずの自信と自尊心のすべてを失っていた。
もうだれに何を教えることはできない。
教室の休止から二か月が過ぎた。みつ子はその間、床についてはかつての穏やかな日々を想い返し、それを反芻することで精神の均衡を保っていた。
クリスマスイヴの夜もそうだった。薫をスクールの生誕祭へ見送ったあとは寝室へ逃げ込んだ。するとしばらくしてベッドの下で音がする。半身を起こして見下ろせば、床にヴァイオリンのケースが平置きされていた。
浩平が置いたのだ。彼は修理したそれをもってドイツへ戻ろうと云った。
「いまの仕事は辞める」
浩平は云った。
「転職先は向こうで腰を据えて探すことにするよ」
そして浩平は初めて、みつ子に惹かれた理由を語った。
それはやはりヴァイオリンだった。浩平はかつて、慣れない土地でひたむきにあの楽器と将来に向き合うみつ子に心が救われたという。
「君が音楽を止めたことは残念だった。けれどもそれは僕と生まれてくる子どものためだと聞いた。だから僕は何も云わなかった」
あの頃、みつ子の才能に限界があったのではない。みつ子自身が見切りをつけただけだと、浩平は云う。
「君だってそれに気づいていたはずだ」
みつ子は胸をおさえた。怒りや憤りを覚えたのではなく、そこがたまらなく震えていたからだ。
出逢った当時に浩平の真意をたしかめていたら、その後どうだったか。何の限界を知っても、音楽をつづけたかもしれない。そうすれば先でどんな挫折を経ようが、たしかな成果と自信を得た気がする。
あるいは、いまのように周りからの些細な評価にすがることもなかったかもしれない。
「以前の君を取り戻してほしい」
みつ子のヴァイオリンは表板の半分が砕けていたはずだ。それをふた月で修復できるリペアマンは関西に何人もいない。少なくとも、亜沙美が通った下町の楽器屋などでは無理な仕事だろう。
浩平は荻窪の先生に相談し、山陰の工房へ持ち込んだらしい。それも砕けた木片をすべて集めて。
今日に間に合わせるのに、浩平がどれほど心を砕いたか計り知れない。
顔を上げると、浩平がそっと肩を抱いてきた。彼の手のぬくもりにまた胸が震えた。
「心配ないよ」
浩平はさらにみつ子を抱き寄せる。そして云った。
「あの落書きなら、僕がとうに消しておいたから」
消したというなら、浩平はあの似顔絵を見たわけだ。そして一見、そのモデルがみつ子であると認識した。それだけ似ていたわけだ。
しかし浩平は、その出来の良い絵がみつ子への愛情や親しみを由縁にして描かれたものではないと察した。でなければ、わざわざ消すわけがない。
いや、浩平はかつてより、みつ子の顔の造形が、ともすれば生徒から侮蔑や嘲笑の対象になると懸念していたに違いない。教室の開設に反対したのもそう。子どもの口さは遠慮がない。彼はみつ子がいずれそれに傷つくと見越していたのだ。
似顔絵の一件で、浩平の懸念は現実のものとなった。彼はわが妻の容姿のハンデを思い知ったに違いない。そしていまさらに妻を胸中を慮った。その同情意識は永久に失せることはない。たとえ夫婦が別れたとしても、彼は妻のその後を憂いつづけるはずだ。
みつ子にはそれが耐えられなかった。
ふと足元を見つめた。そこにはやはりケースがある。彼女は浩平の手をふりほどき、ヴァイオリンを取り出した。
そしてネックを掴むと、楽器を夫の頭に目がけて振り下ろした。
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