失われた帝国 I マインドダイブ
2044年、暮れの夜。イロハは薄暗い大学の研究室で、終わりの見えない作業に追われていた。
深い夜空にひとすじの傷跡を残すように、彗星が流れた。
その光は、静かに夜の闇を貫き、どこまでも深い空の底へ消えていった。
それは、彼女が忘れていた何か――遠い記憶の残響をそっと呼び覚ますような光だった。
イロハは視線を動かせずにいた。
「こんなに静かな光、見たことない……」
吐息のような声が静寂に溶けていく。
その瞬間、机の上に置かれたデバイス「クラウゼヴィッツ」が低い振動を放つ。青白い光が空間を満たし、端正な軍服姿の彼が浮かび上がる。
「イロハ、安定度が下がったぞ」
低く確かな声が響き、部屋の静寂を揺るがす。イロハは眉間に軽く皺を寄せる。
「安定度……? 今それどころじゃないのよ」
クラウゼヴィッツは首を傾け、冷静な声で答えた。
「気晴らしのない集中は、戦略のない戦場と変わらない。君の思考は今、完全に『戦場の霧』の中だ」
「はん、誰かこの仕事の首都を落としてくれたら、全体像が見えるかもね」
「ついでに、幸福度-50,満腹度-25,仕事効率15%、それと……」
「性格-200」
「ちょっと待って、そんな性格悪くないから!」
「イロハ、安定度が下がったぞ」
「アンタのせいだろうが!」
「血圧+50。霧を晴らさなければ、状況は悪化するぞ」彼が静かに手を挙げると、光の選択肢が浮かび上がった――
二ア A.温泉は近い!
B.上司のたわ言など無視しろ
C.仕事するのをやめよ!
「気晴らしの手段としては、新作ゲーム『Imperium Immortalis』が適しているだろう。わがParadox社の集大成だ」
「…ったくアンタは戦略というより宣伝の天才ね。わかったわ、クラウゼヴィッツ」
彼女は肩をすくめ、「ゲーマーズゲート」――すべてのゲームが集まる究極の仮想世界にアクセスした。
ホログラムの光が柔らかな波紋となり、彼女の意識をそっと包み込んだ――