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母との散歩

3日目(4月8日)

ここのところ母を散歩に誘う日々が続いている。

コロナの影響で、両親はすっかり家に籠っていて、それは見事なほどだ。
日々の食料品の調達も週に一度届く宅配ですませ、近隣のスーパーへもいかず、日々過ごしている。

普段の母は、80歳を超えているが、週二日の習い事にでかけ、毎日、美味しいものを食べることが生きがいの父のために、できる限り新鮮で美味しい食材を手に入れようと、お店に行くことも多い人だ。
その人が、ろくに人にも会わず家にいるのは気になった。歩かないと身体も衰えてしまいそうだ。
本人も気にしている。

老人とは接触をしないことが、本人を守ることだと思っているので、両親とは隣に住んでいるものの、両親の家に行って話し相手になることもできない。

そこで思いついたのが散歩だ。
散歩しながら話しをするのなら外なので、屋内で飛沫から感染するようなリスクも少ないだろう。
気候もよいし、話しながら歩けば気晴らしにもなるに違いない。

散歩のルートはいつも母次第だ。
ここ数日母と散歩をしていて気づいたのは、母は前日と同じ方向にはいかない。
今日はあそこの桜を見に行きたい、今日は緑道公園の方に最近行ってないから行きたい、今日はまだ行ったことのないお店の方に行ってみたい。
必ず行きたいこところがある。そこにたどり着いて帰り道も同じ道は帰らない。

なんだか好奇心のかたまりのようだ。意外と気がつかなかった母の一面。

歩きながら話すのはたわいもない話、この道は私を幼稚園に送る時に通った道だとか、ここの家は建て直したとか、そんな話だ。

母の歩くスピードはゆっくりだ。私が気を抜いて普通に歩くと、少し間が空いてしまう。歩き疲れが出ないよう、横にいる母の呼吸の様子を感じながらペースを合わせる。

今日の母の目的は、近所の肉屋さん。
どうやら以前見かけて気になっていたらしい。
感染しないよう、人の混み合う近所のスーパーへも行かないでいるが、路面店の小さな肉屋さんであれば、良いわよね。と、張り切っている。

目的の肉屋さんに着くと、早速品定め。
母はとても食材を吟味する、特に肉は父の大好物でもあるので、長年吟味をし続けた結果、かなり質を見極める目を持っている。

どうやらかなりそこのお肉が気に入ったらしい。どうやらここは様々なブランド肉をあつかっているようだ。
当初は鶏肉を買おうと思ってきたらしいが、他の肉も気になり始め、ショーケースの前で考えを巡らしている。
母はいつも、どんな小さな買い物でも考え抜いて買うものを決める。かなり論理的な母の考えを聞きながら、私も色々と相槌を入れる。
この感じ、懐かしい。子供の頃よく母とこうして買い物にいった。当時はなかなか決まらない母の様子に面倒臭いと思ったりしたこともあったな。今はゆっくりと待てるようになった。

結局、阿波尾鶏モモ肉と岩中豚のロースとお惣菜(スペアリブ)をお買い上げした。お店の帰り間際、お店の人がこう言った。

「こうして娘さんが付き添ってきてくれてお幸せですね」

少しハッとした。
そうか、私、付き添っているように見えるのか。

冷静に考えると、母のペースに合わせて歩き、母の行きたいところに行き、母の話をきき、ゆっくりと待つ。
確かに、私のやっていることって、周りからみると、母に付き添っていることだ。

不思議な感じがした。
あまり、付き添っている、という感覚がなかったからだ。

母と娘の関係はずっと変わらずあるようで、少しづつ変わっている。
母が私を思う気持ちは、子供の頃からずっとあった。
きっと私が母を思う気持ちに、変化が生じたのかもしれない。

いや、もともと子供の頃から母を思う気持ちはあったが、それを素直に表現する方法を手に入れることができたということだ。
そして、母もそれを素直に受けとれる、そういう関係になった。
そういうことなんだ。

これは本当に幸せなことなんだと思う。

今、それぞれが年相応に、お互いを思う気持ちを表現でき、それを受け取れる。
この満ち足りた感覚を味わおうと思う。

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