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橋口昌治『若者の労働運動』読書会議事録

はじめに

 〈焼き畑〉コースは、8月22日から24日までの3日間、橋口昌治『若者の労働運動――「働かせろ」と「働かないぞ」の社会学』をテキストとした読書会を開催した。テキストは、自己責任論が浸透し、集まって抵抗することが困難になった2000年代以降の社会において、自分たちの生存を勝ち取るべく闘ってきた「若者の労働運動」の特徴や意義を分析するものである。

労働市場の周辺や外部に置かれ、労働によっても痛めつけられてきた「若者たち」。労働者階級としての確信は持ちえていず、デモでは、「働かせろ」と「働かないぞ」という矛盾したシュプレヒコールが飛び交う。労働から疎外され孤立させられた人々が、それゆえに団結をして労働問題に取り組んでいる運動、それが「若者の労働運動」なのである。

生活書院ホームページより

 〈焼き畑〉コースは、議論を通じて互いを熱くしていくことを目的とし、その手段としてテキストを扱う。今回の読書会も例外ではない。この記事では、特に議論が白熱した3日目の様子をお伝えする。ここに記されているのは、読むだけで心熱くなる議論であるが、真に熱くなるためには、〈焼き畑〉コースに参加するしかない。

発言者
コース長……〈焼き畑〉コース・コース長。この読書会の主催。〈焼き畑〉主義の提唱者。
学科長……横浜国立都市社会××学科・学科長。〈焼き畑〉精神の申し子。
kamir……本読書会皆勤賞のエリート。幅広い教養で〈焼き畑〉の土壌を開拓した。
U山……新ヘーゲル左派代表。テキストをろくに読まず、広がる議論の炎に油を注いでいる。

§1 「生存組合」

 以下はテキスト第五章以下に関連する(あるいは関係しない)議論である。「若者の労働運動」の一つであるフリーターユニオン福岡は、2006年に「労働/生存組合」を掲げて結成された。テキスト第五章にはその組合員に対する著者・橋口によるインタビューがまとめられている。その中で、組合員Fの次のような批判意識が明かされる。

Fさんは労働/生存組合としての活動は、名乗っているわりに「あんまりできていない」と考えている。「畑耕すとかさ、そういうのも違うし」、「生活保護とればいいのかっていうのも引っかかる」と、模索している。

(p. 285)

学科長 そもそも「生存組合」になるっていうのはどういう状況が想定されてるの? どうなれば生存組合なの?

コース長 確かに。なんとなく読み過ごしちゃったな

学科長 「生存組合」の目標とか定義とかあったっけ?

コース長 労働社会が変質して、労働運動と貧困問題が再接近した、ということがこの本では言われてきたわけだよね。その労働=貧困問題に、労働の方向からだけでなく、生存の方向からもアプローチする試みってことじゃない? 直接的な説明にはなってないけど……

学科長 具体的には炊き出しとかするの?

コース長 うーん、そういうこともしてるんだろうけど、なんか違う気がするよね

kamir 「理想的な生存組合」はクロポトキンの相互扶助みたいなことなんですかね

学科長 生存組合は例えばシェアハウスがそうってこと? シェアハウスとかマジで相互扶助してるイメージない?

コース長 シェアハウスなら、経済的な面でも精神的な面でも、ある程度「生存」を担保できるね

§2 右からの労働運動

kamir 労働運動といえばもっぱら左翼ですけど、右翼の労働運動ってないんですかね

U山 そもそも「労働」がヘーゲル的な概念だから、労働運動は主人を倒す方向に行くんだよね。だから、右翼とは折り合いが悪い

コース長 危険思想研究会・会長(一日目に参加)が、右翼的な視点から右翼を対象にして経済学でアジる団体立ち上げてなかったっけ?

学科長 「反日経済学者を追放しよう」みたいなやつね

コース長 ああいう風に、労働運動に取り組まないことは日本にとって損失であるという論理は不可能なのかな

U山 右翼の労働運動なら「臣民的労働」を掲げたらいいんじゃないかな。天皇のために歌を詠むという臣民的労働に対価を!

kamir 右翼の労働運動が起こらないのは右翼が金に困っていないからですかね。昨日も話題になった『平成転向論』の小峰ひずみさんが、近々トークイベントをするらしいんですけど、全然人が集まらないってTwitterのスペースでぼやいてました

U山 リベサヨとかもお金持ってるよ。小峰っちのイベントに人が来ないのは単に魅力がないからじゃないのかなあ(※U山は小峰ひずみ氏とTwitter上でもめ、一方的に恨んでいる)

ちなみに、〈焼き畑〉コースの前身・東北大学アナーキズム研究会で『平成転向論』読書会を開催したときは、まったく人が集まらなかった。これはアナーキズム研究会に魅力がなかったからかもしれないが。

§3 奴隷

kamir 「若者の労働運動」は、既存の労働法で身を守ろうという態度で、現行の労働法を変えようとはしませんよね。エリック・ウィリアムズが『資本主義と奴隷制』で言っているようなことですけど、労働というのはそもそも奴隷制を法化したものなんですよね。労働中心的な制度・思考だけでなく、労働そのものを撃つような視座がないと思うんです

コース長 根本的な批判としての運動になっていかないってことですよね

U山 そもそも論だけど、そういう「資本主義に奴隷がいる」問題は、誰が奴隷かみたいな話になってこじれちゃうんだよね。左翼の論理では当然労働者が「奴隷」なんだけど、例えば、意識の高いネオリベみたいな論理では、ベンチャー起業家こそが剰余価値を生産する「奴隷」になる。かといって資本主義に奴隷がいないっていうと資本主義をひっくり返す主体がいないことになっちゃう

学科長 「奴隷」っていうのは、何らかの強制力によっていやいややらされている、みたいな意味で言ってる?

U山 まあ、一般に「奴隷」って言ったら、剰余価値を生産し、搾取されている主体のことだよね。政治哲学は全部疎外論で、「誰が剰余価値を生産しているか」という議論なんだよね。主人と奴隷という図式を疑わないといけないけど、それを疑うと奴隷の存在を前提する政治哲学は議論ができなくなる

コース長 なるほど

§4 ディフェンスとオフェンス両立するの問題

学科長 結局、ディフェンスとオフェンスがどう両立するのかっていう問題だよね。つまり、「居場所」として実存的な不安を和らげる働きをすること(ディフェンス)と、資本や国家に圧力をかけていくこと(オフェンス)の両立

コース長 そう。著者の橋口が他の論文で、かなりざっくり言うと、「集まることは抵抗の基盤になりうる」というようなことを言っていたんだけど、それがその論文ではよくわからなかったんだよね。だから、300ページある気合の入ったこの本を読めばわかるに違いない、と

学科長 で、橋口の結論はなんだったの? 俺はよくわかんなかったんだけど

コース長 いや、僕もわかんなかったけど……まあ、〈焼き畑〉的にテキストを読むので、別にわからんでもいいかな。いや、わかりたくて読んだんだけど……

ここでコース長が言っている橋口の論文とは、「揺らぐ企業社会における「あきらめ」と抵抗――「若者の労働運動」の事例研究」のこと。共同性が目的性を「冷却」する、という古市憲寿の議論が批判されている。ただ、コース長が「なりうる」と控え目な表現をしているように、「集まればすぐ抵抗に転化する」と(少なくとも直接に)言っているわけではない。

コース長 この論文では、冒頭で「揺らぐ企業社会における抵抗の困難について論じるために」、「だめ連」に関する先行の議論が参照される。そこで古市の議論が紹介されるのだけれど、「だめ連」に関しては古市の批判が的を射ているように思う。つまり、「だめ連」も集まって、実際一時期は社会に対して有効なオルタナティブ(パラサイト)を示したわけだけど、持続できなかった。これは「居場所」にリソースを割いて、オフェンス力が弱まったということなんじゃないかな

学科長 俺はディフェンスとオフェンスが両立する説に希望を抱いてるぜ

コース長 まず、「だめ連」でいいのか、ということについては昨日「結論」が出たんだよね。一つの運動体としてはもはや機能してないけど、それが「居場所」としてネットワークの一角を占めていることには意義がある、と

学科長 「機能してない」ってのはどういう意味で言ってる?

コース長 オフェンス力を失ってる、ということ。それは「運動体としては」ダメだよね。でも、相互に人の移動がある複数の組織間のネットワークにおいて、運動として「勝つ」ことよりも「救い」を求めているような人の受け皿として「だめ連」が存在することは、他の組織がディフェンスに割くリソースを節約するために有意義なんじゃないか。まあ、「だめ連」的な「居場所」特化の集まりを肯定できるのは、実際に「だめ連」の周りにあるであろう東京のネットワークがあってはじめてなんだけど……

学科長 「都会と地方」問題ね。「東京の議論なんて、すでにある程度ネットワークが構築されているからこそできる、既得権益層の議論じゃないか!! 地方の俺には何のネットワークも無いんじゃボケ!!」ってことでしょ、コース長が言いたいのは

コース長 僕は別にディフェンスをしたいとは思わないけど、そもそもディフェンスとオフェンスの棲み分けができる巨大な東京のネットワークにしか、両方を行う余裕はないわけだよね。だから、例えば僕の住んでいる仙台で運動をしようと思ったら、オフェンスかディフェンスに特化するしかない。翻って、ネットワークの総体としてオフェンスとディフェンスがごちゃまぜになっている東京のネットワークでは、棲み分けの線引きが厄介そうだけど

kamir 〈焼き畑〉コースはオフェンスなんですか?

コース長 まあ、できているかどうかはともかく、というかできていないんですが、理念としてはオフェンスを志向していますね

学科長 めちゃめちゃ「オフェンス」という曖昧な概念が濫用されてるけど、どういう意味でのオフェンスなの?

U山 存在論的不安を与えるのがオフェンスなんじゃないの? 『ファイト・クラブ』みたいに

学科長 存在論的って、また小難しい……。定義が壮大になってきて俺は「不安」です……

コース長 まあ、学科長がいつも言っているような「存在感を放つ」みたいな意味で僕はオフェンスって言ってたよ。kamirさんへの回答としては「とにかく圧を出していきます」になるか

学科長 圧と熱、だよね。熱圧

コース長 また変な言葉を……

学科長 まあ、ディフェンスとオフェンスが両立するか、つまり両方を取り入れた運動体が持続できるか、ってことだよね。橋口は、オフェンスだけやってても消耗して潰れちゃうから、「実存的不安」を和らげる「居場所」を基盤と位置付けて、そこに持続性を見出そうとしていると思うんだよ。生存を巡る運動としては持続性が必要なのは重々分かるんだけど……

コース長 だけど何?

学科長 持続性のない運動が別個にあってもいいよね

コース長 具体的に言うとどんなものを想定しているの?

学科長 うーん……
    基盤なんかなくたって
    一瞬で崩壊したとしても
    閃光のように熱圧を
    不連続的に放つ
    それが、〈輝き〉なんじゃないかな✨
コース長 ……

§5 結論

学科長 橋口の結論はよくわからなかったわけだけど、「若者の労働運動」に対するこの読書会の「結論」は何だったの?

コース長 「若者の労働運動」はそもそも個別の問題を解決することを目的としていて、それは果たされているから、当事者はこれ以上のオフェンス力を求めてはいなくて、むしろディフェンス力の低さ、「生存組合」としての弱さが批判されているわけだよね。だから、「若者の労働運動」は今後、ディフェンス力を高めるべく、シェアハウスをやったほうがいい、ということになるんじゃない?

前掲論文には

「だめ連」は「だめな自分」の許容を契機に「集まる」ことを可能にしたのであるが、揺らぐ企業社会における抵抗は、「集まる」ことに加え、さらに現状の制度の変更[…]を迫ることが求められているのである。

とあり、「若者の労働運動」や橋口には、この読書会でいうところのオフェンス(=根本的批判)への志向性があることがわかる。

学科長 「集まれば何かが起こる」というロマン自体は熱いから好きだけど、さすがに集まってその「何か」を待つだけなのは都合がよすぎる。集まって、加熱して、何か起こる、という論理を提示するべきだろ

コース長 さらに言えば、〈焼き畑〉コースの公式見解としては、「一般的には最早加熱するしかない」と強引に言い募ることになる

学科長 「一般的には」ってすごいこと言うな

コース長 一般って何だ!? これだ!!

学科長 「集まる→加熱→抵抗」じゃなくて、「加熱→集まる→抵抗」って説はない?

U山 厳密に言えば、「集まる→加熱→集まる→抵抗」だよね。社会っていうものがあるんだから、最初から人は居るんだよ。笠井潔的に言えば、「〈われわれ〉→加熱→〈われ/われ〉」になる。〈われわれ〉に切断線を引きまくって、社会性が破壊されて、みんなが唯一者っぽくなっていく。これが笠井のいう革命ね。福田恆存でいうところの「九十九匹」に切断を入れていくのが革命

§6 福田恆存葬送

学科長 そうそう、「九十九匹と一匹」理論(「一匹と九十九匹と」)ね、あれホントにクソだわ。マジでうざい。「一匹」の俺は、日常生活では黙々と黙って暮らして、文フリでお仲間とお買い物して気を晴らすしかないってことなのかよ。「一匹」が「九十九匹」に切断線を入れていくって発想はないのか!

コース長 「一匹」が救われるものとして文学のほうを定義することはできないの? 「一匹」を救う強度のないものは「文学」ではないし、もっと言えば、自分を救う強度のないものは「文学」ではない、と

学科長 じゃあ、その定義の「文学」を「お前は」好きなの? ってことだよね。そもそも救われたいの?

コース長 た、確かに違うかも……

U山 「九十九匹と一匹」って「八十匹と二十匹」とか「九九〇匹と十匹」とかに転用されてるんだよな。そもそも九十九対一っていう数学的規模感がおかしい。この一匹って、いまだとメンヘラとして読まれてしまう

学科長 百人に一人とかただのちょっと変な奴なんだよな。そのちょっと変な奴が十匹集まって、文学やらサブカルやら教養やらで救われてりゃいいじゃん、ってなる。「一匹」だけに自閉して救われることを強要する論理として悪用されかねないし、実際悪用されているよね。反運動的な論理だよ

U山 「9999999999999999999999999999999999999999匹と1匹」とかなら許すよ。99匹と1匹ならどっちもおれの敵になるけど

学科長 いや、マジでみんな「一匹と九十九匹と」を評価してんの終わってんだよな。俺はいつも左翼なのに左翼批判をしてるけど、これに関しては、ちゃんと左翼として保守の福田を批判しなきゃダメだと思うわ

そういう訳で、福田恆存を「ちゃんと批判」する企画があるようだから、期待して待とう。

結び

今回、〈焼き畑〉コースの議論の様子をご紹介したが、冒頭でも述べたように、これは一端でしかない。読んで心を熱くした諸君も、より熱くなるべく、今すぐ〈焼き畑〉コースに参加しよう。

2023年2月1日追記:本文には「今すぐ〈焼き畑〉コースに参加しよう」とありますが、半年間の活動を経て、〝運動〟に仲間は要らないという結論に至ったので、前まで掲載していたDiscordサーバーの招待リンクは削除しました。新たな〈焼き畑〉コースの〝運動〟論はこちら↓

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