全部やめたい夜もある
SNSというのは、現実の本当に僅か一部を切り取ったもの。これを忘れないようにしたい。
私は人が笑っている姿が好きだ。目の前の人には笑っていてほしいし、自分が誰かを笑顔に出来たら嬉しいと思う。だからこそ私自身もよく笑う。人は周りの感情が移りやすいと思うから、まず自分が笑う。
でも笑えない夜もある。一人でいる時に笑わないのは、当たり前かもしれない。一人でにこにこ笑っている奴がいたら、よっぽど良いことがあったんだなぁと思う。
そういうことではなくて、心が笑えないということだ。大体ひとりでも色んなことを考えていて、大抵は楽しいことだったり、その日に起きた小さな嫌なことや良いこと、あとはこのあと何をするかとか、くだらないようなことを考えていたりする。
でも心が笑えない時は、ただただ現実に押しつぶされそうな時。喜怒哀楽の全てが灰色になってしまって、前か後ろか分からない長いトンネルや、上か下か分からない海の中を漂っているような気持ちになる。そんな時は決まって一人の時で、昼も夜も関係ない。
きっとやれることは沢山あるのに、進めている気がしなくて、このまま人生が変わらないんじゃないかと思ってしまう。もちろんそんなことはなくて、きっと数年前の自分と比べれば、価値観も生活も変化しているんだろう。それでも怖くなってしまう。
家族の問題、お金の問題、将来の問題。SNSには公開していない自分の現実世界は難問だらけで、今までだって何度も転んできたのに、今までよりも転ぶことが怖くなってしまった。
でも今目の前にある現実は、過去の自分が選んだものだからこそ、誰のせいにもできない。全部自己責任。
今年の春頃私は活動名を変えた。一文字ずつ大切に決めて、基本的には本名と同じものとして名乗ってる。けれど前の私が残してきたものが重たい。重たくてたまらない。きっと広い世界で見れば、大したことが無いのかもしれない。そんなの大丈夫だよって言われるかもしれない。
それでも今年は沢山のことがあって、やりたいことも理想の暮らしも私にはあって、それに向かって進んでいるからこそ余計に苦しいんだ。具体的に現実と向き合った日、私は全てを投げ出したくなってしまった。目の前の問題が全て解決できるのか?どれくらい働けば良い?どう働けば良い?解決しても絵描きとして食べていけるのか?絵本作家になれるのか?
気づけば無心で自殺の方法を調べていた。ウェブの検索ページは紫色の字ばかりになった。人に迷惑をかけないにはどうしたらいいか。私は基本的にはポジティブな方だし、なんとかなる精神ではある。
今まで死にたいと思ったことは、ほとんど無い。死しそうなくらい悲しいことは何度も経験した。それでも絶対生きてやると思ってきた。今回は生きたいと死にたいの狭間をいったりきたりしている。
守りたいものは何もない。いや、飼い猫が二匹いる。あとはきっと周囲の人を悲しませてしまう。友人には恵まれた。だからそれは申し訳ないと思う。何もかも中途半端な自分に嫌気がさす。全てに対して覚悟が足りないのか。いつでも死ねるぞと思えたら、もっと気楽に生きていけるだろうか。
これからも励みに頑張ります!