地元の神社をめぐるのは
14日目(4月17日)
書くことと同時に歩き始めて14日目になる。
次第に歩く距離が増えて、1日で10kmほど、1万歩以上歩く日も出てきた。
近隣を歩いていると、町の神社が多数あって、それらに出会い、参拝することも楽しみにの一つになってきた。
こうしていると、なんだか巡礼のようにも思えてくる。
このまま、どこまでも神社をめぐりながら歩いていけば、まさに巡礼のよう。
実際、神社に行ってみるると、神社には必ず分社のようなものがある。本宮には遠くて行けない人たちがそこにお参りをしたのだろう。
元来、私は神社にお参りをするという習慣がなかった。明治神宮に初めて行ったのは40歳をすぎてからだ。
実家に仏壇はあったが、神棚はなく、正月のお参りもなく、あったとすると七五三のときに祈祷を受けたぐらいの記憶しかない。
今では、初めて行った土地では、神社に必ずご挨拶に行くし、神社が私にとって心落ち着く場所になった。
そうなったのには、明確なきっかけがある。
2011年の東日本大震災の時だ。
当時、とにかく、自分のできることをしたい、そういう気持ちになっていたとき、友人に誘われて、東北へボランティアに行くことにしたのだ。
東北で仙台以北にいくのは、人生初めてのことだった。
友人と二人、車で目指したのは、遠野。
遠野には、すでにボランティアセンターができていた。
当然、私には未知の場所だ。
7時間ほど車を走らせ、遠野に到着、ボランティアセンターを訪れたところ、なんと、今日はお休みをしているとのこと。
仕方なく、私たちは車で遠野をめぐることにした。
カッパ伝説で有名な遠野、カッパ淵という沢も実際にあると知り、
季節は6月、太陽の日差しも眩しく、そこに行って沢あそびでもしようということで、しばらく車を走らせた。
車を走らせていると、なんとも穏やかで美しい風景が目に入ってくる。
美しいといっても、何かあるというわけではない、何気ない畑や田んぼの風景なのだか、心の奥底で懐かしさを感じる。
すると、田んぼの中に一際目立つ一本の大木があり、そこに惹かれ行ってみた。
近づいてみると、大木には〆縄がされている。
御神木のようだ。
太陽の眩い光の中で、周りの美しい緑の田んぼと御神木。
こういう風景を私はみたことがなかった。
さらに、車に乗っていると、其処此処に祠があるのが目に入ってきた。
それは、山の奥深くに入って行くような山の入り口や、道端の草むらの中にあった。自然の中に溶け込むように、そんな風情でそこにあった。
そして、沢にたどり着いた。沢はまだ冷たくて、素足を浸すとびっくりするような冷たさだったが、気持ちよく、しばらく沢のながれを楽しんでいた。
すると、なぜか、上流を目指したくなり、車で沢の横の道を登り始めた。
どんどん道は狭くなり、山深くなっていっているのがわかる。
それでも登り続け、いよいよ車ではこれ以上行けないというところまで来た。
その奥は、なんとなく、怖い感じがしたが、車を降りて、沢の音と山の気に導かれて歩いていくと、
そこに祠があった。
こうやって、人が自然に導かれて、惹かれてくる、そんな場所に、古くからの人はこうやって祈りの場所をつくったのだ。
日本は森羅万象、全てのものに神が宿る、と古くから考えて来た。
ここには神様がいる。
本当にそう思える場所だった。
そうおもうと、先ほどまでにみた風景、田んぼの中の御神木、草むらの中の祠、全てがそうだ。いたるところに神様がいる。
不思議な感覚だった。
深いところでアイデンティティが肯定されるような、深く懐かしい。
このときから、日本各地の土地に惹かれて行くようになった。
神社とその地域の大地と暮らす人々は深く結びついている。
そういう感覚を持つようになった。
その後、自分の地元では、同じような感覚を持つことはなかったが、
この「歩く」ということを始めてから、地元にも多くの神社があり、その神社は、地域の人たちに大切にされているのだということに気づき始めた。
朝、神社にいくと、必ず誰かがお参りをしている。
通勤途中なのか、鳥居の前で一礼をして、通り過ぎて行く人もいる。
大切にされている神社の地域はとても気がいい。
住んでいる人がそれぞれ、町の規律を守りつつ、穏やかに暮らしている様子が伝わってくる。
自然の全く残っていないこの地域でもその名残は残っていて、日本人のアイデンティティの中にある自然とのつながりを維持し続けてくれているのだろう。
地元への見方がどんどん変わって行くのを感じる。
さて、明日はどこへ向かうか。