穏やかなときが教えてくれたこと
41日目(5月14日)
なんという穏やかな日々。
半年ぶりくらいに夫と食卓を囲んだ。
あまりにも自然すぎて驚いた。
特別に何か作るわけでもなく、日々の食卓。
コロナ前、TV業界に勤める夫は、帰りが毎日深夜におよび、休日もなく働いていた。一方、私は、年間100日ぐらい森にいたこともあるぐらい、全国を飛び回っていて、家にはいない。
ここ7、8年、二人が一緒に食卓を囲むなんて、ありえないこと、だった。
お互いがお互いのやりたいようにやっている夫婦。
それは望んでいたこと。
同時に、私は、自分が家にいないにも関わらず、夫が食事の時間にいないことがなんとなく寂しかった。
とはいえ、自分の行動をかえるわけでもなく、時は過ぎていた。
夢の食卓は、ほとんどあきらめかけていたときに、時はやってきた。
4月の頭から、私は、「歩く」以外に外にでることはなく、
毎日、家にいる。
家で家事をしたり、部屋にこもって仕事をしたり、歌ったり、寝転んだり、している。
夫は会社には行くものの、仕事が少ないらしく、早く帰ってくるようになり、仕事のない日に家にいることも増えてきた。
どうなったか。
私も夫も穏やかに家ですごしている。
それぞれが家で過ごしたいように過ごし、一緒に食事をする。
それはそれは、穏やかな日々。
これは、ちょっと意外だった。
生活のペースがすれ違いだったときは、なんとなく寂しさがあるものの、その形が崩れるのも、少し怖かったのかもしれない。
二人で過ごす時間が増えたら、どうすごしたらいいの?
一時期は、共通の趣味を持とう、とか、仕事で何か一緒にやれることはないか、とか頑張った時もあったが、性格も好きなことも違う二人で、うまくかみ合わず、何も見いだせずにいた。
二人で過ごす時間、それが現実になった今、このような自然で穏やかな時間をすごしている。
なんだかホッとした。
二人の関係を心配したり、あせったりする必要はなかったのかもしれない。
今のような時は終わりがきて、また、お互いが自分のやりたいことに突き進んで、
時間を共にすることが少なくなっても、それでいい。
やりたいことがやれるうちに、やればいい。
それもまた終わりになる時が来る。
そうしたら、また自然に二人で過ごすことになるのだろう。
それぞれの夫婦の形、生き方の形がある。
あせらなくていい。
安心して進もう。