21世紀の本物の禅が鈴鹿にあった

12月8日から14日まで鈴鹿のアズワンで「自分を知るためのコース」に参加しました。21世紀の禅に参加したというのが実感です。
アズワン
http://as-one.main.jp/HP/index.html
サイエンズメソッド
http://as-one.main.jp/HP/scienz_method.html
その時、書いた感想文です。
自分を知るためのコース感想文
2019年12月13日
三木卓
まず、自分が体験しているのは実際の事実ではなくで、視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚、体内感覚によって脳が作り出しているヴァーチャルな「世界」であり、それを認識している「自分」もまた脳によって作り出されたヴァーチャルな「世界」の内側にあることを、丁寧に確認していった。
自分が体験しているヴァーチャルな「世界」を「自分の身体」で分割し、外側を「客観的な世界」、内側を「自分」に分けて捉えている習慣的な認識の形にも改めて気づいた感じ。
その習慣をサイエンズメソッドでは「事実化」と呼んでいることも今回習ったけど、このコンセプトは、自分の固まった世界の見方を解体するのには非常に有効だなとも思った。
例えば、「あの人は私の事を嫌っている」という自分のヴァーチャルな「世界」の中の「自分」の反応を「事実化」し、「あの人は私のことを嫌っている」という考え、反応を事実のように思い込んでしまい、実際には、「あの人」がどういう状態であるかということに関心が全く向いていない状態とか。
長い間、「ワンネス」、「宇宙と一つであること」、「エゴから解放された状態」、「個人とは幻想であるというノンデュアリティ的覚醒」を追い求め続けて、世界中を探究し、いろいろなことをしてきたけれど、そもそもが、「世界」と「自分」という分離の構造になっているヴァーチャルな「世界」の中で、どんなに「自分」が努力し、学び、探求し、マインドフルネスになって、「世界」と「自分」の分離を超えようとしても、それは原理的に不可能なことであることが、やっとこさ、構造としてよく理解できたかな。
「自分を知るためのコース」の前の「アズワンセミナー」でも、その原理的不可能性を、感覚的に理解できた感じだったけど、今回は、それをより構造的に深く理解できた感じがする。
ヴァーチャルな「世界」での探求の不可能性が理解できればできるほどに、その背後にある実在の気配、サイエンズメソッドでいうところの事実、実際、本質、本心の味わいが、自ずと立ち上がってくる感じがする。
閉じた「自分の世界」に囲い込まれて、孤立した感覚、感じが、自ずと開かれ、元々あったもののなかに広がっていく、静かに広がり続けるという感じとも言える。
「知っている」と「知る」とはどう違うのだろうかという問いの中で、「知る」ということが、現在進行形の終わりのない探究のプロセスであると感じられた。同時に「知っている」と結論付ける、閉じてしまうことで、「知る」というプロセスが見えなくなってしまうことも感じられた。
生まれて初めて「知る」という言葉の持つ深い意味に触れたと感じたし、「知る」や「知っている」という日本語を作り出した先人たちの叡智に心底驚いた。
サイエンズメソッドは、スタッフによって順番に提示されていく問いを、複数の参加者(今回は自分も含めて7名)で、時間をかけてゆっくりと一緒に考え、話し合っていくというという形をとっていて、前回のアズワンセミナーでも感じたことだけれど、これは21世紀に新たな命を宿し、蘇った禅だと思った。順番に出されていく問いは、まさに21世紀に生まれた生きた公案だし、21世紀の禅は、かつての禅のように師と弟子の一対一の関係で吟味されるのではなくて、複数の参加者とスタッフのグループによる、話し合い、検討、そして間に挟まる冗談や笑いによって、和やかに、真剣に、多角的に探究されていく。これは禅の21世紀進化型だと思う。
あるいは、ユヴァル・ノア・ハラリの一連の著作等で注目を浴びている言語と人間の脳、意識、社会との関係を、科学的に、哲学的に探求していくことで、人類の意識と社会に対して進化を起こそうとしている革命的試み。それが、こたつを囲み、お茶やお菓子をつまみながら、各自がホワイトボードに問いに対して考えたこと、感じたことを書き、それを見せ合い、また話し合うという、淡々というか、平凡というか、日常的というか、そんな形で、進んでいるのが、めちゃ面白いし、革命的前衛だし、しみじみすごいなあと思う(笑)。
6日間の間に、どんな問いが出るかといえば、
「知っているとは?」
「知ると知っている」
「私はなぜ自分の考えに自信があるのだろうか?」
「決めつける考え方と決めつけのない考え方」
「事実が分かる自分と事実が分かり得ない自分」
などなど。
自分が普段、何気なく言葉を使って考え、認識し、判断し、行動している構造を、そもそもの言葉のところにまで戻って、ゼロから深く検討していく。教えを教わり、その教えを理解し、それで答えに辿り着こうというようなのではまったくなくて、自ら問い、仲間の力にも助けられながら、でもあくまでも自力で、そういう従来の考え方、答えの出し方自体が自分を制限していることなんかにも気づきながら、探求して、次々といろんな自己発見をしていくのが、たまらなく面白いし、「真理は人を解放する」という言葉の力も実感する。
どんどん自由に幸せになっていく感じ。
自分の元々持っている願い、想い、本心がはっきりしてくる感じ。
自分を知るという旅が深まっていく感じ。
そして何よりすごいのが新しい人類の在り方、次の社会が自ずからさりげなく生まれようとしている感じ。
今回、一緒に探究できた厚子さん、真理子さん、さっちゃん、あやちゃん、もも、アイラ、スタッフとして一緒に入ってくれた博也くん、ご飯を用意してくれたまいこちゃん、アズワンのみなさん、ありがとう。またコースに参加できる環境を作ってくれている家族、友人、そして探究の方向性を最初にはっきりと指し示してくれたOSHOに感謝します。
鈴鹿のアズワンで、静かにホントにすごいことが起きていると思う、くどいけど(笑)。
「争いのない幸せな世界」を実現するのがアズワンネットワークの目的です。サイエンズメソッドという方式により、2001年からアズワンネットワーク鈴鹿コミュニティという誰もが本心で生きられる「次の社会」を試みて.....

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